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ぜんそくバッジシリーズにこめた想いと未来

ありがたいことに最近
ラジオやネットメディアさまの取材を通してお話しさせていただく機会があり、
ある作品シリーズの背景や大切にしている想いをこちらのnoteにも綴ることにしました。

■ぜんそくバッジというものを作ったきっかけ

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「喘息があり咳をすると、このご時世もあり周りの方の目が気になる」

そんな悩みや誤解を軽減するのに役立つかもしれない、「ぜんそくがあります」と書かれたバッジ。

Twitterでふとその存在を知り、
実際に私の息子も喘息なので
息子のリュックにつけるならこんな缶バッジだったらいいな、 と想像しながら作りました。

ずっと描いてきたキンクマハムスターのおもちが小さな手で口元を抑え、
はいた息の形がお花を
鼻の赤みがハートを
淡いブルーが清潔感を
連想させるようなデザインにしました。

情報をシンプルな絵と言葉で表現しつつ、
身につけたくなるような可愛さと前向きさを大切にしています。
(※現在は「うつりません」の文言を「せきがでます」に変更)

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その後、ぜんそくバッジに関するNagaさんのnoteを知りすぐにご挨拶させていただきました。

・・・

「喘息持ちで地下鉄やバスで咳が出てしまい、
先日も舌打ちされ外出が怖くなりました。
このぜんそくバッジを見つけて心救われる気持ちです」

「バッジのおかげで睨まれたり、
避けられたりが少なくなった気がします。
見られてると思ったらバッジを読んでくれている人もいました。
おしるこさんとおもちちゃんのおかげで、出かける際の不安が少なくなりました」

「水筒やのど飴、吸入薬を持ち歩くなど発作が起こらないように気をつけています。それでも発作が起きてしまった時、近くにいた人に睨まれるなど悲しい思いをする事があります。
あまり深刻にならず印象が柔らかい喘息マークを探していたら、おしるこさんの作品を見つけて一目惚れしてしまいました」

・・・

こういった皆さまからのお声をいただくたび、
お役立ていただけること、そしてデザインの選択肢の一つとして
気に入っていただけることを嬉しく思います。

現在は花粉症・アレルギー・鼻炎・貧血・嚥下障害などのバリエーションがあります。

最新作は「足がわるくご協力をおねがいします」バッジです。

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杖などの補助具は使わないけれど足に障害があり、
ヘルプマークだけでは電車や階段などで周りの方の理解を得づらく
肩身の狭い思いで過ごしているとお困りの方からお声をいただき、制作しました。

咳以外のメッセージ内容も
皆さまのお声を大切に、増やしていきたいと考えています。

■大切にしている想い、その背景

“目に見えない、理解されづらい病気や障害を
伝えたいときに伝えやすくする作品を作りたい。
目に見える形で、ポジティブに。”

だってもっと行き届いてほしいと感じる場面が多くあるから。
私たちの認知と想像力が。

そう考えるのは
以前6年間ほどお付き合いした人が”強迫性障害”という精神疾患を抱えていたことが関係しています。

強迫性障害(きょうはくせいしょうがい)とは

ある特定の考えが自分の意思に反して繰り返し浮かび(強迫観念)、それによって引き起こされる不安や恐怖などを打ち消すために、同じ行動を繰り返すことを自分に強いる(強迫行為)のが「強迫性障害」の症状です。
強迫観念・強迫行為によってとらわれるものは、人によってさまざまです。
また、一つのことだけではなく、複数のことにとらわれる人も多いようです。※1

「”財布をポケットにしまう感覚”が気になりすぎて、一日中楽しめなかった」

「引き出しが閉まりきっているか、でいつも頭の中がいっぱい」

「あまりに辛いので、警察に死なせてくださいと頼みにいったことがある」

自分なりに本で勉強しても、
いくら共に時間を過ごしても、
ときどき共有される話は想像しにくいものばかりでした。

関係性がかわった後も、彼の感じる生きづらさがもっと和らげばいいのにという思いは続きました。

その後、彼はTwitterを始めて
同じような障害を抱える人たち1000人ほどと繋がっていました。

やっと出会えた共感しあえる人たちとの繋がりに、彼の孤独感も癒されていたように感じられました。

さらに彼は、その中で出会った
同じく強迫性障害を持つ女性と結婚しました。
ふたりは同じ障害を持つからこそ深く理解しあい支えあえる、良きパートナーとなっていました。

"理解者がいること"の大切さを考えさせられる出来事でした。

■「自分は涙を流すだけでいいのか」

これは大学生時代、
病気や障害、虐待や天災、公害などに苦しむ人たちの存在に焦点をあてて描いた絵です。畳1枚分くらいある大きさで、木製パネルも自作しました。

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当時この作品に込めたメッセージがこちらです。

“自分が生きていると思っているこの世界は、
自分が見たいものだけを見て、
自分が囲まれたいものだけに囲まれるようにして作り上げた世界なんだろうなと意識した。
視界に映したいものだけを映した、その裏側には、視界から切り捨てた、つもりの、別の顔をした世界が常に存在している。
その世界に対して自分は
ただ涙を流すだけでいいのか、と問いかけるために描いた。
他人事ではなく自分事であるし、表裏一体であるし、棲み分けを解決策にはしたくないと思った”

題名は「自分は涙を流すだけでいいのか」

それを思い返した途端、涙が溢れました。

まるであの頃の自分が
今の私に語りかけているみたいだったから。

あの頃は題名の通り、
ただ問うばかりでどうすればいいかわからずにいたけれど

あれから約10年。

今はささやかな手がかりがあるような、小さな芽が芽吹いているような気持ちがします。

駆け足でなくても丁寧に続けていきたい。

本当はバッジで伝える必要がないくらい
思いやりあえる私たちであれたらいいのだけど。

■我が身をふりかえる出来事

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"場面緘黙症"をご存知でしょうか。

場面緘黙症(ばめんかんもくしょう)とは

学校や職場など特定の社会的場面で話すことができなくなる症状の精神疾患です。
すべての場所で話せないというわけではなく、家庭など他の場所や場面では問題なく話すことができます。※2

その存在を知ってはいても
日常生活の中ですぐには紐づけられないことを、実感する出来事がありました。

息子の保育園への送迎時、
こちらから挨拶をしても
いつもお返事のない方がいました。

まるで自分が軽んじられているような気がして、
気にしないようにしても
どこかむっとしたり悲しくなったりしてしまうことがありました。

でも、

もしかしたらその方だって
場面緘黙症を抱えているかもしれない。
返事をしないのではなく
できないのかもしれない。

その考えすら浮かばなかったことに気づいたとき、理想と現実の間に距離があることを改めて感じました。

それにいまや自分にも
人には分かりづらい体の不調がありますし、
「実は私の家族も障害を抱えていて...」とお話をしてくださる方もいます。

だからこそ、その距離を繋ぐものを作りたい。
それも明るく、やわらかく、前向きに。

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これはもうおばあちゃんになっても続けたい。

いつか、

このシリーズが100個くらい揃い
一堂に並べたら。

目に見えず認知もされづらい
病気や障害、困りごとの数々に
私たちが思いを巡らす機会を作れるのかなあ
なんて考えたりもします。

そうして私たちが
自分の抱える悩みにも
周りの人の見えない辛さにも、
より穏やかな気持ちでいられる瞬間が増えたらいいな、とも思います。

その頃には
こんなバッジもマークも
必要なくなっているのかな、いないのかな。

■芸術として

そんな想像は
"社会彫刻"という芸術の概念から影響を受けています。

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「芸術家」とは「自ら考え、自ら決定し、自ら行動する人々」

「誰もが芸術家となり、自らの創造性によって、未来に向けて社会を彫刻し、社会の幸福に寄与しなければならない」

そんな「画材を使ってつくるもの」以外にも拡張された芸術の概念。

それは私に、

“絵や作品を通して
いかに人や社会にポジティブな影響を受けとってもらえるか”

という視点をくれました。

だから、
作品を実際にお役立ていただけることだけでなく
いままで知らなかった人に
「そういう障害や困りごとが存在するんだな」という"認知"や"理解"が広がるきっかけになることもまた、嬉しくありがたいことです。

■おわりに

最後までお読みくださりありがとうございました。

正直、こうして障害のことについて書くのには怖さもありました。
色々な方がいて、色々な視点やお考えもおありだと存じます。

私の知識や考えが至らずにもしも誤解やご不快な思いをお招きしてしまいましたら、誠に申し訳ございません。
もし何か感じたことなどございましたら、どうぞご共有いただければ幸いです。

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(※1)引用:NHK https://www.nhk.or.jp/heart-net/kokoro/ks/
(※2)参考:NHK https://www.nhk.or.jp/heart-net/article/104/
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ぜんそくバッジシリーズはこちら

いただいたお気持ちはすべて糧にしてクリエイター活動を続けてまいります。どうぞ今後ともよろしくお願いいたします。