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自分に嘘をつかず生きた人の言葉が照らしてくれたこの道

人はみんなそれぞれの道を行くけれど、自分に嘘をつかずに生きようとする人の道は、どこかでつながっている──そう僕は信じている。なぜなら、先を行く人が遺した「言葉」が、闇のなかでも進む道を照らしてくれたから。

おかげさまで、れんげ舎は25周年を迎えました。ここまで来られたのは、多くの皆様に支えていただいたお陰です。本当にありがとうございます。弱く無力だった僕が道に迷わず進めたのは、いくつかの「言葉」が進む道を照らしてくれたからでした。

それがどんな「言葉」なのか、その「言葉」をこれからどう社会のために使うのか、書きたいと思います。

地図のない土地を歩く

「こういうときには、こうすればいいよ」

そんな風に、人を導く言葉もあるでしょう。でも、僕のやってきたことには前例もロールモデルもなかったので、その手の言葉はあまり役立ちませんでした。基本的に、自力なりの考えをつくり、自力で進むことになりました。

自力で進むのが大変なのは、「この道でいいのか?」と疑念に囚われる時です。例えば、すごく大変なことが起こります。それに関わって悪戦苦闘していると、今度は桁違いに大変なことが起こるのです。こめかみをシャベルで殴られたらこんな感じでは、と思うような衝撃です。

解釈不能な出来事と、わけのわからない苦しさ。辺りは真っ暗です。

そんなとき、その得体の知れない状態を指し示す言葉が浮かんで来ることがありました。それは多くの場合、師である鳥山敏子さんの言葉でした。

それらの言葉はぜんぜんやさしくなくて、ノウハウもなく、ただ状況や心情を射貫いているだけ。だから、次にどうすればいいのかとか、そういうことは全然分からないのです。それでも、その言葉があることで、僕は僕の心を照らしたり、状況を照らしたりすることが出来ました。そして自分なりのやり方で、前だと感じる方角に向けて、次の一歩を踏み出すことが出来ました。

経験から紡がれた真実の言葉

なぜ、それらの言葉にそんな力があったのか、僕にはその理由が分かります。それは、それが借りものの言葉ではなく、その人自身が自分や現実と格闘し、逃げずに関わり続けてて、経験のなかから紡がれた真実の言葉だから
です。

ある夜、事務所の下にある居酒屋で、僕は鳥山さんと津村喬さんに雑誌『賢治の学校』のゲラをチェックをしてもらっていました。僕が担当していた連続講座のレポート記事で、一緒に担当している年上の男性がまとめてくれた文章でした。

とても知的でおしゃれな感じの文章で、僕にはとても書けません。書けないだけでなく、正直どこかどう優れているのかも分かりませんでした。だから、僕は原稿を受け取りチェックをお願いする中継係のようなものでした。
ゲラを読み終えた鳥山さんが、僕の目を見て言いました。

「本当に思ったことを書くんだよ」

僕が書いた文章じゃないし、そう言われても困ります。津村さんはビールジョッキ片手にいい加減に目を通して「前置きが長いな」とにこにこしています。鳥山さんは「あなたが書けばいいのに」と言い放って、向こうに行ってしまいました。

この夜、その後どうなったのかは覚えていません。その原稿は、ほぼそのまま掲載されたはずです。

本当に思ったことを言う

僕がお伝えしている「場づくり」では、この「本当に思ったことを言う」という言葉が繰り返し出てきます。僕の本を読んだり、僕の話を聞いた人は、みんな知っていますよね。なんだ、鳥山さんの受け売りか、と思わないでください(笑)。じつは、受け売りではないのです。

僕が「本当に思ったことを言う」ということの意味を伝えたことで、自分の本心を丁寧に語り出した人たちが大勢います。だれかが真実の言葉を語ると、場はそれだけで変化します。組織でさえ一変します。
そして、その場に恥ずかしくない自分でいるのか、それともそういう事実すべてに背を向けて生きるのか、人は選択を迫られることになります。

前述の通り、僕が言う「本当に思ったことを言う」という言葉は、あの夜の「本当に思ったことを書くんだよ」という鳥山さんの言葉が元になっています。なぜ、受け売りみたいな言葉が人の心に届くのかというと、僕自身が実際にその言葉を生きてきたからです。

自分が前だと感じる闇のなかへ

この25年間は、ずっと地図のない土地を歩いた年月でした。多くの仲間と出会い、多くの仲間が去りました。「自分だけいつまでも同じところにいる」とか、「長く続けたのではなくどこにも行けなかっただけではないか」と考えたこともありました。いずれも事実かもしれません。

信じられないようなことが起こり続け、日本社会は安定を完全に失い、もはや常識的な生き方さえもが、決定的に力を失いつつあります。
僕のような常識を生きられなかった人間だけでなく、常識的に生きてきた人々までもが、地図のない土地を歩く時代になりました。いまレールの上を進んでいると感じている人がいるとしたら、それは錯覚ではないでしょうか。それはレールではなく、かつてレールだった古い線路ではありませんか。

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もっと「言葉」を届けます

わたしたちれんげ舎は、「場づくり®」のプロフェッショナル集団です。人と人がそれぞれの全体性を寄せ合う場のクリエイションこそ、われわれの真骨頂です。

でも、場づくりだけでなく、しばらくはもっともっと「言葉」を届けようと思います。地図のない土地で穴に落ちたりわけのわからない生き物にかじられたりしながら、どうにかこうにか「自分らしさ」を守ってきた経験から、その分厚い経験の集積から紡がれた言葉を、受け取ってくれる人にお届けします。

25年間って、「極めた!」とか「完成した!」とか言うには、なかなか微妙な長さだと思うのですが(笑)、微妙なくらいがちょうどいいと思うのです。訳あってちょっと先を歩いていたくらいの立ち位置の人でも、借りものでなく経験から紡がれた真実の言葉を語るなら、同じように自分の道を歩むだれか役に立つこともあるはずだからです。

「ことばの灯台」をつくりました

ところで、25周年の日(2021年7月10日です)に詠んだ歌が、この文章のタイトルです。

自分に嘘をつかず生きた人の言葉が照らしてくれたこの道

歌を詠んで、言葉の大切さに気付きました。僕の仕事は、基本的に「呼んでもらった場所に出かけていき講演する」というパターンばかりなのですが、これからはラジオなどで一人で話すことをもっともっとやっていきます。

まずは、こちらのstand.fm「ことばの灯台」にご登録(フォロー)をどうぞ。聞いてくださったら、ぜひあなたの言葉も聞かせてください。互いの真実の言葉をやりとりしましょう。


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