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2020年度第3回哲学カフェOnline報告

テーマ:「ヨルシカから始める哲学カフェ」
日時:7月30日(木)18時~19時半
参加者:8名(一般1名、学生5名、助教2名)

今回はヨルシカの曲「負け犬にアンコールはいらない」(2018)を参加者と一緒に聴いた後、その歌詞を題材に議論を行ないました。はじめにこちらから次の問いを出しました。それに対して以下のような意見が出されました。(歌詞からの引用は【 】で示しました。)

この歌のテーマは何か?

青春:いかに「大人」になることを受け入れるかが歌われている。青臭さを感じる。後悔したくない思いが見える。
プライド:挫折からの一歩を踏み出そうとしない。後悔を受け入れている。負け犬の遠吠えしか歌われていない。
諦念:大人に対する諦めの念がある。登場人物である「僕」はもともと負け犬ではないが、負け犬を受け入れた。【昨日を愛おしんで】など、過去への言及はあるが、未来への言及がない。【吠え面かけよ偽善者】など、大人に対する印象の悪さ。
モラトリアム:なりたい大人になりそこね、立ち直りたくない様を歌ったスッキリしない歌。
つよがり:【負け犬が吠えるように生きていたいんだ】、繊細過ぎて傷を負った「僕」が自分を負け犬と呼ぶ。【青春なんて余るほどないけど もったいないから持っていたいのです】、青春を持っていたいとストレートに言えない。
恋愛:【君以外はどうでもいいんだよ】等、失った君を歌っている。

以上のような多様な意見が出てきました。ここから見えてきたものは「大人」というキーワードであり、この点を掘り下げることになりました。

この歌に出てくる「大人」の意味は何か?


・若者が勝手に作り出した敵
・醜い存在
・なりたくない存在
・青春の失われた状態
・大人になるチャレンジをしなければならない
・不純、汚れた存在⇔純粋や清純(青春)、無垢
・世間体を守り、周囲に迎合する
・経験を重ねること

登場人物にとって「大人」は否定的な言葉であるようです。こうした捉え方に対して若者の未熟さを指摘する声も当然ありますが、しかしそう言い切れるものでしょうか。そこで、もうしばらく踏みとどまってこの人物の思いを汲み取ることを提案しました。

【もう一歩だって歩いたら負けだ】と言うこの人物がそうまでして守るものは何か?

・【また夢に負けて】、夢は眠っている時しか見ない。ある意味で非現実だが、しかし大人になるために夢見ること自体を捨てなくてもよい。
・夢には理想という意味がある。理想は大人にもあるはず。
・夢見ることは世間的に非難されることがあるが、単純に否定はできない。たとえばジブリ映画『風立ちぬ』は愛や青春をテーマとするが、そこでは道徳的に許されないが美しい恋模様が描かれている。
・夢は儚く非現実的で、日が当たらない場所と言える。救いのない歌。
・「君」が理想の存在だとして、「君」のうちに見出したその理想を守りたいということではないか。

私たちは大人になることが「純粋さ」や「無垢さ」を捨てること、夢に生きることをやめることだと考える傾向にあります。確かに生きるためには稼ぎが必要ですし、集団生活をするためには周囲に歩みを合わせて協調関係を気づくことが必要不可欠です。大人になれば単に純粋ではいられなくなります。しかし「純粋さ」を捨てなければ大人になれないのでしょうか。また「純粋さ」や「夢」を捨てるくらいなら大人にならない、といった強い意志をもつこの登場人物はまだ子供なのでしょうか。最終的に今回の議論ではこうした問題に行き着きました。


(補足)

最後に、歌詞を議論の題材とすることについての私の考えを簡単に述べておきます。歌詞を題材に議論するというのは聞きなれないですし奇妙にも思えます。もちろん歌の歌詞というのは詩的な文章であり、主義主張を直接唱えるものではありません。では議論の対象はいったい何でしょうか。それは歌詞の文章を読んだときに行なっている私たちの連想です。この連想は私たちが歌詞を通して抱くものです。言い換えれば、表現された事柄に対する私たち自身の見方です。それゆえ歌詞を議論することは歌詞の作成意図や制作背景から離れて、私たち自身を語ることだと考えるのです。

あじむら記

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