ヒカリGO

 拙著『未来技術奇譚集 素顔のままで』より『ヒカリGO』というショートショートをご紹介します。
 ヒカリGOは文字通り光速での旅行を可能とする乗り物です。乗り物というより瞬間転送装置といったほうが正確かな。スタートレックで乗員が惑星に上陸する際に使われる、あれですね。「ぼく」の身体がスキャンされているときにヒカリGOが故障します。転送は正しくおこなわれ遠隔地で再生されたものの、出発地での消去がなされず、「ぼく」がこの世にふたり存在することになってしまい。。。

ヒカリGO

(ヒカリGOに乗るのはこれで何度目かな)
 ぼくはシートの背もたれを倒しながら、考えた。
 ヒカリGOは乗客を瞬間的に遠隔地に転送する装置だ。乗客の身体は細胞に至るまで完全にスキャンされ、遠隔地で再生される。記憶も体調もそのまま引き継がれるが、身体を形作っていた粒子が送付されるわけではなく、電気信号と量子のもつれを利用して情報のみが送付される。もとの乗客の身体は全身のスキャンが終わった直後に消去される。百年ほど前に超特急といわれた鉄道の名にちなんでヒカリGOと名付けられた。百年のときを経て、文字通り光の速さでの旅行が可能となったのだ。
 背もたれが完全に平らになった。これからシートごとトンネル状のスキャナーにはいっていく。
 ヒカリGOに初めて乗ったときは怖かった。というか、もとの身体が消去されるのであれば、それは自殺と同じで、絶対に乗りたくないと思った。しかし、会社の上司に「世界中を飛び回るのがわが営業部の仕事。それができないのなら他の仕事を探せ」といわれ、家族を養うために失業するわけにはいかないぼくは、しぶしぶ従ったのだ。宗教上の理由とかでヒカリGOを利用しないというひとは少なくない。でも、一度乗ってみると、怖がっていたことがバカバカしく思えてくるのだった。痛みもなければ痒みもない。意識は完全に連続していて、自分が一度死んだというような感覚は全くない。
 ぼくの身体の半分がトンネル状のスキャナーのなかにはいった。もう、へそのあたりまでスキャンし終わっただろう。
 ヒカリGOは開業以来安定して運営されてきており、死亡事故ゼロ記録を更新し続けている。ぼくは一年に二度、夏と冬とに出張で隣国のS市に行くのに利用しているが、五年前に初めて利用してからいまに至るまでのあいだにトラブルを経験したのは半年前の夏の出張のときの一回だけだ。S市からT都に戻る際に停電があり、スキャンが途中で停止した。とはいえ補助電源がすぐに作動して、ぼくは無事にT都に戻った。
 スキャナーが首のあたりまで来た。あとは頭だけだ。ぼくは目を瞑った。
(なんだか腹が減ったな。S市に着いたらすぐにラーメン食いにいこう)
と考えたとき、シートが止まった。
(おい、また停電か?)
 発展途上国の都市であるS市ではしばしば停電があるが、T都での停電は稀だ。ぼくはよっぽどついていないらしい。まあ、おそらくまもなく復旧するだろうし、停電が長引いたとしても、今回も補助電源がすぐに作動するだろう。
 ところが、シートはなかなか動き出さなかった。闇のなかでなにもできないでいるから時間を長く感じているのかもしれないが、スキャナーが止まってからもう十分以上が経っているように思う。
(あれ?そういえば、ぼくはいまどこにいるんだろう)
 T都で停電になり、まだT都にいるものと思い込んでいたが、もうS市に着いていて、S市で停電に遭ったのかもしれない。電力事情の悪いS市でならば半年のあいだに似た状況で二度停電に遭遇したとしても驚くことではない。
 出発地でのスキャンも、身体の消去も、目的地での再生もトンネル状の装置のなかでおこなわれる。乗客の感覚では、シートがゆっくりと動いて足から装置にはいっていって、シートに寝たままでトンネルを抜けて、足から出てくる。だから、ぼくがS市に着いているのならばシートのうえに寝た状態で足からトンネルのそとにでていくはずなのだが、いつまで経ってもシートが動く気配がない。
 ぼくは仰向けのままで背中を滑らせて、足のほうから装置のそとに這い出た。
 ヒカリGOの座席は窓のない個室のなかに設置されている。部屋のなかの電灯が点いていた。どうやら停電ではなく、ぼくの利用した装置になんらかの故障があったということのようだ。
 トンネル状の装置の脇には転送の進行状況を色で示すランプが設置されている。
 ランプの色は、緑だった。
 緑のランプは目的地での再生が完了したことを示している。
 すなわちぼくは無事目的地に着いたらしい。
 安心したぼくは再び空腹を感じ、伸びをしながら
(さあて、ラーメン食べにいくぞ)
と頭のなかでいって、個室のドアを開けた。
 乗降客でごったがえすコンコースを抜け、駅の出口に向かって小走りでいった。

 駅のそとに出て、冬の低い太陽の斜めの光を頬に浴びたとき、
「えっ、どういうこと」
と、思わず高い声が出た。
 それは、T都の駅前広場の景色だったのだ。
 装置から這い出たとき、グリーンのランプが再生の完了を示していた。とういことはS市に着いているはずなのに、ぼくは未だT都にいる。
 これはつまり、S市で再生がなされたにもかかわらず、T都での停電のために消去されなかったということか。ということは、ぼくはT都のぼくとS市のぼくのふたりになってしまったということなのか。
「えっ、どういうこと」
と、今度はゆっくりと低い声で、自分に問いかけるようにいった。
「いったいどうすればいいんだ」
 おそらく、すぐに駅に戻り、S市でぼくが再生されていることを確認してもらったうえで、T都のぼくを消去してもらわなければならない。
 腹が「ぐうぅ」と間の抜けた音を出した。
 そうだ思い出した。腹が減っているんだった。
 まもなく消えるこの身体の空腹を満たしてもしょうがないという気もするけれども、ぼくの目には駅前のラーメン屋の看板が映っており、そこからほのかに漂ってくる美味しそうな香りが鼻腔をくすぐっている。
 本能に抗うことはできず、のれんをくぐった。
「よっ、まいど」
と、店主から威勢のいい声が掛かった。ここは出張から帰ってきたときに毎回立ち寄る店なのだ。
 不思議な感じがした。
 本来ぼくはここにいないはずの人間で、本物のぼくはいまごろS市を歩いている。それなのに店主は、なんの疑いもなくぼくがここにいるものと思っている。
 ほどなくして目の前に味噌ラーメンが出された。
 うまい。
 シコシコの麺と濃厚なスープが身体の隅々にまで染みわたっていく感じがした。
 冬にラーメンを食べるとなぜだか鼻水が出る。僕は鼻水と麺を交互にすすった。
 これが最後のラーメンなのだ。
 こんなにうまいものが、明日にはもう食べられない。
 鼻水とともに、涙が出てきた。
(あれ?どういうことなんだ)
 どうしてぼくはこんなことを考えているのだろう。
 今日、ヒカリGOに乗るまでは、二度とラーメンを食べられないとなど考えなかった。
 なぜさっきは全く考えなかったのか。それは、ヒカリGOに乗っても意識に途切れがないぼくがラーメンを食べると思っていたからだ。
 いまのぼくはどうか。駅に戻り、ぼくが消去されたとき、いま食べたうまいラーメンの記憶は引き継がれることはない。この世から消えてなくなってしまう。
 そう考えているうちに、消去されるのがすごく怖くなった。一杯のラーメンの記憶だけれども、この世から消したくはないと思った。
 このあと駅に戻りさえしなければぼく――T都のぼく――は存在し続けることができる。ぼくがふたりいることになってしまうが、ぼくと、S市にいるぼくのどちらが本物なのか、誰にもわかりはしない。なにしろ、どちらも本物なのだから。
 しかし、ぼくがふたりいると、いったいどうなるのだろう。果たしてふたりは共存できるのだろうか。
 考えてみると、次から次へと問題点を思いつく。
 パスポートはどうなるのか。二重に発給されるとは思えないので、どちらかは海外に出られなくなる。免許証だってそうだ。どちらかは車を運転できない。年金は?これまでひとりぶんしか積んできていないのでふたり分が支給されるはずはない。
 役所に「事故でひとりがふたりになってしまいました」と届け出れば戸籍を分けてもらえるだろうか。同様な事例が多数あれば戸籍を分ける法律が作られるかもしれないけれども、めったにないこととなればどちらか一方の存在を消すということになるかもしれない。となれば、もともと消去されるはずだったぼくは圧倒的に不利だ。
 職場はどうなる。会社がぼくのことを有能でぜひとも必要な人材だと思っているのなら、もうひとりのぼくをも喜んで雇い入れるだろう。でも、ぼくの営業成績は悪く、会社はもうひとりのぼくなどいらないというに違いない。
 人間関係もややこしい。妻と五歳の息子がいるが、息子は父親がふたりになれば喜ぶかもしれないけれども、妻はどうだろう。兄弟がひとりの女性と結婚する民族もいるそうだから、ふたりの夫がいることも平気な女性もいるかもしれない。でも、以前ぼくが浮気したときに狂ったように怒りキッチンに走って包丁を握って戻ってきた妻の場合は、一妻多夫制など到底受け入れられないように思う。
(だめだ。共存は無理だ)
 しかし、ぼくは生き続けたい。
 となれば、答えはひとつ。
 S市のぼくに消えてもらうしかない。

ぼくはその足で空港に向かった。ヒカリGOを使うのが怖くなったので、未だに日に一往復だけ運行されている飛行機に乗り、四時間かけてS市に行く。
 S市のぼくが、T都のぼくが消去されていないことを知れば、彼はぼくの行動を正確に予想することができるので、ぼくが彼を消去しにくると思うに違いない。警戒されてしまえば彼を消すことは難しくなるし、へたをすればこっちが消されてしまうかもしれない。ゆえに、急がなくてはならない。今夜中に彼を消してしまいたい。
 治安の悪いS市では、ヒカリGOの人間消去の技術を携帯可能にした拳銃型の装置を簡単に手に入れることができる。
 S市の空港に着いたぼくは闇市場へ直行し、携帯型消去装置を入手した。
 ぼくはS市のぼくの行動を正確に予想することができる。
 S市に出張するときは、夜にホテルに戻る前に必ず行きつけの小さなバーを訪れる。そこでカウンター越しのマスターとたわいない話をして過ごし、午前一時頃にバーを出て二十分ほどを歩いてホテルに帰る。その帰り道の途中で人も車もほとんど通らない暗い路地を抜ける。
 そこで、決行する。
 午前一時少し前、路地を見通せる電柱の陰に身を潜めた。
 今夜のうちに確実に終わらせるために、早めにここに来た。S市のぼくが現れるまでにはまだ二、三十分あるだろう。
 S市は緯度でいえばT都と対して変わらないのだが、大陸性の気候のためT都より夏は暑くて冬は寒い。特に冬の夜の寒さは身にこたえる。
 刺すような冷たい風が路地を吹き抜けていった。
 じっとしていることに耐えられなくなり、
「下見でもしておくか」
と呟いて、電柱の陰から出た。
 頭のなかでシミュレーションをしながらゆっくりと路地を歩く。
 ぼくが消去されずに存在していることを知らないS市のぼくは、ぼくの顔をみて、きっと「なぜ、ぼくがここに」と驚くだろう。
 ここに至った経緯については説明してやったほうがいいだろうな、と思った。相手はぼくなのだから、そのくらいのやさしさは与えてやってもいい。
 そのとき、背中になにか硬いものが当たる感触があった。
 半身になって首をうしろに向ける。
 そこには、ぼくが立っていた。手に携帯型消去装置を握っている。
 ぼくは震える声で訊いた。
「な、なぜ、ぼくがここに」
 もうひとりのぼくが、落ち着いた声でいった。
「待っていたよ。きみがここに現れるのを。半年間、ずっと」​

(ヒカリGO おわり)

本作は『未来技術奇譚集 素顔のままで』収録作品です。『未来技術奇譚集 素顔のままで』では、本作のような「技術の進歩が社会にもたらす不可思議を描くショートショート」8本をお読みいただけます。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?