ダンスは無許可で踊るものです(無料版)

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記事

熊に会ったら歌うこと。

「穴熊に似ているね」と言われたことがある。はたち前後の頃のことだ。リスでもウサギでもなく穴熊と言われたのだから、言った人の意図がなんとなく察せられるというものである。そのときから私は穴熊という生きものを見るたびに、同志の気持ちを抱く。思い入れている。穴熊を見る機会がそんなにあるか、と言われれば、ある。奥多摩の都民の森には、キツネやミミズクと並んで、きれいな穴熊の剥製がある。出遭ってしまった人が撮っ

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それはあなたの自由

言語は私たち人間がさいしょに被る震災である。私たちは生まれたときから、言語を被災している。東日大震災のあと、私はこんな考えに取りつかれた。震災なんか起こらなくたって、私たちの地面はずっと揺れていた、と思ったのだ。
 だけど言語は、避難所でもある。たとえば好きな本を何度も読み返すとき、もしくはよくできたハリウッド映画を映画館で観るとき、私はその世界に避難するような気持ちになることがある。ところがゴダ

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ちゃんと知りながら、へんなことをやる

ムーミン谷のひとたちは、お話が好きです。落ちこんだ気分を紛らわすのにはお話がいちばんだと、小さい動物のスニフでも知っているし、森のはい虫でさえ「ピンプという名前の、森のねずみがいました」(*1)というお話をもっています(このお話はこれだけで、続きはありません)。私もなにかひとつ、お話をしてみることにしましょう。

 ある夏、ある女の子がベルリンで、フィンランド人の男の子と知り合いました。友達の紹介

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何かをほんとうに聞くときには……

モモは特別でした。
 子どもの頃に出会ったどんな童話の主人公とも、モモは違っていました。星の王子様や赤毛のアンや大どろぼうホッツェンプロッツも、もちろん大切な存在です。でも、彼らとモモのあいだには、決定的な違いがありました。私はぜひともモモにならなくてはならなかったし、私のカシオペイアと出会わなくてはならなかったのです。その意味では、モモは私の宗教と言っても過言ではないくらいです。
 どうしてそん

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神様の庭は円い

「タイム」で一緒に舞台に立った毛利悠子さんの個展を見に、東京都現代美術館へ行った。毛利さんの作品が入っているブルームバーグ・パヴィリオンというのは、美術館の前庭に設置された、離れのような建てもので、白いパキパキした、屋根だか壁だか見分けのつかない、折り紙を途中で放置したような凹凸のある、青空によく似合う板で覆われている。似合うにもいろんな似合いかたがあると思うけど、その似合いかたは、青空に向かって

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ことばとともに気分よく生きていくために

12歳だった頃、私は何を考えていただろう。どんなことで悩み、どんなことが嬉しかったのだろう。
 小学4年生にあがる時、私は親の離婚を機に転校した。転校先の小学校では、登下校時にぺらぺらのスクールコートを着てヘルメットを被らなければならなかった。寒くてださいこの格好が私は心底嫌だった。デニムジーンズを履いていくと「長ズボンは風邪のときしか履かないんだよ」と同じクラスの子に釘を刺された。それは校則外の

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意味の明晰な欠けかたについて

巨大なカンヴァス。一面の灰白色。その白を優しく裂くように見え隠れする、淡い閃光のような水色、乳色……赤。うわごとのように時折はしる鉛筆の線。辛うじて読める文字と、文字になる前の線。頭痛のような黒の塊。平然とした白、不安げな白、黙ったままの白……。
 サイ・トゥオンブリーの作品に初めて出会ったのは二〇一二年、ベルリンにあるハンブルガー・バーンホフ現代美術館*1の展示室だった。見あげるほど大きなトリプ

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大粒の白い雨がばさばさ降っていた

朝目を開けると、白い、粒の大きい雨がどさどさ降っていた。ベッドに伸びたまま、白いなー、粒でかいなー、と、しばらくベランダを眺めた。神鳴りがひっきりなしに鳴って、稲光の閃光がカメラのフラッシュのようにバチッと目にはいってきたので、思わず目を閉じた。雨の粒がしょろしょろ小さくなってきたことが雨音の変化でわかって、目をあけてまた眺めた。すると、茶色いにゅるんとしたものが、弱まってきた雨のなかを、ベランダ

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