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起業はツラいよ日記 #73

B.E.次号は「"食"の過去・現在・未来」をテーマにお届けしようと考えています。最近ずっと"食べること"について考えているので、それに関連したお話です。

バゲットは皮が命と言われますよね。


バゲットってこういうパン

日本では外はパリッと中はモチっとが好まれるようですが、フランスではむしろ中身なんてスカスカで良い 皮こそが美味しいのだと、フランス人の友人が言っていました。さて、いきなりメロンパンの話になりますが、わたしはメロンパンの本体はあのクッキー生地にこそあると思っています。中身はそこまで重要でないとすら思うのです。

少しむかしの話をさせてください。大学受験に向けた浪人生時代はお金に余裕がなくてスーパーで売っているパンばかり食べていました。当時、埼玉県和光市にある学生会館で一人暮らしをしていて、駅前のイトーヨーカドーで一つ100円ほどのメロンパンを購入していたのです。わたしには昔から変なこだわりがあって、メロンパンはクッキー生地がしっかり硬いものを敢えて選んで購入していました。(あまり店頭で商品を選び過ぎるのはよくないことだから今は反省しています)商品のなかには店頭に長時間置かれていてクッキー生地がシナっと柔らかくなっているものもあったので、それを避けて購入したかったのです。

メロンパンの本体はクッキー生地だと思うわたしにとってそれはもはやメロンパンではなく、メロンパン風のなにかだとすら思います。街中のパン屋さんで売られるメロンパンはさすがその辺りを分かっているので、サクサクのクッキー生地を推したメロンパンが多いのですが当時の貧乏学生だったわたしには高いので手が出せなかった悲しい思い出です。

そんな変なこだわりがあるわたしは"食べ方"にも変なこだわりがありました。わたしは先ずメロンパンを裏返し底の部分から千切って食べ始めます。

何を言っているのか分からないと思うので少し説明しますと、メロンパンの底面から中身だけをくり抜くように食べるのです。なぜか?それは、メロンパンの本体である皮を大事にしたいからです。浪人時代、予備校は新宿区・四ツ谷駅前にある四谷学院に通っていましたので、昼になると迎賓館前の公園にあるベンチでそんな変な食べ方をしていました。そんなわたしでも大学に受かったのだから、食べ方の偏屈さは学力とは相関しないということなのだと思います。"メロンパンの食べ方"という受験科目があったら落ちていたかもしれない。さすがに人前ではそんな食べ方をしないですが、家族には間違いなく不評で「子どもが真似するからやめて」と言われています。

"食事"はとてもとてもプライベートな行為です。だからこそ、食事をともにすると相手と親密な関係になった気がするのだし、こころの許せない相手との食事ほど苦痛なものはありません。わたしは、どんな人にもその人なりの食事のクセというものがあると思っています。どんなに育ちの良い人も、そうでない人も。もしメロンパンをわたしのように食べる人がいるとしたら、それはなんという奇跡なのだろう。友達になれるかもしれません。

わたしのメロンパンの変な食べ方のお話にお付き合いいただき、ありがとうございます。この様に"食べること"には当人が歩んできた人生や人生観が大きく反映されるものだと思います。それに当人が意識的かそうでないかは人それぞれですが、その人が生きる時代背景や社会も影響しているでしょう。現在、好評発売中の『B.E.特集「動物と植物」』では過去の日本でどのように肉食が受容されてきたか、はたまた米をどのように扱ってきたかについて論じました。

わたしたち日本人にとって、肉はどのような存在であったのだろう。第3章では多くの研究成果が蓄積されている日本の米文化や仏教文化を踏まえて考察してみたい。

よく知られているのは、明治維新によって江戸の幕藩体制が崩れ近代国家日本に生まれ変わるとき、欧米列強に肉食が取り入れられたということだろう*1。歴史の教科書で牛鍋をつつく人の絵を見たことがあるかもしれない。しかし、日本人にとって肉食は明治期に突然始まったわけではない。それ以前から長く続いているものであったのだが、なぜ明治期ばかりが重要視されるのだろう。日本人が歴史的にどのように肉と向き合ってきたか、まずはその点を整理していきたい。

「文明開花の鐘の音 牛鍋食わねば開化不進奴」

この一節からは、流行に乗り遅れまいとこぞって人が牛鍋屋に行ったかのような印象を受ける。だが、むかしの日本人はそこまで単純ではなかったようである。当時の牛鍋屋は「破落戸(ごろつき)と適塾生のみが常客だった」と言われている。破落戸とは社会秩序の外に置かれた人々を指し、適塾生とは蘭学という西洋の学問を学んでいる者たちを意味している。大多数は牛鍋など食べておらず、衆民にとっては米こそが清く尊い食物で、長い間、肉は穢れた忌むべきものだと信じてきた。肉食はそのような禁忌をものともしない”変わり者”たちの視界にしか入っていなかったのだ。一方、変わらず求められ続けてきたのは米だ。歴史学者の原田信男は著書『歴史のなかの米と肉』(平凡社ライブラリー)で繰り返し日本人の「米食悲願の強さ」について述べている。なぜそれ程までに米に執着したのか、それは司祭者としての天皇を頂点とした米信仰の名残りだと言われている。

B.E.特集「動物と植物」第3章 日本人と米と肉より 抜粋

食事はとても個人的(プライベート)な行為であると同時にとても公共的(パブリック)な行為ともいえます。普段何気なく食べているもの、食べないものについても意外と不思議な歴史が存在します。是非、わたしと一緒に食べることについて考えてみませんか?思いもしなかった発見があるかもしれません。

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