【ネタバレあり】シン・エヴァンゲリオン 劇場版:||について徒然なるままに記す

 という訳で、ネタバレ配慮のためしばらくTwitter上では膀胱容量ネタくらいしかしばらく呟けなさそうなので備忘録的な意味も込めてこちらに感想を記す。

【以下詳細なネタバレ無し】

 「シン・エヴァでエヴァンゲリオンは本当に終わるのか?」→これはYesと言っていいだろう。少なくとも「新劇場版」シリーズとしては綺麗に話は畳まれた。

 「面白かったか?」→これもYes。戦闘シーンは迫力があり、情緒的なシーンも多く、声優さんたちの演技は素晴らしく、総じて見ごたえがある映画だった。時間さえあればもう一度は映画館に観に行きたいと思う。

【以下容赦なくネタバレあり】

 もともとここまでの「新劇場版」シリーズ、すなわち序・破・QがTV版をなぞっているのは周知のとおり。もちろん、使徒の数や姿、参号機に乗るのがトウジなのかアスカなのか、ニア・サードインパクトが起きるかどうか、ヴィレという組織の有無など違いは多々あるのだが、シンジ視点で考えれば

①唐突に父親に呼び出されてエヴァに乗ることを強要される 

②流されるままにエヴァに乗って使徒と戦って迷いながらも少しずつ周囲の人間と打ち解けるようになる 

③自らが乗る初号機に友人を傷つけさせられて、少し緩和されつつあった父への敵愾心が一気に噴き出すも、皆の危機に一度は降りることを決意したエヴァに乗って初号機覚醒 

④再び周囲と断絶することになり、心を寄せていたレイは生きているようで別個体になっており、最後の心の拠り所となった渚カヲルは眼前で死を迎えることとなり心に深い傷を負う

と、TV版と「新劇場版」に何ら違いが無いことがわかる。

 今回のシン・エヴァもある意味同様で、物凄く簡潔に内容を書き出せば「ゲンドウが目論む人類補完計画はほぼ達成されるが、最後の最後でシンジがゲンドウの思惑を超え、本来の意図とは異なる結末を迎える」となり旧劇場版と骨子は変わらない。

 というか、シン・エヴァは「旧劇場版を物凄く丁寧に作り直した作品」と言える。旧劇場版でサラっと語られるに留まった「ゲンドウが己の弱さを認めるシーン」が今回はとても深堀されていたのが象徴的だと思う。

 ただシン・エヴァが旧劇場版の単なる焼き直しかと言うとそれも違っていて、崩壊後の世界でたくましく生きるトウジやケンスケ達、アヤナミレイが育む情緒、特に超自然的な力に寄らず他者との交流でトラウマから立ち直るシンジ、Qで非情とまで感じられたミサトやその他ヴィレの「大人たち」の真意など、旧劇場版に比べ「わかりやすい」だけでなく「優しい」要素が沢山詰め込まれている。

 最終的な逆転の一手がシンジでもなく他のエヴァパイロットでもなく、ミサトやリツコ、マヤにその他ヴィレの面々によるものだったのも、旧劇場版との明確な差異だった。マリの「人類は神に頼らずともここまで来た」という趣旨の台詞が示す通りに。

 ラスト付近、初号機vs十三号機のバトルで楽屋ネタ(物理)の様な描写が出てきたり、旧劇場版ラストシーンのあの砂浜が出てきたり、唐突に実写が放り込まれたりと時々ヒヤッとする(笑)シーンもあったが、「ネオン・ジェネシス」という単語が出てきて感無量であったし、最後にシンジがマリの手を取って笑顔で元気に駆け出したのは、いろいろな感想が出てくるのだろうがとてもホッとする結末だった。

 個人的にはしっかりとエヴァンゲリオンという物語に決着を付けてくれたと思える内容だった。制作に関わった全ての方々に、改めて敬意と感謝を表したい。

…1997年の旧劇場版から24年近く、エヴァに付き合い続けている我々も大概だが、庵野監督が表現したかったことも実はあんまり変わっていないのかなあと思ったりもするのだった。

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