イタコ会議

いない人どうしが語り出し、同じ所をぐるぐる回る… “イタコ会議”の恐怖

会議で何かを決めたいのに、だれかが「そこにいない人」の言葉を語り出して、決めようにも決まらない。気がつくと道に迷い同じ所をぐるぐると回っている…オソロシイ。これが今回問題にする「イタコ会議」だ。

そこにいない人が語り出す理由

そこにいない人が語り出す理由は、大きく2つある。

ひとつは、重要人物が不在で、その人がいないと決めようにも決められない場合だ。担当者が不在、責任者が不在…これでは決まらない。そもそもなぜその人が来られない日に会議をやっているんですか? という話だ。

もうひとつが、不在の人への配慮によって議論がどうどうめぐりするパターン。こっちがオソロシイ“イタコ会議“のパターンだ。

何かを決めようとしているときに、

「(不在の)〇〇さんは、こういうの嫌いじゃないかな?」
「(不在の)△△さんが、別のアイデアを推していたのが気になるね。」

みたいなことをイタコたちが話し出すと、会議はたちまち推進力を失ってしまう。不在の人を主語にして話すと議論が解像度不足に陥って、たちまち道に迷うのだ。

こういうとき、「わたし」が主語になっていると、解像度が上がりよりよい話し合いにつながる。

「わたしは、こういうの嫌いです。」
「わたしは、別のアイデアがいいと思います。」

こんな意見が出たら、「なんで?」「どんなアイデア?」とさらに質問が出て、議論も盛り上がり、たどり着くべき結論に行けるはず。

会議では、「わたし」を主語にして意見を述べることが肝要だ。

いない人の話はただのノイズ

もちろん不在の人に配慮することは悪くない。でも、それって本当に配慮だろうか? もしかして「配慮のようなもの」ではないだろうか。

まず、自分の意見を述べるかわりに不在の人の言葉を借りるのはよくない。そういう発言の中身は、はっきり言うとゼロなのだ。僕が提唱している場づくりの考え方だと、そうした発言は「ノイズ」に分類される。ノイズは増やすのではなく、減らすべき対象だ。

考えてみてほしい。だれかが「キャンプに行きましょう!」と言っているのに、「〇〇さんはキャンプ、嫌いじゃないかな?」って言ったとして、それからどうすればいいと言うのだ。

「うん、キャンプか。楽しいかもしれないね。でもね、女の人たちは虫とか嫌がるんじゃないかな?好き嫌いがはっきり分かれるアクティビティだと思うよ。自然のなかに入るなら、安全への配慮がちゃんと出来ないと危険だよね。」

どうですか、こういうの。

こういうノイジーな発言は、処理するのに時間がかかる。

まず、「女の人たちは虫が嫌い」という決めつけ発言。本当はお前が嫌いなんじゃないのか?
「好き嫌いがはっきり分かれる」から、だから何なんだ? めんどうな言い回し。好き嫌いなんて何でも分かれる、ケチをつけているだけである。
最後は「安全に配慮しないと危険」という当たり前の発言。「山に登るなら海では泳げません」と言うのと同じ。当たり前だろうが。

こんなに“内容ゼロ”なのに、会議で“発言”として出てくると(しかも「君たちは、いまここにいない人への配慮を忘れてるんじゃないのかな?」みたいな顔で言われると)、処理するのに時間がかかる。ネガティブなエネルギーを放って場を混乱させるので、会議の力がついていないと巻き込まれてしまう。

「確かに、うちの母と姉と妹は、大の虫嫌いです」
「きのう登山で遭難したってニュースありましたね」
「前ね、キャンプに行ったら雨が降ってきて、濡れて寒くて大変だったんです。そのことだけ言っておきます」

こんな発言が誘発されてしまう。どれもこれもファクトのふりをしたただのノイズだ。それぞれツッコミを入れるのも大変なである。

イタコに翻弄されない会議のやり方

いない人どうしが話し合う会議は不毛だ。そうならないための処方箋を示しておこう。

1.まず、意志決定を行う会議を開くなら、議決権のあるメンバーを招集しておこう。やむを得ず欠席者が出るなら、検討される案件に深くかかわる人や居て欲しい人が出られるよう事前に調整してから会議の場を設定しよう。

2.次に、プロジェクトのマイルストーンを手がかりに、「いつの会議でどこまで決める」という大まかな流れを、事前に確認しておこう(これがあると、上記1もやりやすくなる)。

3.最後に、不在の人の扱いを事前に決めておこう。例えば「不在の場合の決定を蒸し返さない」とか、もう少しゆるく「やむを得ない場合は蒸し返しても構わないが、上記2で定めた〆切後は蒸し返さない」など、蒸し返しが可能な範囲を定めておこう。

だれかがいない人のことを話し始めたら、「〇〇さんの話もいいけど、あなたはどうなの?」と質問してみよう。

そもそも会議にはルールが必要で、それが事前に共有されていなくてはならない。意志決定システムが「トップダウン型」の組織なのか「フラット型」の組織なのかで、会議の位置づけも大きく異なる。このあたりのことは拙著『場づくりの教科書』にまとめた。

会議とは筋書きのないドラマ

会議とは本来、筋書きのないドラマだ。予め結果が決まっているとか、始まる前と終わった後で自分の考えがまったく更新されないとか、そんなものは本当の会議とは言えない。

ノイズが除去され、一人ひとりが「わたし」を主語にして本当に思ったことを語るとき、会議のアイデンティティが花開く。

*念のためお断り…「イタコ」というのは「その場にいない人に語らせる」という意味での比喩です。恐山のイタコの方々のことではありません。


コンテンツが役立った!共感した!という方は、よろしければサポートをお願いします。大変励みになります。noteでの情報発信のために、大切に使わせていただきます。ありがとうございます。