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「変わらないもの」〜ユ小説〜

あの時の、うつむいた彼の真剣な表情。

ピアノの白い鍵盤と、
彼の、
白いけれど男の子の指を、
部屋いっぱいに降り注いでいた夕日と
遠くから聞こえる野球部の声と共に、
鮮明に記憶している。

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私たちは同じ学校のバスケ部で、
彼は部のメンバーの中で
一番初めに仲良くなった男の子だった。

愛想のいい子ではなかったけど
同じ体育館で部活動を行う男子側のコートで、
友達とふざけて転げまわる彼の姿は
見ていて微笑ましく、
自然と友達の輪は広がっていって、
気付けば一番、
気兼ねなく話が出来る男友達になった。

彼は、
バスケットボールプレイヤーとしては小柄で、
目立つ選手ではないながらも、
その持ち前の猫のような俊敏さと
しなやかな肉体から繰り出される
ボールさばきが抜群で、
いいバスケするな、なんて、
友達ながら感心することがあった。

部活動が終わる時間が一緒のことも多く、
帰る方向が同じだった彼とは、
その日にあった教室での下らない話、
先生の他愛もない悪口や
最近はまっている漫画のことなど、
だらだらと気兼ねなく話しながら自転車で並走し、
それぞれの家の分かれ道で手を振って別れる、
そんなありふれた日常を過ごす仲間になった。

やれ、誰と誰が付き合った、
あいつはあの子が好きらしい、
そんなことが世界の中心だった幸せなあの頃。

だけど、周りの皆も、
彼と私にその気配は感じないらしく
特に誰から何を揶揄されることもなく、
自然と「じゃあな」と手を振りあって皆と別れ、
ただ、だらだらと二輪の上で
とりとめのない話を 二人で続けながら、
私たちは友達を深めていった。

でも、ほんの少し、
ほかの友達とは違う何かを、
自分の中に感じ始めていたある放課後。

音楽室の前を通り過ぎようとした時、
室内に目をやった私は、
その場所から動けなくなってしまった。

彼が、ピアノを弾いていた。

あまりの驚きにすぐには声を掛けられず、
部屋の入口から少し姿を隠すようにして
彼の姿を見ていた。

彼の顔には、
バスケをする時とは違う
やわらかな真剣さが宿っていて、
心地いいピアノの音に包まれながら
そんな彼の表情と綺麗な指使いを、
時間を忘れて見入ってしまった。

何曲か弾き終わり、
彼がピアノから手を離した時、
恐る恐る彼に声を掛けた。

「…びっくりした。ピアノ弾けるんだ」

『うっわ… いつから居た?』

「なんか、途中から」

『な…んだよ。声かけろよ』

「ごめんごめん。え。習ってんの?」

『あー? ううん、自分で、適当に』

「え。うそ…すごくない?」

『まあな』

急な出来事に明らかに照れている彼は、
素っ気なくそう言って
ピアノから離れようとした。
なんだかとても惜しい気持ちになって、
慌てて引き留める。

「待って待って。なんでピアノ?」

『え。別に?好きだから、音楽』

「それであんな詳しいんだ」

彼が時折教えてくれた、
知らない外国のミュージシャンや
色んなジャンルの音楽の話を思い出して
そう言った。

彼の秘密を見たような気がした私は、
何故だか少し、自分のことも話したくなって、
ぽろっと言ってしまう。

「言ってなかったけどさ…私もちょっと弾けるよ、ピアノ」

『うそ』

「もうやめちゃったけどね、
 小学校卒業するまでやってた」

本当はもっと続けたかったけど、
家庭の事情で辞めざるを得なかった。

家族が二つに分かれて、
引っ越しを余儀なくされたため
続けられなかったピアノ。
事情が事情なだけに、言い出しにくく、
周りの誰にも言っていなかったこと。
彼になら、今なら、言ってもいい気がした。

『へー...なんか今、弾けんの? 弾いてよ』

「えとね、発表会でやった曲、
 多分覚えてる。
 でも久しぶりに弾くからさ。
 全然自信ない。 笑ったら殴るよ?」

『いいから弾いてよ』

彼からぶっきらぼうに促された私は、
ピアノの前に座ると、
恐る恐るピアノを弾き始めた。

久しぶりに弾くピアノは、
指になかなか馴染まず、
こんなに重かったかな、指が開かないな
などと思いながら 弾いていたけれど、
だんだんと感覚がよみがえってきてからは、
鍵盤を渡る自分の指の感覚が心地よく、
あの頃の楽しい気持ちが
徐々に湧き上がってくるのを感じた。

彼はというと、
私が古い記憶を引っ張り出して
たどたどしく弾くピアノを、
鍵盤の横で、黙って立って見ていた。

そして、 あるところから、
おもむろに私の横に腰を掛け、
ふいに両手を軽くあげたかとおもうと
隣で連弾を始めた。

驚いて横を見ると、
一言
「知ってるし」
そう言って、
まっすぐ前を見たまま、ピアノを弾く彼。

なんだか不思議なことになったなと思いながら、
そのまま彼の隣でピアノを弾き続けてみる。

私が少し指の運びにつまると、
彼もわざと少したどたどしく、
私が滑らかにつま弾くと、
彼も同じ滑らかさで。

気付けば
完全に彼との連弾を楽しんでいる自分が居て、
弾きながら、知らない間に笑みがこぼれていた。
横は見ていないけれど
隣で彼も、笑っているのが分かった。

音楽室だということを忘れて、
私は、私たちは、
夢中でピアノを弾いた。

そして 1曲弾き終わって
ピアノから指を離した瞬間、
ふと、我に返った。

夢中になっていた自分の姿と、
昨日までと全く違う姿の彼が隣にいることが
急に恥ずかしくなる。

顔が急激に赤らむのを感じた私は、
彼に見られないよう、
慌てて床に置いた荷物を手に取った。

「帰ろ!」
そう立ち上がった私に、
聞きなれない言葉が返ってきた。

「俺と、付き合って欲しいんだけど」

その一瞬の、永遠。

青春、 なんてものがあったかと聞かれたら、
間違いなく、
私の青春はあの音楽室に詰まっている。

夕日も、遠くから聞こえる野球部の声も、
ピアノに掛けられたカバーの
埃っぽい匂いも、
胸がきゅうっとする、青い春の記憶。
本当によく覚えている。

そして、
彼を大好きな自分の気持ちに、
急に気付いてしまったことも、
彼のうつむいた顔を見続けることが出来ずに
横を向いて、かろうじて頷いたことも、
呆れるほど、よく覚えている。

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だけど。
簡単なことを簡単に出来ないのが、
青い春の常で。

その日から私は、
彼に近づけなくなった。
自分でもわかるほど
昨日までより彼を好きなのに、
好きだと思えば思うほど、
彼に近づくことが
どんどん出来なくなっていった。

そして彼も。

廊下ですれ違う時も、
体育館での部活中も、
帰りに自転車置き場で会った時も、
私の目を見ては、くれなくなった。

あんなに楽しかったのに。
ただ話がしたいだけなのに。
こんなに好きなのに。

どうすることも出来なかった。
私が恥ずかしさを乗り越えられずにいる間に
一度彼と私の間にできた小さな隙間は、
気付けばどんどん広く大きくなってしまい、
部の誰よりも話さない友達になって、
結局、卒業まで、その関係が変わることなく、
彼と私は、それぞれの道に旅立った。

今ならわかる。

幼い私達は、
「付き合う」 この言葉と、
昨日までの自分たちを
うまく繋げることが出来なかったんだ。

自分の心をコントロールすることが
出来そうで出来ない、青い私達。
好きのその先に自分たちを当てはめていくには、
色んなものが足りていなかった。

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それから、彼がどうしたのか。
私がどうしたのか。

私は、
地元から出たいという思いがなかった訳ではないが、
この土地への愛着もあり、また、
就職が決まったことや、
家族を残して出て行けない状況など、
様々な要素が重なって、
この土地に留まり続けていた。

そして彼は。
学生時代の友人から、
音楽を本格的に仕事にする為に
都会に出て行ったと 聞いたのが、
十何年前のこと。
そして最近になって、
色んな流行に疎い私のところにまで届くほど
彼は、その道で名をあげることに成功していた。

地元に帰ってくることはあるかもしれない、
でも、もう気軽に会えるような
そんな存在では無くなってしまった。
彼の成功を嬉しく思いながら、
一抹の寂しさを覚えていた私は、
調べればすぐに分かるであろう現在の彼の様子を、
見ることすらも、敢えてしようとはしなかった。

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「彼、今度無料でLive中継やるって。すごいよね」
ある日、学生時代の友人から入った一報。

その、短い時間配信されるという
チャリティLiveの中継を見るかどうか、
何故か私はとても迷った。

今現在の彼を見たいという気持ちと、
この土地から遠く離れ、
有名人になってしまった彼を見る怖さで
いったりきたりしながら、
結局、当日、スマホをセットし、
友人に教えられたそのサイトにアクセスをした。

暫くCMが流れたあと、画面が切り替わると、
緩いウエーブのかかった髪を耳にかけた、
白い肌の男の人が映り、
ピアノを弾き始めた。

(え? 彼?)

中学の時の彼で
私の中の映像は止まっているから、
今、画面の中でピアノを弾いている
大人の男の人と、
記憶の中の彼が最初は結びつかず、
同一人物だと認識するのに、
少し時間が掛かった。

でも。
そこに居たのは、 やはりまぎれもなく、
彼だった。
時折その横顔には、
あの頃の青い彼が姿を現す瞬間があって
ああ、やっぱり彼なんだ、
と安堵するような 不思議な気持ち。

そして、その優しいピアノの音色は、
真剣にピアノを弾く横顔は、
私の記憶の扉を一気に押し開き、
自分でも気づかないうちに、
思い出さないよう仕舞い込んでいた あの頃の彼を、
一気にこの場所まで、連れてきてしまった。

すっかり大人になった彼は、
なんていうか 本当に
とても素敵だった。

精悍な大人の男の人の顔をしていたけど
年齢なりの柔らかい落ち着きも
そこにはあって。

こんな風に素敵に歳を重ねていたんだな、と
じんと心に染みる思いがした。

あの頃から、
この、一見きらびやかに見える世界に辿り着くまでに
どんな年月を送ったのだろう。
私には想像できないような
つらい日々がそこにはあったんだろうか。
どこまでの努力を重ねたのだろうか。
こんな風に自分の夢を叶えられるなんて、
本当に、すごいことを
君はやってのけたんだね…。

今ここにいる彼を素直に称賛する気持ちで、そう思った。

でも。やはり。
とても彼を遠く感じた。

知っていた懐かしい彼なのに、
もう、知らない人になってしまった、
そう感じることを止められないまま、
四角い画面の中の彼を見ていた。

何曲か弾き終わったあと彼は、
カメラに向かって正面を向き、
その短いチャリティLiveが 
予定されている終了時間を迎えること、
次が最後の曲であることを告げ、
そして、こういった。

「最後に、この大好きな曲を、
 皆さんと、 故郷の古い友人に贈ります」

最後の曲のイントロを彼が静かに弾き始め、
あるところまで来た時、
その聞きおぼえのある懐かしいメロディが、
急に彼の指先から奏でられた。

そのメロディを聴いた瞬間、
私は、
自分がどこにいるのか分からないような、
不思議な感覚に陥った。

自宅のリビングにいるのに、
あの音楽室の空気が、
ふいに私を包んだのだ。

単調できれいな旋律から始まるその曲は、
あの日、
私と彼が、二人で奏でた、あの曲だった。
あの日二人で夢中になって弾いた、
あの、大事な大事な曲だった。

彼の白い指から奏でられるその曲を聴きながら、
私は、
溢れる涙を止めることが出来なかった。

覚えていてくれたの?

あなたにとって、あの日は、
綺麗な思い出でいてくれたの?

そしてもしかしたらあなたも、
私と同じ歯がゆさと切なさを、
あの頃、持っていてくれていたの?

私の想いも共に運びながら、
彼の演奏は進んでいく。

そう、指、あの弾き方。
彼の、指をぺたりと寝かせたまま弾く
ピアノの弾き方。
「もっと指を立てて弾かなきゃだめだよ」
あの時、そう注意したのに。

相変わらず、あの弾き方で、
こんなにきれいなピアノを、
君は弾いているんだね。

変わらない。
なにも変わらないんだ、君は、きっと。

この曲が、
古い友人という言葉が、
私に向けられたものなのかは、わからない。
そんなことは、
もう、どうでもいいと思った。

きっと今、
皆が同じ想いでいるだろう。

この土地に留まった
昔から彼を知る沢山の人たちが、
今、きっとこの演奏を、
自分に向けられたものだと思い、聴き、
あの頃好きだった彼の暖かさを思い出し、
同じように暖かな気持ちで、
彼を想っているに違いなかった。

動画の配信が終わったメッセージを見届けて、
スマホの画面を閉じた私は、
濡れた頬をぬぐうと、
ゆっくり立ち上がった。

部屋の隅で、
ほのかな点滅を繰り返す
クリスマスツリー。
その横の、滅多に触ることのない、
ピアノ。

ピアノの前に座った私を見て、
かわいい声が嬉しそうに聴いてくる
『ママ、ピアノ、弾くの?』

「うん。クリスマスのね、
 きれいなおうたがあるの。聴きたい?」

“Merry Christmas, Mr. Lawrence”

この曲を、私もここからあなたに贈ります。

いつか帰ってきた時、会えるかな。
その日を心待ちにしながら。

Merry Christmas, 私の初恋。

〈完〉


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