見出し画像

クリスチャン日記 雑感#3「聖書朗読アプリ」

スマートフォンが一般的に普及し始めて約10年、その技術の進歩とともに、より聖書も人々にとって身近になった…、
正確には「より多くの人々に触れられる機会が多くなった」とも言えます。
App StoreやGoogle Playでは既に多くの聖書関連のアプリが、その殆どが無料で配布されており、インターネットで「聖書」と検索すれば、すぐに様々な言語、翻訳の新旧約聖書を何の障害もなく閲覧することができます。

これは一部の人々にとって、非常に皮肉な現実です。

聖書は教会誕生以来、約2000年間、世界中であらゆる攻撃を受けて来ました。
聖書の所持が禁止されたり、焼き払われたりしたことは勿論、紀元313年のミラノ勅令以後、392年にキリスト教がローマ帝国の国教化した後も、聖書は教会の限られた階級の者たちのみが独占するような状況が続き、一般の人々が聖書に触れるのは依然として困難を極める状態でした。
しかしそれでも聖書は根絶されず、15世紀中期にヨハネス=グーテンベルクが活版印刷術を考案すると、たちまち多くの人々が自らの手で聖書を読めるようになり、それが宗教改革の原動力となりました。

儀式主義、権威主義に陥っていた当時のカトリック教会によって歪められていた救済論が回復され、信仰義認に目覚めて新生体験を経たクリスチャンが増加し、世界伝道が活発になる一方で、その反作用かのように強固に聖書に反発する無神論者も増加しました。
強い光が当たるところには、また強い陰が出来るのです。

その陰の代表格とも言えるのが、18世紀のフランス人哲学者、ヴォルテールです。
ヴォルテールは自他共に認める強固な無神論者でした。
彼は生前、「あと100年以内にキリスト教は歴史から姿を消すだろう。人々は聖書について何も聞かなくなるだろう」と豪語していました。
神を否定する彼にとって、聖書などはお伽話にも劣る価値のないもの、非科学的なまやかし以外の何物でもなかったのです。

しかしそのヴォルテールの「予言」とは裏腹に、聖書は年を経るごとにその発行部数を増やし、その死後、彼の家はジュネーブ聖書協会の施設となりました。そしてジュネーブ聖書協会は彼の使っていた印刷機を用いて大量の聖書を印刷したのです。

ヴォルテールだけではなく、実に多くの無神論者が聖書の衰退、根絶を確信していました。
しかし現実はことごとくその逆でした。
時代が進めば進むほど、その科学技術の進歩、変化に合わせた形で聖書は広まって行き、より人々に密接になって行ったのです。

2020年現在、日本語で聖書を読めたり聴いたり出来るアプリケーションは相当数、世に出ていますが、その中でも『聴くドラマ聖書』は抜群の完成度を誇っていると思います。

『聴くドラマ聖書』はその名の通り、ドラマ仕立てで聖書を聴くオーディオアプリで、150名以上もの実力派俳優や声優を起用しています。
(つるの剛士やピッコロ大魔王の古川登志夫など)。

ただ朗読が素晴らしいだけに、そこに「提供する側の解釈が介入している」など、注意すべき点がありますが、それでも重宝すべき利点は数多くあります。
詳しくは下の中川健一牧師の説明をご覧ください。

インターネットやスマートフォンの登場によって、有害なものであれ、有益なものであれ、その情報が行き交う規模やスピードは、以前では考えられない次元へと突入してしまっています。

これから世界はますます光と闇に二分されるでしょう。
つまり光を求める人々はより有益な、真実の情報を手にし、しかし闇を求める人々はより有害な、偽りの情報に猛スピードで飲み込まれてしまうのです。


インターネットという印刷機の発明以来の情報革命を通じて、更に多くの人々に聖書の言葉が届けられるのを祈っております。

サポート(献金)して頂いたお金は『イブキちゃんの聖書入門』をはじめ、イエス・キリストの福音の拡大に与するより優良なコンテンツ制作の為に大切に使わせて頂きます。