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マーケティング=「?」


マーケ=集客?

マーケティングというと、「集客」とイメージする人も多いのではないかと思います。

ひと頃と比べたら、マーケティングを重視する会社も増えたと思いますし、一般化したビジネス教養としてマーケティングを意識する人も増え、知っていて当たり前の部類に入ってきている向きも強くなっているように思えます。

まぁ、ビジネスの知識なので、「使える」と感じることを実用的、実践的に取り入れていけば別に構わないんですが、冒頭のような〈マーケ=集客〉というような捉え方には、やっぱり少し違和感というか、「もったいないんじゃ?」とついつい思ってしまうので、あえてボヤいてみた次第。

数を稼げばバンザイなのか?

顧客を創り出すことがマーケティングの基本的な目的となることには、まったく異論はない。その過程で集客の活動や工夫も、当然することにはなるでしょう。ただのべつ幕なしに数を稼げたら、そのマーケティングは成功なのかと問われたら、僕でなくてもたいがいの人は「・・・?」となるんじゃないでしょうか。だからそこのところが、〈マーケ=集客〉ではない、の意味です。

もうマーケティングがデータドリブン化したりデジタル化したと言われてだいぶ久しくなりました。ツールもあれこれ新しいものが登場したり進展もして、マーケティングに関するいろいろなことが数字で語られることが多くなり、「精度を上げる」といった議論もふつうに聞かれるようになりました。
と同時に、実務もシステマティックに組み立てられるようになり、ファネルとかジャーニーとかが念頭にあって、リードを顧客から分ける捉え方も一般的になっていますね。
で、デジタル化していろいろなアクションの結果が数字で捉えられるようになると、確率とか実数がことさらに神通力を持ってくるんですよね。世の常といえば世の常、そして別に悪いことではないんですけれども。

レート至上主義みたいになってきたり、数字が重視されるようになってくると、実証性が上がり、科学的になっていく利点は大きいですが、どうしても頭数に目がいってしまうため、個の客が十把一絡げな目線になってしまう感じが、どうしてもしっくりこないところです。

顧客を決める

マーケティングの大原則は言わずもがな、顧客起点です。

顧客起点だからこそ、顧客を絞り込む、というのもなんだか妙味ですが、マーケティングの肝心要のところだと思います。
あくまでも「なんとなく」ではなく、なるべくして顧客になる。その必然性をどうやって描くか。「あなただからこそ」(顧客側からみたら、ワタシならでは)の価値を見つけ出し、ほかの誰でもなく自ら定めた顧客にこそ、その価値を届ける。どうすれば、それが叶うか。
これを考え、描き、見抜くのがマーケティングじゃないかと考えます。

なので、誰でも一緒の〈数の中の顧客(やリード)〉ではなく、人格が立った顔の見える顧客を定め、そこに向かって働きかけていくところにこそ、マーケティングの根幹をみたいと思うと、〈マーケ=集客〉じゃないんじゃないかなぁ。と感じるわけです。

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