他者に向かう暴力・自己に向かう暴力
暴力には、加害者と被害者がいるような「他者に向かう暴力」と、加害者も被害者も自分自身である「自己に向かう暴力」があります。前者だけでなく、後者にも同じくらい注意を払う必要があります。
衝撃的な他者に向けられる暴力
安倍元首相の襲撃事件は、衝撃でした。「失うものがない」というところまで追い込まれた人が爆発させる暴力の恐ろしさを想起させられました。
銃弾を相手に撃ち込むというのは、言うまでもなく暴力です。銃口を向ける側から、向けられた側への、一方的な暴力です。命まで奪うことになった今回の事件で、この暴力は厳しく非難され、社会に大きな衝撃を与えました。
殺人は、他者に向けられるもっとも強い暴力だと言えるでしょう。
銃口が自分に向けられることもある
ただ、銃口というのは他者にだけ向けられるとは限りません。自分自身に銃口を向け、引き金を引く人たちがいます。拳銃以外の手段でも、自分で自分の命を絶つ人たちがいます。
これは、自分で自分に対して暴力を振るう行為だと言えるでしょう。
ただし、自殺が全て自己への暴力だとは言えません。尊厳死の問題もあります。「暴力性」というエネルギーが高まり、それが他人に向けられることもあれば、自己に向けられることもある──そういうことだと思うのです。
自己処罰や自暴自棄も自己への暴力
すぐに命に関わることがなくても、例えば自暴自棄な行動は自己への暴力だと考えられます。
嫌なことがあって、「もう今夜はどうでもいい!」とやけになる。相応の暴力性が介在していても「今夜はどうでもいい(明日からちゃんとする)」という抑制が存在している。こういうのは、そんなに心配要らないと思うのです。相応の責任を取ることにはなりますが。
また、「私バカだから」と自己否定をし続けるような行動も、僕は自己に向けられる暴力だと考えています。緩慢だけれど、各日に自分を痛めつける。自分の心への暴力です。また、罪悪感をつかんで決して手放さない頑なな態度なども、自己への暴力になり得るでしょう。
自分自身に向けた暴力を止めよう
自分で自分に向ける暴力を止めるには、「やめよう」という意志が必要です。通常、自己への暴力には、あまり他人が介入しません。自己完結してしまいます。だからこそ、自分で自覚し、やめる意志を持つ必要があります。
また、自己に向けられて野放しにされていた暴力性が、急に他者に向く場合もあります。殺人は他者への暴力ですが、例えば日本社会で殺人を犯せば、多くのものを(時には自分の命さえ)失います。
このような自暴自棄な他者への暴力は、他者にも自分にも同時に暴力を向けることだとも言えるでしょう。
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