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髪を切るより顔を傷だらけにした床屋


 赤ん坊の素肌のように

1960年ころは、女の子も床屋に行き髪を切って顔を剃っていた。顔を剃るカミソリを理容師が革のような物で磨く、あの光景に私は怯えていた。顔や体が勝手に動いてしまわないように、足で体を支えていた。顔を剃ったことのない女性がいると時々聞く。羨ましいとも思う。赤ん坊の素肌のようで顔は剃らない方が良いのかもしれない。

 おでこから血がタラリ…目に入った

9歳で私は施設に入り、小学校1年生になった。3年も遅れて小学校1年生になった。それがコンプレックスであった。1か月に1回だったろうか、施設の外から床屋さんが来て、子供たちの髪を切ったり顔を剃ってくれた。その日は私の地獄の日であった。トイレに入って隠れて居ようと思ったが、職員にすぐに見つかった。私の髪を切る男性の理容師は決まっていた。「さあ!今日は動くなよ!!」と怖い顔をして、私の頭を押さえる。髪の毛は早く切って終わる。問題は顔剃りである。キラッと不気味に光るカミソリがおでこに来ると、(動くまい)と思えば思うほど動いてしまうのは私の障がいの脳性麻痺の特徴だ。スーッとおでこにカミソリが走り血が目に入ってくる。私は恐怖感で声も出なかった。「ほらな!動くなと言ったのに動くからよ!!」と言われついでに、頬も2か所切り耳たぶも切られた。顔を絆創膏で貼った。なぜ髪を切るのに顔が傷だらけになるのだろう。私は何回か泣いた。暫く経ち優しい看護師さんが見ていて、理容師を変えてくれた。その時から顔は切らなくなった。

 カミソリを抱きしめた母

母は、顔を剃ることに悩んでいた。10年か15年か経っただろうか。フェザーというメーカーのフラミンゴというカミソリが新発売になった。母は、それを使ってみて目に涙を浮かべてた。「みっち!今日から安心して死んで行ける。このカミソリなら誰にでも剃ってもらえるよ。」とカミソリを抱きしめた。それだけは母は私の顔剃りが心配だったのである。

悲しみから明るい発想をして下さった人

20歳になったとき成人式に、私はいとこたちと一緒にいこうと、心ウキウキしていた。しかし障害を持っている私は、障がい者ばかりが集まる成人式に行くほかなかった。(またですか・・・障がいがあるからといって施設に入れられ学校も分けられて、生きなければならないのか)という思いでこの怒りを誰にぶつけていいか分からなかった。近くの美容室の人にこの怒りを話した。「私たちいつになったら、いとこたちと遊びに行けるの?」と言うと美容師さんは私の手をぎゅっと握りしめ「よし!私、美智子ちゃんに日本髪を結ってあげる。」と言って下さり母は私に着物を買ってくれた。その写真をここにも載せたいが、どこにしまったか忘れた。成人式に行けない悲しみから美容師さんは、日本髪を結って下さるという明るい希望を考えて下さったことに、私は生きる喜びを感じた。だからこそ45年間も障がい者運動を行ってきたのかもしれない。今は穏やかに地域の美容室に行き楽しんで生きている。

 



 

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