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「応援すること」も立派なコンテンツだ

お金を払う一番の理由が「応援」になる時代

一生懸命やっている人に、人は心を動かされる。応援したいと思う。ファンになるというのはそういうことだと思います

もう3年も前になるが、2021年11月に「Yahoo!ニュース オリジナル 特集」で取材を受けた時に、ぼく自身が話した言葉だ。なぜこんな昔の記事を掘り返したかというと、OSIROを導入された企業ではないのだけど、ファンの「応援したい」と思う気持ちが大きな力になっている素晴らしい企業を見かけて、感動したからだ。

その企業は、「COTEN RADIO」を運営する株式会社COTENさん。その人気はもはやぼくから語る必要はないと思うけど、軽快な語り口から伝わってくる国内外の歴史への偏愛っぷりに、ぼくは強く共感している。そんなCOTENさんのnote記事によれば、同社を「応援」するCOTEN CREWの数は約1万人の規模になっている。

2022年に法人のCOTEN CREWを募集を開始した際の情報によると、個人のCOTEN CREWが応援を決めた理由は、「COTENの事業を応援するため」「COTEN RADIOのメンバーが好きだから」「番組存続のため」これらで全体の約76%を占める。上記のnote記事にも書いてあるとおり、COTENさんの事業に広告を出したいと思う企業は数多くあるが、あえてやらずに事業への共感、「応援したい!」と思う気持ちそのものを収益モデルとするその姿勢は、本当に素晴らしいと思う。

現代では、消費やお金を払う動機の上位に「応援」があがる。社会に浸透した「推し活」もそうだし、「エシカル消費」もそれにあたる。でも、なぜぼくたちはこれほど「応援したい」のだろうか。

「応援」の本質とウェルビーイング

「応援」の本質を探っていくためのひとつのキーワードは「自己投影」がある。それは言い換えれば「夢を託す」ともいえるかもしれない。人には全員、生まれもって自己を表現したいと思う欲求がある。しかし、かつては今ほど簡単に実現できるものでもなかったし、表現する場にアクセスする壁は高かった。しかし、今は自分の個性を表現できるプラットフォームが多様化・簡略化し、誰もが自身の表現をアウトプットできる時代になった。

そういった場所で、ぼくたちはかつて自分がなろうと思っていたものを目指し、懸命に努力する人と出会う。そんな時に、ぼくらはかつての自分を重ね、有名無名は関係なく、応援せずにはいられなくなってしまう。コンテンツだってそうだろう。たとえば、ファンタジー漫画であっても、キャラクターが見せる人間性や弱さに自分を重ねることもある。そんなキャラクターの姿をずっと見ていたい、色褪せてほしくないと思うから、ぼくたちは応援しつづける。

そして、応援は人をエンパワーする行為だけど、同時に自分自身をモチベートするものでもある。これは決して自分よがりな考えだけではなくて、最近読んだ産業医の三島雅辰さんの著書『すごい幹細胞 「老けない人」の7つの習慣』(オレンジページ)を読んでいて、「推し活」に関する興味深い記述がある。

同著では「推し活」が人間にもたらす効能について言及されていて、「推し活」はいわば「リトル恋愛」ともいえるもの。人は恋している時には報酬系ホルモンであるドーパミンが分泌され、意欲や幸福感を向上させ、ネガティブな感情を払拭することにも役立つとのこと。対象はアイドルやスポーツ選手、アニメ、さらにはペットなども対象になる。当然節度を守ることは大事だけど、医学的な見地からも「推し活」をすることはとても良いこととされる。

応援している推しがより良いステージに進んでいくことは、自己投影する自身の自己肯定感を上げることにもつながるし、偏愛ともいえるものに熱中している時は、ネガティブな感情から自身を遠ざけられる。そして、推しの情報を収集したり実際に会いに行ったり、推し友と交流したりする時には、孤独を感じづらい。

このように、応援は「する側」にもとても大きなベネフィットを得れているといえる。言い換えれば、ぼくたちは「応援」するという行為自体をコンテンツとして捉えることもできる。応援するというコンテンツから、幸福感や自己肯定感、活力を得ている。つまり、応援はウェルビーイングな営みなのだ。

応援の力を継続させることが「OSIRO」の存在意義

当然、表現者にとっても、応援される力は大きい。たとえば、コロナ禍により無観客試合を余儀なくされたプロスポーツ界では、応援の有無によるアスリートのパフォーマンスの差がしきりに研究された。東京大学とパナソニック、パナソニック野球部が行った共同研究によれば、スピーカーとマイクを使った「リモート応援」であっても、投手のピッチング精度は平均35%向上したという。

多くの人の応援が一つになった時、その力は足し算的にではなく掛け算的に増幅していく。そして、応援には「お金」と「エール」があり、表現者が挑戦を続けていくためには、どちらかではなくその両方が必要だ。ただ、ぼくは単に投げ銭をすればいいとか、多額のお金を「推し」に注ぎ込めばいいとは思わない。それこそ最近問題になっている「推し活」の闇の部分であると思うし、継続性がなければ活動も先細りになってしまう。もちろん、「いいね!」だけでは表現活動をするアーティストやクリエイターは生きてはいけない。行き過ぎたお金の支援は時として劇薬にもなってしまうけれど、本心から応援したいと思っていただいた応援金は、額面以上の力と重みが伴う。

だからこそ「お金とエール」はセットでいなければならないし、表現者への第一歩には表現活動を続けていくための心のエネルギー、原動力が必要だ。

ぼくたちがOSIROを開発したのは、表現者が活動を継続するための仕組みをつくるためだ。つまり、ファン同士が強い絆をもち、一過性でなく継続的な「お金とエール」が得られる場を創出したい。応援団同士が仲良くなることができたら、その場が居場所になる。そうすればお金とエールが途絶えないから、結果表現活動を継続できる。これこそが「OSIRO」の存在意義であり、創業時から「人と人が仲良くなる」という思想を重視しつづけている。

この「人と人が仲良くなる」については、次号で詳しく説明していきたい。

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