居心地が悪くても

居心地が悪くても我慢すべきですか?

例えば、職場の居心地が悪いとします。

あなただったら、どう考えますか?

・すぐに辞めて、他を探すべき
・我慢して、もう少し続けるべき

まず、自分が当事者の場合なら、どちらでしょう?

同世代の友人に相談された場合は?
新卒の社員だったらどうでしょう?


場づくりの必要感とは?

場づくりの必要感とは、この「居心地の悪さ」です。

もう一度、先ほどの選択肢に戻りましょう。

・すぐに辞めて、他を探すべき
・我慢して、もう少し続けるべき

この2つだと、おそらく後者が多いと思うんです。

「仕事なんてそんなもの」「石の上にも3年って言うからね」
「根性ないね」「精神弱すぎ」「気分転換でもしたら?」

いろいろな反応がありますが、要するに、

「居心地が悪くても我慢すべき」

と言っているのです。
だからこそ、「場づくり」が必要です。

あなたにふさわしい場がある

極論だけでは解決しませんが、あえて極論を言えば、
「居心地が悪い」ということは、ふさわしくないということです。

「職場に、あなたがふさわしくない」

ということではないですよ!
その逆です。

「あなたに、その職場がふさわしくない」

という意味です。

あなたには、そんな居心地の悪い職場なんてふさわしくない。
あなたらしくいられる、あなたにふさわしい場がある。

こういう考え方です。
前者の考え方は、職場の状態が肯定され、自分が否定されています。

でも、そんな考え方に、根拠はあるのでしょうか?

「自分が変わらなければダメなんだ」

と考える必要など、本当にあるのでしょうか?

我慢を正当化しない

先ほども出てきた、

「仕事なんてそんなもの」「石の上にも3年って言うからね」
「根性ないね」「精神弱すぎ」「気分転換でもしたら?」

というよくあるフレーズ。
こういうのを「引きずり降ろしワード」と言います。

*引きずり降ろしワードについては、こちらの『行動しようとするあなたに襲いかかる!「引きずり降ろしワード」にご用心』をご覧ください。

我慢している人は、他の人にも我慢させたいのです。
我慢せず次に進んだ人が成功したら、浮かばれません。

そういう意味では、「もっと我慢すべき」というのは、
とてつもなく後ろ向きな言葉にもなり得ます。

もちろん、我慢したっていいんですよ!

自分の性格を知って、いまは我慢しようと決める。
山を登らないと、頂上からの景色は望めません。

でも、ヘリコプターで山頂に降り立ってもいいのです。
グーグルマップで見たっていい。

自分さえいいなら、それでいいのです。

我慢を無批判に正当化してしまうのは、とても危険です。
我慢の正当化は、ありのままの自分への否定につながります。

まだ大丈夫! なんて言わないで

最後に、これはとても大事なこと。

耐え難い我慢だけが、我慢ではないのです。
居心地の悪さにも、いろいろあります。

“針のむしろ”のような過酷な居心地の悪さがあります。

また、どうしようもない退屈、虚無感、虚脱感など、
見た目にはわかりにくい居心地の悪さもあります。

我慢に上下などなく、他人とは比べられません。

あなたが嫌なら、それは嫌だということなのです。
どうか自分を粗末に扱わないでください。

自分らしく生きるために場づくりをはじめよう

そんなときにこそ、「場づくり」です。

無理して自分を周囲に合わせるのではなく、
身勝手に場を自分用に変更するのでもない。

5月16日に「生きるための場づくり」というイベントでは、
まさにそういうことにフォーカスしたいと思っています。

いま一番話したいこと話す。そのための場をつくりました。

東京開催ですが、今回の記事を読んで興味がわいた人には、
ぜひ来てほしいのです。そして、一緒に考えましょう。

《私を場に合わせるのか、場を私に合わせるのか》

というワークから始まる、楽しい場です。
詳細は下記をご覧ください。

\Question/
あたなには、我慢している場はありますか?
その場に留まっているのは、なぜですか?


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