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オンライン英語コーチを辞める理由ー英語がもたらしてくれるかけがえのない未来の話をしようー

年内いっぱいをもってオンライン英語コーチを辞める決断をさせていただきました!というのは、僕のnoteの読者さんにはご案内の通りです。

今日はその決断に至るまでの経緯のお話です。これまで長く応援してくださった方々、実際に僕のコーチングを受けてくださっている/くださった方々、あるいはアルゴリズムだかAIか何かの導きで偶然この記事に辿り着かれた方。全ての人に知っていただきたく書いてみました。

英語指導に対するこれまでの自分の思いのたけを書きつけた結果、約6,500字になる長文となりました。が、こうしてこのページを訪れてくださったのも何かのご縁です。是非最後までお読みいただければと思います。


福岡県糸島市での素敵な英語学習者との出会い

糸島に定住してから、とある大学の准教授に出会いました。知人を通じて「英語をどうにかしたい」と切望しているというその男性を紹介していただき、その方のコーチングをオフライン=対面で提供させていただくことになりました。

その男性は元糸島市役所にお勤めの公務員で、「スーパー公務員」として地元では結構有名な方です。

その方が英語をなんとしかしたい理由。それは、彼にはどうしても論文にしたいと思っているテーマがあり、それを完成させるためには英語ができなければならないというものでした。

英語圏の方にインタビューする必要があること、論文は海外の雑誌に掲載されるものであるため必ず英語で書かれる必要があること。

そしてご本人の中でかなりはっきりしたアイディアがあるにも関わらず「英語」がネックになってアイディアをアウトプットできないということ。

世界一の論文を書きたいんです。だから英語ができるようになりたいんです。

お断りする理由が見つりませんでした。その方の熱意に動かされてご依頼をお受けしました。「無料でもいい。なんとかしてあげたい」とすら思いました(もちろん報酬はきちんといただいています)。

その方との関わりを通じて僕は少しずつ「自分がやりたかった英語指導」を思い出していったのでした。


今、週に一回の僕とのマンツーマンの英会話授業をとても楽しみにしてくださっているマダムがいます。

「先生ありがとう!今日も楽しかった!」
もう還暦を過ぎておられる方ですがチャレンジ精神はとても旺盛で、その方の笑顔を観られるのが嬉しくて、片道1時間かけて福岡市内にあるその方のご自宅まで通ってレッスンを提供させていただいています。

「海外のエアラインに転職したい」という某国内正規航空会社のパイロットの方が、少し前まで僕の英語コーチングを受けてくださっていました。

この方は6ヶ月間の『英語のハノン中級』の徹底的な反復練習で航空英語能力証明レベル6(英検®︎一級相当)を取得されました。その実績を携えて中東のエアラインの採用試験に挑戦され見事採用に至り現在移住に向けて準備を進められているそうです。

彼はどちらかというと英語学習そのものが好き!というタイプの方でした。英語学習オタク、と言ってもいいのかもしれません。とにかく英語学習の話をされている時の彼のイキイキした表情とバイブスは、ラップトップの画面越しにこちらにも十分伝わってくるものでした。

知人の紹介で福岡の超有名私学に通う男子の英語コーチングの依頼をうけました。「周りの学生より英語ができない」とコンプレックスを抱き、でも「英語ができるようになって、いつか世界中を旅してみたい」というその男子に、英語ではなく英語の「面白さ」を教えてあげて欲しいというお母さんからの依頼に心が動かされ、お受けすることにしました。

今は週に一回そのご自宅を訪問し、一緒に英語の絵本を多読したり、船橋由紀子氏の『英会話は筋トレ』を使って楽しく英会話を学んでもらったりしています。挿絵のセンスが楽しいようです。
レッスン後のお母様の手料理と温かな食卓の歓談も、独身の僕には最高のプレゼントです。

僕のクライエントさんは単に英語ができるようになりたいだけでなく、英語ができるようになって叶えたい「夢」をお持ちの方が多く、そんな夢に寄り添えるこの仕事に僕は誇りを持っていました。

今年の春、ある女性に出会ってコーチングをお受けするようになるまでは。

夢を売ることを忘れた英語コーチ

その女性のことをここでつらつらと書くわけにはいかないので差し控えさせていただきます。

一つ言えるのは、その女性のコーチングをお受けするようになって以降、気がつけば僕の英語コーチングは僕のささやかな英語知識を切り売りするだけのものになっていってしまっていたということです。

けれど、彼女からコーチングの依頼を受けた時の僕にはオカネが必要でした。とても恥ずかしい話ですがその時の僕にはどうしてもお金が必要で、どうしても成約に結びつけたく、僕のメソッドの効果に難色を示す彼女になんとか受講してもらいたいと、「こうすれば絶対に英語が伸びる!」と僕が信じる英語コーチングとはかけ離れたものを売ることになってしまいました。

そうやって目先の利益に飛びついた結果、自分でも何をやりたいのか、何を信じればいいのかが次第に分からくなって混乱していき、自己矛盾を糊塗するためにnoteに書きつけた記事はチグハグで、結果的に多くの(潜在的な)クライエントさんを失うことになりました。

本当にほんとうに忸怩たる思いでいっぱいです。

けれどもう、失った過去は取り戻すことはできません。

「夢」を売ることを忘れた僕のような英語コーチの末路はとても悲惨なものでした。どんなサービスをローンチしても全く申し込みが入りません。収入は完全に途絶え、この数ヶ月間は経済的に困窮して眠れない日々が続き、体力も次第に衰弱していきました。

自業自得と言えばそれまでですが、後悔に苛まれ続ける地獄のような日々でした。

英語が与えてくれたもの

英語は、日本を旅立つ前には想像もできなかった未来へと僕をいざなってくれました。

精神科のソーシャルワーカーとして、ストレスフルでパッとしない日々を過ごしていた不機嫌な中年のオッサンだった僕には想像もできないような、キラキラした生活と仲間との出会いが、英語力UPのために移住したセブ島にはありました。

英語が上手くなりたい!ただその一心でお金のことや生活のことなんて何にも考えずに果たした40歳を超えての初めての海外移住。それは僕に、夢のような未来=すなわち現在 をもたらしてくれました。

僕がコーチングを通じてクライアントさんにお伝えしたかったのはまさにこのことだったんです。

英語は、あなたを全く想像もつかないような未来へと誘ってくれますよ、ということを。

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コロナ禍でやむなくフィリピンから帰国して、住む場所もなく4年にもわたって日本中を放浪していた僕をこの自然豊かで美しい街、糸島に呼んでくれたのは、2年前に僕が福岡で知り合った「タケシさん」という二つ年上の、笑顔がとても素敵な男性でした。

彼がいなければ僕の糸島移住はあり得なかったのですが、そのタケシさんに出会うことができたのは、僕がセブ島で、一人娘のお嬢ちゃんを語学留学させていたタケシさんの奥さんである「めぐみん」に出会えたからです。

そしてその「めぐみん」が僕に「みずえさん」を紹介してくれなければ、フィアンセに出会うこともありませんでした。

ただなりふり構わずに英語に向き合い続けた僕は、英語指導という理想の職業と、それがもたらしてくれた豊かな人間関係、そして人が羨む定住先を見つけたにとどまらず、49歳というこの歳にしてこの糸島の地で、自分より15歳も年下の女性と巡り会うことになったんです。こんなことは英語を始めた時に、ただの1ミリも想像できなかったことでした。

英語がなければ、今飛ぶ鳥を落とす勢いの売れっ子英語コーチの船橋由紀子氏から「おすぎさん」のニックネームで呼んでいただいて彼女のビジネスパートナーとして活動する機会も得られなかったでしょう。

多忙な僕にとても穏やかで豊かな時間と人間関係をもたらしてくれている「マインドフルネス・メディテーション」に出会うこともなかったでしょうし、この自然豊かな糸島の地で、玄界灘から吹き上げてくる優しい風に吹かれながら美しい棚田で大地に触れることもなかったでしょう。

農作業の後のビールがこれまで世界のどの場所で飲んだビールよりもうまいということに気づくこともなかったでしょうし、家から徒歩1分のところにある白砂青松の海岸で、毎朝波の音を聴きながら瞑想ができるという幸せを享受することもなかったでしょう。

誇りに思える仕事や仲間、糸島という土地と農業、メディテーション、そしてフィアンセ。全て英語にまっすぐに向き合い続けた結果、僕の元にもたらされたものです。

そんな未来を誰が想像できたでしょうか?今からおよそ10年前、うつ病に罹患して失意のどん底で公務員を退職し、家族からも見捨てられて世界一周に出ていった僕を嘲笑ったあの人たちが、今の僕の生活を見たらなんというでしょうか?

それもこれも、全ては「英語を続けてきたから」手に入れられた未来です。

当時の僕の、本当にちっぽけな自分の想像力をはるかに超えてもたらされた未来です。

自分の英語指導の原点〜目の前の人の「英語ができるようになりたい」に寄り添う

今、糸島市の中心街である筑前前原という街にあるコミュニティスペース「みんなの」(スタジオ利用や教室利用もできるコワーキングスペースという感じのところです)で、ボランティアスタッフとして週に一回だいたい毎週火曜日に働かせていただいています。

そこには「レンタサイクル」を求めて日本人だけでなく外国人の方がしばしば来られるのですが、英会話ができるスタッフはあまり多くなく、以前からチラホラ「英語の勉強会を開催してほしい」というご依頼を、他のスタッフの方から頂戴したりしていました。

みんなの」は、移住してきて間も無い頃、糸島での人間関係が希薄だった僕に、とても魅力的な人々との出会いと居場所を与えてくれたかけがえのない場所の一つです。そんな「みんなの」にご恩返しがしたくて、スタッフの方々を対象に、無料で英会話レッスンを提供させていただくことにしました。

これがとっても好評で、参加者の皆さんにとても喜んでもらうことができました。今後シリーズ化していく予定ですが、この経験が、それまで全く思い描いたことがなかった「英語を教える」という職業に就くことになった7年前のきっかけを、僕に思い出させてくれました。

一年間の世界一周を終えてセブ島に移住するにあたって、どこにもあてがなかった僕は、旅に出る前に英語を学んだ英会話スクール「CROSSXROAD」という語学学校に連絡をしました。

「ボランティアで便所掃除でもなんでもしますから、学校にタダで住わませてください」

無理なお願いとは思っていましたが、CEOの岡本夫妻をはじめ、マネージャー陣は快く引き受けてくれました。便所掃除の代わりに、僕にあてがわれたのは放課後に無料で提供している文法クラスの先生という役割でした。

世界一周中も英語を学び続けていた僕は、そのことを折に触れてSNSで発信していました。それをみてくださっていたCEOの奥さんが、僕を後任に指名してくださったんです。CEOの奥さんが臨月で、クラスを続けるのがちょっと難しくなっていたからです。

先生なんてやったことなんかなかったけど、セブに住みたかったので断るというオプションはありませんでした。それから毎日大嫌いだった英文法を勉強しはじめ、日本からやってくる生徒さんに日本語で文法を教える毎日がはじまりました。

その授業がなんだかとても楽しかったんです。自分でも「教える」ということがこんなに楽しいということに気づけたのは意外でした。独りよがりではなく、受講した生徒さんも満足してくれて、口コミで受講者の数は次第に増えていきました。

その時の僕の報酬は「お金」ではありませんでした。僕のビザは労働ビザではなかったので、対価として金銭を受け取ることはできません。あくまで住み込みのボランティアスタッフという位置付けで提供していた文法クラスでしたが「受講者のみんなの笑顔」や「受講者からもらう感謝の言葉」が何ものにも変え難い財産になっていきました。

収入がなかったので銀行の残高は目減りしていく一方でしたが、不思議と不安は全くありませんでした。自分が正しいことをしているという確信と、この役割を心から楽しんでいる自分があったからです。

そうやって僕は「英語講師」という新たな役割を見つけ、コロナ禍で帰国した後も毎日数時間の英語学習を続けた結果、その語学学校から「オンライン英語コーチとして働いてみないか?」というオファーをいただくことになりました。コーチングなんてやったことはなかったけれど、英語が好きで、英語で人をハッピーにできる仕事だと聞いて断るという選択肢なんてありませんでした。

岡本CEOのご紹介で船橋由紀子氏に師事してコーチングを学び、サービスローンチまでの半年間、仕事が終わってから寝る間も惜しんで学び続けました。不思議と「辛い」と思ったことは一度もありませんでした。

そうやって人に寄り添うことができる、単なる講師よりもダイレクトに人の夢に寄り添うことのできる役割を与えられ、僕は「パッとしない不機嫌な中年ソーシャルワーカー」から「ボランティアの英文法の先生」へ、そして「英検一級・世界一周経験者のオンライン英語コーチ」へと華麗な転身を果たし、英語を学ぶ人の人生に寄り添うことができるという最高の職業を手にれたんです。

コーチングという仕事の素晴らしさと、目の前にいる人のかけがえのなさについて

英語は「夢」を実現させてくれる単なるツールであることを超えて、もはや僕にとっては「夢」であり、生きる目的そのものになりました。だからこうしてくる日も来る日も、英語を学び続けて飽きることがないんだと思います。

英語コーチになると決めた4年前の僕にとってもまた、英語は今と同じように「夢」そのものでした。英語コーチとしての僕は、クライエントさんに英語で素敵な人生を歩んでもらえるお手伝いをするための「人生を変える英語コーチ」でありたいと願い、事実そう公言してきました。

けれどあれから4年が経ち、自分自身が英語であの時よりもさらに満たされた人生を歩んでいる一方で、コーチとしての僕は、いつしかクライエントさんの「英語ができるようになって叶えたい夢」のお手伝いをするという本来の役割を忘れてしまっていたようでした。

この商業主義的な英語コーチングには一旦幕を引いて、原点に戻らないといけない。

そんな時に、セブ島の語学学校「CROSSROAD」でもらった「目の前にいる人の笑顔」という最高のプレゼントのことを思い出しました。そのことを想い出させてくれたのが、冒頭の「スーパー公務員」さんや福岡市にお住まいのマダム、そして僕の英語指導を楽しんでくれている13歳の男の子といった、糸島で出会った人たちでした。

僕の目の前で、僕と一緒に過ごした時間と英語でハッピーになってくれた人たちが、そのことと、自分の英語指導の原点に立ち返ることの大切さを教えてくれました。

これからは、オフラインの対面指導を通じて目の前の生徒さんを大切にできる、そして生徒さんの夢に寄り添える、そんな英語の先生になりたいと思っています

オンライン英語コーチという職業を手放す決断をしてから、僕は今とても清々しい気持ちでいます。

今の僕は、コーチになることを決めた4年前の時のような気持ちで、あるいは7年前、セブ島の語学学校にある小さな教室で「おすぎさん今の説明めっちゃわかりやすかった!ありがとう!!」と言って喜んでくれた生徒さんたちの笑顔を見た時の気持ちで、クライエントさんに向き合っていけそうな気がしています。

残されたコーチとしての時間を精一杯楽しめそうな、そんな予感に包まれています。

ここまで応援してくださったみなさん、本当にありがとうございました。

今、オンライン英語コーチをやめると宣言してから複数の方々のお申し込みをいただいています。既にコーチングを開始してくださっている方もいらっしゃいますが、今の僕は自分自身も一英語学習者の気持ちで、対等な目線で、みなさんとのセッションを楽しんでいます。

この最後のオンラインコーチングのクライエントさんたちもまたいつか、英語で素晴らしい未来を手に入れてくださると信じています。そのささやかなお手伝いができることの喜びに胸が震える思いで、残された毎日を過ごさせていただいています。

本当にありがとうございます。

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