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03:知らない自分に出会う方法─非言語コミュニケーションの世界

(前回までのあらすじ)
わたしたちが日常生活で主語にしている「頭としての私(顕在意識)」と、通常は意識されない「身体としてのわたし(潜在意識)」がいる。それはつまり、「身体にはもう一人の自分がいる」ということでもあり、その自分を解放することは、人生を冒険に変えることを意味している──(連載バックナンバーへはこちらからどうぞ)。

さて、それではどうやってその「身体にいるもう一人の自分と出会うのか?」というのが、今回のテーマです。


一番の近道は「全身の脱力」

自分の身体を感じ取る一番の近道は、全身の力を抜くことです。脱力を試みると、無意識のからだのこわばりに気付けるからです。

抜こうと思っているのにうまく力を抜けない箇所や、脱力しているつもりなのに無自覚に力を入れてしまっている箇所が見つかり、もう一人の自分の存在を確かめられます。自覚しないもう一人の自分が、頭の指令とは裏腹に力を入れているわけですからね。

「力を抜く人」と「それを補助する人」がペアになってやる「からだほぐし」というワークがあります。仰向けに寝そべって力を抜いている人の傍らに、補助者が座ります。人差し指の第一関節から始まり、手首、肘、肩、足の指、足首、膝、股関節、首…全身のジョイントや筋肉を緩めていきます。

挿入からだほぐし

例えば、肘の力が抜けているかどうかを確かめるには、補助者が、脱力し横たわる肘を床と垂直に立ててからそっと手を離します。そうすると、脱力した肘はいずれかの方向へ倒れこんでいく…はずなのですが、中には直立して静止したままになることもあります。知らないうちに肘に力を入れているからです(直立させてキープするには力を入れておく必要があります)。「頭の私」は脱力しているつもりでも、「身体のわたし」は力を入れ続けているのです。

相手の要求を無意識に先取りする身体

肘の脱力を例に続けます。
補助者が肘から上を持ち上げようとすると、脱力している腕はやわらかくずっしりと重く感じられます。このとき、眠っている赤ちゃんを抱き上げるイメージを抱く人もいます。

一方で、力が入っている腕は、軽く感じたり、ぎこちなく重さが変動したりします。時には、補助者が腕を持ち上げようとすると「どうぞ…」とばかりに、腕が上がってくることもあります。補助者は「あれ?」となるのですが、脱力している(つもりの)人は気付きません。指摘されて「あっ!本当だ!」となり、笑いが起こることもあります。

普段から相手の要求を先取りしてそれに応えてばかりの人に、こうした傾向が見られます。身を任せるのではなく身構えてしまうのです。

自分の身体と対話する

からだほぐしは、自分の身体との対話です。肘の力が抜けずに緊張して空中で静止する肘に話しかけます。

 頭:「力を抜いて」
身体:「急に言われても…」
 頭:「脱力してくださいって言われているから抜かないと!」
身体:「そんな風に言われると却って力が入るよ!」

もちろんこうして言葉で話すわけではありませんが、身体の一部分に集中して脱力を試みると、その部位(そこにいるわたし)と非言語コミュニケーションが出来ます。

連載第2話で「潜在意識は意識化出来ないので直接認知することは出来ないが、推しはかることは出来る」と書いたのは、つまりこういうことです。

からだほぐしを補助していると、「どうしたらこの人の力がうまく抜けるかな…」とどんどん集中していきます。補助者の身体と脱力をする人の身体が、非言語コミュニケーションを始めるのです。

でも、普段自分の身体に注意を向ける(身体について考えたり健康法を実践するということではなく、考えることを止めて集中し感じ取る)機会がないと、目の前の相手の身体を見ずに、考えまくって自分の脳内で情報を検索してしまいます。
その結果、「筋肉が硬い場合はマッサージすべきだろう」みたいに考えてやってみても、相手は却って力が入ってしまったりします。目の前の相手とのコミュニケーションをせずに、自分の記憶を検索してしまうのです。

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身体と身体が会話を始める

日本社会では相手の身体に触れる機会が減り、触れることをすぐにセクシュアリティ(sexuality)と結びつける傾向があります。感覚的に結びつけるというより、頭で「相手の身体に触れるなんていやらしいことなのではないか」と考えてしまうのです。
もちろん、触れた先にセクシュアリティの門をくぐる場合もありますが、もうひとつセンシュアリティ(sensuality)の門があります。何で英語で説明するんだよと思われるかもしれませんが、センシュアリティという感覚は日本社会ではすっかり後退して、よく分からなくなってしまっているのです。

ここで言うセンシュアリティとは、例えば、もふもふの動物に触れて「気持ちいい〜」となったり、よい香りに触れて身体がふわ〜っと溶けそうになったり、繊細な味わいのお酒を口に含んで思わず唸ったりするような、そういう五感とつながったフィーリングのことです。

言葉にならないけれど身体が喜んでいる感じがする。
善悪や効率性とは関係なくなんだか良い感じがする。

からだほぐしをすると、脱力する側も補助する側も、やがてそういうセンシュアリティを頼りにするようになります。頭で考えることをやめて、身体で感じることに集中する──もう一人の自分ともう一人の相手が非言語コミュニケーションが始まるのです。(次回へつづく)


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