日記:メンタル日記と心の中の犬🐶

最近メンタルの日記をつけ始めた。

〇〇のことを考えて不安になった とか、
〇〇が更新されて嬉しくなった とか
出来事と気持ちを書いていく。
自分がどんなことで落ち込んだり、どんなことで喜ぶのかがわかって面白い。

きっかけはココロジーさんの記事(ツイート4枚目の画像)を読んで、なんとなく面白そうだなと思って興味本位で始めた。


喉が渇いてイライラしたとか、雨が降ってて行動するのに躊躇したとか、
言語化してみると、気持ちはちょっとしたことで変化するんだなあと思う。
記事では自分が他者に何を求めるのかという話になっていくけど、
今のところは単純に気持ちの揺れ動きをメモしている。

ただ出来事と感情を書くだけなので、特に大事なこともなく余っている適当なノートに書いている。
多分読み返さないけど、書き出すと気持ちが落ち着く。


書き始めてしばらくして、無感情だな、と思う時があることに気づいた。
何に対しても心が動かない感じ。
無だわ…と思うしかない。
とりあえず無と書いておく。

心穏やかならいいのだけど、そういうわけではなく何か居心地が悪い。
この無感情だと思っている状態はどんなふうに起こるのか、本当に無感情なのかどうか分析してみようと思った。


すると恐らく大きくて漠然とした感情に支配されると、無感情状態になるのではないかと思い当たった。

どういうことかというと、心の感情を犬に喩えてみる🐶。

心の中の犬は喜ぶと飛び回り、悲しむとクンクン鳴く。
目の前のことに反応できる。

しかし大きな感情(不安や悲しみなど)がある時、
大きな感情は黒いモヤモヤになって犬の周りをぐるりと取り囲み、犬は身動きが取れなくなってしまう。
狭いケージに閉じ込められているみたいに。
感情を表現することができない。

無感情のように見えて実は、背景に大きい感情があり、そのため目の前のことに心が動かなくなる。
ということがわかった。

これは自分の中で発見になった。


感情を犬に例えるのは、私の生活改善運動で安達茉莉子さんが「心の中に臆病な野犬がいる」と表現したことにわかるわ〜と共感したのと、同じタイミングくらいにたまたまYoutubeで観た「心の中のゾウと仲良くなると、人は動く」の話でなるほど〜と思ったことがあります。


上の二人のように、自分の心を何か動物に喩えるなら、犬だった。

誰にでも尻尾をブンブン振る人懐っこい犬。
怖がりで、不安になるとその場をぐるぐる歩き回る。
嫌だと思ったらテコでも動かない。
元々犬が好きなので、頭の中に映像はすぐに浮かぶ。
心が今どんなふうに感じているかを犬に置き換えて想像したら結構わかりやすいし、かわいいので観察も楽しい。

感情との付き合い方がちょっとわかってきた気がする。

今心の中の犬はどうしてるかな?と気にかける。
単にお腹が空いているだけのこともあれば、物陰に隠れてブルブルしていることもある。
犬が何かに怯えているときは、そんなふうじゃダメだと叱るのではなく、大丈夫だよーと励ましてあげる。
感情を否定するのではなくよしよしそうだねと撫でてあげるイメージ。
不安で身動きが取れないのなら、取り除いて広々とした心にしなければならない。
犬は弱い=私の心は弱いので、守ってあげなくちゃいけないし優しくしてあげる。


以前、何にもやる気が出なくて無気力になってしまったのを人に相談したら、
「あなたは頭だけで考えている。心の声ももっと聞いてあげて」と言われた。
その時は意味がわからなくて、は?と思ってしまったんだけど、今思えば心の中の犬をずっと無視していたから、そうなってしまったんだと思う。


なんとなく見ていた動画とかTwitterも、別に見たくないのに見てることもあるのだと気づくようになった。
いま自分がどうしたら気持ちが落ち着くのかどうしたいのかを、頭ではなく心で考えることがちょっとできるようになってきたと思う。


自分の中には犬だけじゃなくて、とても冷静というか感情が苦手な人も住んでいる。
喜びも悲しみも一歩引いて眺めている感じの冷徹な人。
犬とその人が同居している。
犬が暴れるとその人は困るし、その人の言うことばかり聞いていると犬が拗ねてしまう。
私の場合は冷静な人も自分の一部なので、
二人の関係を良く保つことが自分にとっていい状態なのかもしれない。


心と頭がバラバラの動きをする私には、色々と気づかせてくれる良い習慣になった。
今後も続けてみよう〜。


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