ゆーじ

1991年大阪生まれ。訪問看護師を3年間経験して、子育てを期に家族で鳥取の山間部に移住…

ゆーじ

1991年大阪生まれ。訪問看護師を3年間経験して、子育てを期に家族で鳥取の山間部に移住することを決めました。 移住1年目、里山近くの空き家を借りて自然栽培に取り組んでいます。

最近の記事

迷惑で人の関係性ができている

子どものようちえんが冬休みに入り、雪も降り積もり引きこもり生活が続いています。 ゲレンデばりの積雪に子どもは喜ぶのかと思いきや、「さむいからおそとにいかない」とインドアを決め込んでいます。 引きこもりで子どもとやりとりを続けていると思い通りに物事が進まない、何かにつけて甘えん坊の子どもにイライラが高まってきます。 朝の食器洗いをしながらポケットマルシェの高橋博之さんとピースコインの阿部さんの対談を聞いていて、 人は迷惑をかけてしか生きていけないし、それが人間関係なんだ

    • その地域での暮らしがあってこその農業

      現代農業の特集に書いてありました。 自分の農業経営をどんなに立派にしても、その地域で暮らすことができなくなれば元も子もありません。農業を営む地域での暮らしがあってこその農業です。 この言葉がここ数日反芻するように頭の中にふとよぎります。まだまだ言語化するに至らないのですが、自分の中で大切にしたいことに近い気がするのです。 過疎化と連想すると危うく切実な響きにきこえますが、これぞ山間部の魅力ではないかと思うのです。鳥取に来て半年が経って、子育てしやすい環境というのはもちろ

      • 100円の白菜を買う選択

        いままで親子2代サラリーマン生活をしてきて、消費者の立場でしか考えることがなかったのですが、山間部に来て、農作物を栽培し始めてから、つくりての立場で考えることが出てきました。 タイトルのような選択、何気ない日常でよくある光景だと思います。 みなさんはどう思いますか? 昨日、まちの図書館にいくと玄関に100円の白菜が2種類、箱の中に置かれていました。 ひとつは緑と白のコントラストがきれいでまるまると太った白菜ひとたま。 もうひとつは外葉を剥がれて白い部分だけ残して、や

        • 落ちた稲を踏みつけても心が痛まなくなる

          今年人生で初めて米づくりを経験しました。   4畝半ほどの農地を借りて、代掻きをして田植えして毎日水管理をして元気かー、大きくなってきたかーと見守ってきました。 植え付けたり、収穫したりするとき所々機械を入れるのですが、 手作業をするときより早くできるはずなのに何故だか忙しなくなります。 手で刈っていると刈り残しをしないように一つ一つ時間をかけてやってられるのですが、バインダーで刈り取ると刈り残ししても見向きもせずに次の作業に進みます。 手動の脱穀機に通すと米粒全てが

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          子どもをもち、山間部での暮らしをはじめる

          大学在学中の頃から漠然と山の近くで暮らしたいと思うようになりました。 それは出会った人や見聞きしてきた話や本の影響もあります。 サラリーマンの父の仕事の都合で県庁所在地を転々として暮らしてきた環境もあります。 未知の世界への憧れもありました。 大学を卒業するタイミングでその選択をするチャンスもありましたが、流れるままに大阪で仕事につきました。 それが自分でも不思議なのですが結婚して、子どもを授かって暮らしへの思いが強くなってきました。 今やらなきゃ、子どもが小さい

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