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困難に「立ち向かう」の反対は「楽しむ」ーみんなが英語を楽しめますように

七夕が終わって一ヶ月経つ今になって「〇〇でありますように」というのもずいぶん間の抜けた話だけれど、やっぱりどうしても、お祈りせずにはいられなくて、こうしてnoteに記す次第です。

先日、Twitterを何気なく眺めていたら、こんなツイートが流れてきました。

思わず、この方のタイムラインを覗きに行ってしまいました。そして本当に心から、英語にいろいろなものを捧げて生きてこられた方なんだなぁと思わずにはいられませんでした。純粋に尊敬の念しかありませんでした。ぼくにはない能力をお持ちの方なんだなぁ、と。

全く、僕も同じ英検一級ホルダーとは思えない、素敵な方だなぁと思いました。

辛いことから、逃げてしまう僕

一方で僕はといえば、

こんな記事を書いてしまうくらい、「しんどい」と思ったことからは「逃げる」というのが自然になってしまっています。これは多分、昔からずっとそうなんです。

ただ、昔と違うのは、上の記事内でも言及している通り、「逃げる」という語にそこまでネガティブなコノテーションを感じていないということです。もちろん、それがダサい生き方であることは、重々承知していますけど。

辛いことに立ち向かい、耐えて耐えて耐え抜いた末に何かを達成することの喜びを、僕も知らないわけではありません。日本を出る前はフルマラソンを走るのが趣味でしたし、登山が好きで、知る人ぞ知る難峰、北アルプスの「劔岳」という難しすぎて毎年複数の死者を出す山の登頂に成功したこともあります。

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けれど、それもやっぱりどこかに「楽しい」と思えることがあったからです。

「楽しい」は、僕にとっては、すべての行為のモチベーションになっている感情で、この感情を上手く乗りこなすことができれば、いろんな困難を越えていくことができると思っています。

「困難に立ち向かう」の反対は「困難を楽しむ」

ですので、僕にとっては「逃げる」という言葉は、困難に立ち向かうことを避ける、弱虫、ということを意味していません。困難に立ち向かうの反対は、困難を楽しむだからです。

正確に言うと、困難なことそのものを楽しむのではなく、目の前のことをとりあえず味わってみる、ということができるとおもいます。その末に、気が付いたら困難を成し遂げている。

マラソンのレースを例に取りますと「42.195km先のゴールまで走らなければならない」というマインドセットでスタートラインに立つと、まあ大体は失敗します。

僕の自己ベストは3時間48分8秒という、箸にも棒にもかからないような凡庸なものですが、この時(2014とくしまマラソン)に限らず、自己ベストを更新する時のレースというのはいつも大体同じで、「前に踏み出す一歩一歩の感触を味わっている」レースです。この一歩が、42km先のゴールまで続いている、とかそんなことすら考えていません。

かわりに「風が気持いい」「海の香りがする」「沿道の声援があたたかい」「ソール越しに感じる地面の感触」などなど、無限にある「ワン・ストライド中の要素」一つ一つを丁寧に感じているときというのは、マラソンで一番苦しいと言われている35km地点を超えたときにも、(辛いにも)かかわらず自然と笑顔がこぼれたりしています。

逆に「寒いな、早く終わって温かいとん汁のみたいな」とか「ゴールしたら、風呂に入ってうまいもの食べに行こう」とか、マインドが今・ここではないところに飛んでいるとき、というのはだいたい失敗レースに終わります。30km辺りでものの見事に失速し、あとはただひたすら苦行僧のように、棒のようになった足を前へ前へと送り出すだけで、息も絶え絶えです。

そういうのは端的に言って苦痛以外の何物でもなく、ゴールまでの4時間はただの苦行・拷問と化します。

人はよく、高いエントリーフィーを払ってマラソンなどという苦行に参加する僕を笑ったものですけど、それはつまり、マラソンを、後者のような「苦行・拷問」のようなものとしてイメージしている人の言葉と言えるでしょう(これは中高の体育の長距離走の影響が大きいと思っています。マラソンは「苦しい」ものではありません。息が苦しくならないギリギリのポイントを探してゴールまでラクな有酸素運動をする競技です)。

そして実に、英語学習を、英検一級を「辛い」と思うマインドに、共通しているのがこの「苦痛・苦行」という感覚で英語を捉えることなのではないか、と思っています。

英語学習 ≠ 苦痛・苦行

僕がマラソンや登山を基本的には「辛いもの」とは認識していなかったように、英語学習も「辛いもの」ではなかったし、これからも辛いものであってほしくはない。そんなふうに思っています。

代わりに「楽しいもの」であってほしい。でないと人に勧められないし、みんなを巻き込んでハッピーになんかなれないからです。

僕のマラソンの経験を英語学習に置き換えていうと「へぇ、こんな言い回しがあるのか!」とか「世界中の人の話す英語のアクセントは多様だなぁ!」とか、「フィリピン人さんとお喋りできて楽しい!」とか、そういうのにいちいち驚いて、エンジョイできるマインドが、僕にとっては大切だ、ということです。

けれどそれ(=英語学習)を苦行と思って取り組んでいると、「あぁ、こんな言い回しがあるのか。簡単な単語ばかりなのに、こんなのも使いこなせてない」とか、「アメリカの英語は聴けるけど、ブリティッシュアクセントは聞き取れない…ダメだ」とかなってしまう。「新しい表現」「異なるアクセント」という、「現象」は同じなのに、英語学習を楽しむものととらえているか、苦行ととらえているかで、こんなにも差が出てしまいます。

それはダイレクトに、「学習の成果」というアウトカムとして表出してくると思っています。ぼくの場合は、それこそほとんど苦もなく、英検準一級合格の三ヶ月後に、一級に一発で合格してしまった。そのときにしていたのはひたすら児童向けの洋書を読み、いろんなポッドキャストを聴きまくっては「へえ、オモロイなぁ!(大阪生まれです)」と思うことくらいです。

一級対策として単語帳を回してはいましたけど、それも必死になっておぼえると言うよりは、四半世紀前に受験生だった頃を懐かしみながら「単語カード」を手書きでシコシコ作成する、という行為を楽しんだり、勉強した単語がその日のポッドキャストでたまたま流れてきて「おお、こんなマニアックな単語やっぱ使うんだ!すげぇな、ネイティブ!」とか思ってみたりとか、そんな感じで「パス単1級」に触れていました。パス単1級で「遊んでいた」という方がいいのかも知れません(笑)

だから、英語を楽しんでください

繰り返しになりますが、僕は冒頭のツイート主さんを心から尊敬します。ぼくにとって2年半はあまりにも長い。おそらく、自分史的な文脈において、2年半、何らかの苦行に耐え続けた、ということはありませんでした。

でも、おそらく多くの日本人が無意識のうちに、つまり「日本語という檻」の中でがんじがらめになって感じているように、「立ち向かう」vs「逃げる」二者択一しかない世界は、少なくとも英語学習者としてはあまりにも悲しい。

だから僕はここで、「立ち向かう」の反対は「楽しむ」だといいたい。そしてそれをどうしても「楽しめない」のなら、今は無理してやらなくていい。そこで選択した「(楽しくないものから)逃げる」というのは、意識のレベルではなく、情動的な部分で、僕たちの生存戦略上、不可欠な戦略だからです。

その代わり、やりたくなったらまた戻ってくればいい。42.195kmが明日も5年後も100年後も42.195kmであるように、山が逃げずにいつでも僕たちを待ってくれいているように、英語も、いつでも僕たちを待ってくれているのですから。

だからみなさんがどうか、楽しんで、英語に触れられますように。

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40代で英検一級一発合格!世界一周経験者。海外在住歴3年半。 セブ島で、語学学校のスタッフをしてました。2020年2月に帰国して、富士山が美しい街に移住。 英語学習のこと、旅のこと、日本で生きるということについて書いています。写真は南極「ルメール海峡」

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