理想から思考をスタートさせる
物事を考えるときに、人は無意識に条件を設定しがちです。
「どこに旅行に行きたい?」と尋ねられた際にも、「期間は最長で5日間」とか「海外は無理だから国内」みたいに条件設定をして、その上で考え始めるのです。でも、そうした条件設定は、果たして妥当なものでしょうか。
いつものパターンと理想は別物
ランチのお店選びみたいな身近なことから、進路決定など大きいことまで、何かについて考えるときに条件設定をしてしまうことがあります。
例えば「ランチは上限1,000円まで」となんとなく決めていて、いつもそれに見合う店を探しているとします。でも、たまに「3,500円のランチコース」を楽しむことに、問題はないはずです。
本当は「フレンチのコースみたいなもの」が食べたいと思っていても、「上限1,000円」では難しいので、そうした望みは除外されます。結局、「洋食にしようかな」みたいな曖昧な設定になり、ファミレスのランチでお茶を濁すことになるかもしれません。
ファミレスのランチが良いとか悪いとかではなく、「きょうは、フレンチのコースみたいなものが食べたいな」という自分の望みが分からなくなることが問題です。
「今あるものに感謝」は危険な考えでもある
なんだか、すごく「感謝」の価値が叫ばれる時代になったように思うんです。身の周りにある物や人間関係を「当然のこと」だと考えずに、「感謝」して受け止めようというような考え方です。すごくいいと思います。
でも、ろくに考えもせず無批判に感謝ばかりしていては、自分を見失ってしまいます。よく考えずに感謝することではなく、意味をしっかり認識して感謝することに意味があるはずですからね。
すぐに感謝しちゃうことの危険性は、ありものの選択肢を疑わなくなることです。これだけの選択肢があってよかった、みたいに感謝してしまうと、自分の本当の望みが埋もれてしまいかねません。
まず理想を自分に尋ねるクセをつける
何かを考えるときに、最近僕が大切にしていることがあります。それは、叶うにせよ叶わないにせよ、まず「理想」から思考をスタートさせるということです。
ランチにフレンチのコースが食べたいと思っても、結局時間がなくて無理かもしれません。でも、「自分はフレンチのコースが食べたかったんだ」ということが分かります。それが分かれば、別の機会に叶えられるかもしれませんよね。
無意識に我慢したり、無意識に諦めちゃったり。すごくもったいないと思うんです。理想そのものが見つからない場合もあるけれど、「このことについての理想は?」と自問するのは、自分を知ったり自分らしく生きることの手がかりになります。
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