感じたことに優劣はない
あなたは、自分の感じたことを、どのように扱っていますか?
感じたことの種類によって、「これは善だけど、これは悪だ」みたいにジャッジしていませんか?
感じたことはそのまま尊重する
「感じたこと」って、何のことか分かりますか? 頭で「考えたこと」ではなく、身体で「感じたこと」です。
・五感
・喜怒哀楽
・言葉にならない微妙な感情
などが代表的なものですが、「気が重い」とか「気持ちが上がる」みたいなフィーリングも、それに含まれます。
感じたことの性質として興味深いのは、それが自分で自由に選択出来ないということです。例えば料理を食べて「不味い」と感じた場合、不味いと感じたくてそれを選択したわけではないですよね。ただそう感じる。自分ではどうしようもありません。
行動は選べる!
「感じたこと」が自分で選択出来ない以上、それはもう客観的なデータのようなものです。少なくとも、自分の内側はそうなっている。さて、それではどうしようかというのが、その次の段階です。
「不味い」と感じたことを尊重して「食べない」という選択をするのか、相手に気をつかって「美味しいです」と嘘をついて少しだけ食べるのか、正解はありませんが、人は行動を考えて決定しています。行動は選べるからです。
でも、本来は選べない「感じたこと」を選べると勘違いしたり、そこに優劣や善悪を持ち込んだりすると、自分で自分の感じたことを否定することになります。せっかくの客観的なデータが、手垢にまみれてしまうのです。
自分に尋ねよう!「いま、何を感じている?」
行動が同じように「無理して食べる」であっても、私はこれが好きなんだと自分に嘘をつくと、次第に混乱して自信が持てなくなります。逆に、「作った◯◯さんを励ましたいから、今回は無理して食べる!不味いけどね!」と行動を選択すれば、そこに混乱はありません。
感じたことをそのまま行動にうつせるなら、そうすればいいですよね。やりたいようにやればいい。でも、特には別の選択もあり得るでしょう。
そんな時にまず必要なのは、自分がいま何を感じているのかを知ることです。自分自身の内側に注意を向けること。他人の目ばかり気にしていると、常に注意力は外側に向けられますから、内側で起こっていることを見逃してしまいます。それはつまり、自分を見失うということです。
あなたはいま、何を感じていますか?
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