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軍門に下る【瓦氏夫人第40回】

軍門に下る

 王陽明は十二月一日付で疏を上げている。
〈至十一月二十日始抵梧州思恩田州之事尚未会同各官査審区処然臣沿途渉歴訪諸士夫之論詢諸行旅之口頗有所聞〉
(十一月二十日に梧州に到着しました。思恩・田州の事案について、まだ各官を集めて処置を審査するには至っていませんが、道中あちらこちらとめぐり歩き、各方面の人々に意見を求めその言に耳を傾け、非常に多くの情報を得ました)
 とした上で、その時点での考えを長文で述べている。
 それによれば陽明は、広西に着いて間もないこのときに既に、
 ——ことがあれば徴用しておきながらその功に報いてこなかったのだから、盧蘇(ろそ)、王受(おうじゅ)らは同情されるべきで、この地を平穏に保ち、他の場所で乱が起こった際に兵を借りるためにも土官制度を存続すべき、
 との考えに至っている。
 
 陽明は梧州を出て西に向かった。
 潯州(じんしゅう)では巡按監察御史の石金(せききん)が陽明を迎えた。姚鏌(ようばく)を弾劾しようとした謝汝議の後任である。陽明は、都察院(監察をおこなう中央省庁)の左都御史でもあり、巡按監察御史は都察院に属するので、すなわち石金は陽明の直属の部下となる。周りは敵ばかりの官界のなかで、いわば身内である。
 どこの県城に着いたときでも、出迎えた官吏は仕事の話を脇に置いて歓迎の宴のことばかりを口にし、陽明は毎度毎度「かような有事にさようなことは一切無用」と叱りつけねばならず、うんざりするのだが、挨拶もそこそこに乱の状況の説明を始めた石金には好印象を持った。
 石金は、兵を用いずに乱を収めるべきと主張した。「兵を用いれば田州の城門を開くことはできても、田州の民の心の門を開くことはできません。中華最強である田州兵は、もはや明のために命をかけることはなくなります。再び結束し叛旗を翻すこと必至でしょう」
 
 そして十二月二十六日、陽明は南寧(なんねい)に着き、早々に軍の解散を宣言した。各地より集められた兵は数万にのぼる。それを一斉に帰らせた。
 石金が再び訪れてきて、
「私の言を、こうも早く容れていただけるとは思いませんでした。軍の解散があるにしても、朝廷の許しがあってからだと思っておりました」
 と言うと、陽明は、
「そうすることが正しいのであれば、いたずらにときを費やすべきではない。大軍の駐屯により日に消費する銀、米は莫大だ。このままでは梧州の倉庫はすぐに底をつく。兵は故郷を懐かしんでいる。気候が合わずに病に伏す者も多い。一刻も早く帰らせるのがよい」
「それにしても、招集した兵の全てを帰してしまってもよかったのでしょうか。私は兵を用いるべきではないと申しはしましたが、兵で威圧しつつ交渉をするのがよいと考えておりました。兵による威圧なしで叛徒はおとなしく矛を収めようとするでしょうか。都指揮使(としきし)の沈希儀(ちんきぎ)や参政の胡堯元(こぎょうげん)などは軍の解散に強く反対したと聞いております。この先叛乱が収まらない場合、朝廷の許しを待たずに軍を解散したことが問題とならねばいいのですが」
 と、石金は陽明のために心配をしたが、陽明は、
「叛徒に対してわが姿勢をみせるためにも早急な軍の解散が必要だったのだ」
 と、自信をもって言った。
 
 陽明の狙いは的中することになる。
 蜂起の直後は、猛の亡霊にも支えられて、田州の将兵の士気は天を衝くばかりだった。しかし官軍から府城を奪還したあと戦闘らしい戦闘もなく、猛はまだ生きているとの流言も賞味期限が切れ、士気が下がっていった。そこへ、知の巨人としてのみならず中華一の名将としても名が轟く陽明が総督に就き、田州、思恩討伐のために南下を始めたとの報がはいる。田州城内に不安が充満した。
 その後花蓮が陽明に会見し、田州に戻り会見での空気を伝えると、緊張が和らいだ。
 そして官軍解散の報がもたらされる。人々は胸を撫で下ろすと同時に、このまま籠城を続けるよりも、もはや投降すべきとの意見に傾いていった。
 そこで土目の黄富(こうふ)という者など十余人を陽明のもとに送り、その真意を見定めてみようということになった。
 黄富らが陽明のいる南寧に着いたのは一月七日。官軍の解散から十日余りしか経っておらず、官軍解散の情報が田州に伝わる時間と、黄富らが南寧まで移動する時間を考えれば、相当に早い。軍解散の効果がいかに大きかったかを物語っている。
 陽明は、二十日間と期限を定め、それまでに武装を解除して投降すれば、死を免じ財産も保全すると約束し、その旨を書面にして黄富らに持たせて田州へ帰らせた。
 この寛大な処置案に、田州土目たちは、これは策謀ではないか、と疑った。叛乱をおこせば武力で平定され、その首謀者は首を刎ねられるのがあたりまえである。盧蘇ら叛乱の首謀者は、蜂起を決意したときに十中八九死ぬものと覚悟した。ところが、誰も死なず、財産も失わないで済むというのだ。陽明は智将であり、よく奇策を用いることが知られている。明の兵をひとりも失わずに叛乱の首謀者を殺すための謀略に違いない、と土目たちは考えた。
 花蓮は、謀略であろうはずはなく、示された案を受け入れるべき、と説いた。
 しかし、土目たちの耳には、もともと叛乱から距離を置いている花蓮のことばは、陽明のことばをそのまま代弁しているに過ぎない、と聞こえる。
 盧蘇が花蓮に言った。
「乱を起こした者の首が刎ねられないで済まされるとは思えません。私の首ひとつを差し出せば他の者はみな許され、土官が存続されてこれまでどおり自治が認められるというのならば、この皺だらけの首など喜んで差し出しましょう。しかしそのような寛大な処置がなされるはずがありません。軍門は丸腰の土目を集めて一網打尽にし、首を刎ね、異議を唱える者がひとりもいなくなったところで田州を流官に改めようとしているのではありませんか」
「じゃあ、どうするって言うのよ。あなたたちが投降しなければ官軍を朝廷の許しなく解散した軍門は責任を問われ更迭されるかもしれない。そして新しく来る軍門は必ず大軍で攻めてきて、今度こそ田州は完膚なきまでに叩きのめされるわ」
「しかし、朝廷を信用することはできないというのが土目みなの考えです」
 と、盧蘇は頑なである。土目のなかでは思考が穏健で、花蓮の言うことによく耳を貸してくれる盧蘇がこうでは、他の土目は到底説得できない、と思い、
「どうしたらいいのかしらね」
 と、花蓮は長いため息をついた。
 そのため息を吐き切ったとき、ふと思いつき、
「それじゃあ、投降する土目に護衛の兵を付けるというのはどうかしら」
「は?護衛の兵ですか?」と、盧蘇は目を丸くした。「官が罪人に付ける兵は、罪人を引き回し首を刎ねる兵ですぞ」
「田州の兵を付けるのよ。官兵が手を出せないように護衛する兵」
「官がそのようなことを認めるはずがありません」
「どうかしら。やってみなきゃわからないわよ。大軍で南寧にはいろうとすればだめだと言われるかもしれないけど、官軍はもう解散したのだから大軍でいく必要はないわ。叛乱から距離を置いている私が率いる少数の兵ならば、土目の護衛として付くことが許されると思う」
 盧蘇は、
「果たしてそうでしょうか——」
 と眉に皺を寄せたが、花蓮は
「ともかく打診してみるわ。軍門が同意したならば私の兵とともに南寧にいきましょう。それでいいわね」
 と、有無を言わせぬ口調で言った。
 花蓮の申し入れは許可され、陽明が定めた期限の一月二十六日、盧蘇、王受のほか、叛乱の主要な者たち数百人が陽明のもとに投降した。全員が自分自身を縛っているが、縄の先を握っているのは花蓮の指揮下にある田州兵である。盧蘇、王受の両名に対しては杖一百の杖刑が科されたが、杖を打つのも花蓮の兵であり、手心が加えられ、形だけの刑執行がなされた。
 陽明は自ら投降者たちの前に出て、
「今日、爾(なんじ)らの一死を赦すのは、この天地は本来、生を好むという仁のゆえである。両名には杖一百を科したが、これはすなわち法は遵守されなければならないという義のゆえであり、社会秩序を保つためには必要なことなのだ。わかってもらいたい」
 と説諭すると、一同はその寛大な処置に深謝して叩頭し、その多くは感極まって涙した。
 
 そして陽明は、田州、思恩の新たな統治案作成にとりかかった。
 広西に至るまでの道々で土地の有力者や行商人、軍関係者などから広く情報を収集し、その結果、地元民による自治を相当程度認めるべきと考えるに至っている。一方で、田州には斟酌されるべき事情があったとはいえ、今後同様の乱が起きることがないよう体制を整備しなくてはならない。
 陽明の統治案はこうである。
 田州府を田寧府に改めて流官の知府(府知事)を置くこととするが、府の中心部分を田州州として猛の後継者を土官に任じ州事を統べさせる。府の残りの部分については十八の土巡検司(とじゅんけんし)(州や県よりも小さい地方行政単位)を設置して盧蘇らの土目を土巡検(とじゅんけん)(土巡検司の長官)に任じることとする。思恩府についても流官の知府を置くが、九の土巡検司を設けて王受ら土目を土巡検に任じて統べさせる。
 全体を流官の知府の管理下において監視できるようにしつつ、従来どおりに岑氏や土目による土地の領有と自治を認め、かつ、猛の家は、田州府内の最大版図であり唯一の州の土官とすることにより、田州の酋領としての地位を保たせる、という案である。
 さらに陽明は田州、思恩に学校を建て教育面を整備するなど、民政による両地の治安回復と復興をはかった。
 姚鏌による田州討伐の決定から数えれば二年の長きにわたった擾乱は、武力に依らずして、こうして完全に鎮まった。

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『倭寇の海英傑列伝 瓦氏夫人』は、16世紀の広西壮族の女性で、一軍を率いて倭寇に勝利したスーパーヒロイン、瓦氏夫人をモデルとして描く大河小説です。こちらではその全文を連載で掲載しています。
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