1. 収奪について

2019年になってから毎週末のように人に会っている。意図していたわけではないんだけど、気付いたらそうなっていた。

ぼくは人と会うことが好きだ。以前、はてなブログにそんなようなことを書いたのだけれど、誰かと関わることで新しい価値観や習慣などを知って自分をアップデートすることが好きだ。

ありがたいことに概ねうまくいっていて、いくつかわかったことがある。まずいちばん大事なのはその人との相性で、会う前にそれを確認する手段としてやっぱりツイッターは強い(言い忘れていたけれど、ひさしぶりな人と初めてな人、だいたい 6:4 くらいの比率だったと思う)。ここがいちばん大事で、ここが問題なければだいたい楽しいことになる。

東浩紀がインタビューの中でこんなことを言っている。

無制限にする必要はないけど、とりあえず3時間にするのがいいですよ。僕の今までの経験から言うと、人は2時間までは何も大事なことはしゃべらないですね。特に初対面の人との場合、その人が今まで言ってきたことの繰り返しみたいなことしかしゃべらない。

これは(自身が経営するゲンロンカフェでの)トークイベントについてだけど、だれかと雑談するときにも適用できることだと思う。話が合いそうという予感があって、3 時間くらい話せたらもうバッチリ。常にせわしなく何かに追い立てられる現代社会において 3 時間というのはなかなか確保しづらいとも思うけれど、そういうときにもツイッターは役に立つ。ツイートで人となりをある程度把握しておけば 30 分くらいは省略できる気がする。別に平成も終わる今に「ツイッター最高!」とか言いたいわけではないんだけど。

時間を確保するのともうひとつ、きちんと話すために大事なことがあって、単純に人数は少ないほうがよい。かずおくんが「参加者が 10 人以上いる飲み会はいてもいなくても同じなので全部行かないことにしてる」と言っていたのを思い出す。大勢で集まる楽しさもわかるし、ぼく個人としてはそういう状況でも割とそつなくこなせるんだけど、帰りの電車で虚しくなりがち。簡単に言うと、モブ扱いされるのがイヤなんだと思う。それは自分本位な話ではなく(それも否定はしないけど)、自分が他の人たちを尊重できないことでもあって、そういうのは全然好みではない。

ふと、「これじゃあまるでぼくは出会い厨みたい」と思ってしまう。参ったな。いやいやそんなんじゃない、これは「出会い厨 2.0」なんだ、人脈をつくって視野を広げて新しい自分と出会おう、みたいなことを言い出す人間がいたらひっぱたきたい。そんな人間がいなくてよかった。でもいそうじゃない? なんかオンラインサロンとかやったりして、それを取り巻きが無批判に持ち上げて…というところまで見えたんだけど、「見えた」ってなんだよ、なにを言ってるんだろうね、ぼくは。

話が逸れた。

ところで、人が集まってもずっと気持ちよく過ごせる空間というのもあって、そういうものにめぐりあえると感動してしまうんだけど、その空間がそうであるために費やされたコストのことを考えると、申し訳ない気持ちになる。先人たちが苦労して(してないかも知れないけど)築き上げてきたもの、そのいちばんおいしい部分を収奪してしまっているのではないか。

5 年前に立ち上げて今はすっかり開店休業状態となっている osicomagazine というウェブサイトがある。更新が止まっている理由のうち、言葉にできていることがいくつかあるのだけれど、この「自分は誰かが努力を支払って積み上げてきたことを収奪しているだけなんじゃないか」という疑念は、かなり大きな割合を占めている。関わってくれた人たちに対価を支払えているかというと全然そんなことはなくて、それでもよいとみんな言ってくれるのだけど、いや〜、ぼくが無理だったよね! 「地方創生」みたいなお題目に対してひょこっと現れた東京の人間が適当なイベントをやって終わらせて後になにも残らない、というような話と同じ。そんなの絶対イヤでしょ、でも現状、自分にはなにも提供できん、みたいな。

かと言って、じゃあクラウドファンディングだという風には微塵も思えない。なんでだろうなあ、「覚悟」の問題? それも間違いではなさそうだけど、すべてではなさそう。一時的にブーストしたところでなんの意味もないなと自分は思ってしまう。一時的なものではなく、それを契機にずっと継続できているものがあるのは知っているけど、自分がそれをやれるのかというと、かなり自信ない。

ひとつのコミュニティーにとどまるよりは、いろんなところに顔を出せるフットワークの軽さを重視したい。そう考えて生きていたのだけれど、そうしている限り収奪に関する疑念は払拭できそうになく、軌道を修正する必要がある。でも、根拠はないけど、なぜか全然できる気がするんだよね。不安はまったくなくて、まだまだ変化の余地があることのうれしさのほうが大きい。手放しちゃいけないものなんて、ひとつも持ってないし。

ではでは。


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自分で確かめたことだけを信じて生きています https://osicoman.hatenablog.com

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