病床の蝉200326
旅の途中でこの文章を書いている。
批判は敢えて甘受しなければならない。不要不急ではないとはいえ、この危急の秋に旅になど出ている場合なのか。
人は旅をする生き物である。
オルドヴァイの渓谷を出発してから百数十万年。紅海を越え、ユーラシア大陸を踏破し、アリューシャン列島を渡って、南北アメリカ大陸を縦断した。
人生もまた旅であり、生きている限りは常にその道程にある。
人間に過去はあるのか。
卵子と精子の結合からはじまった人生の積み重ねの結果、あるいはそれ以前からの積み重ねによって今の自分があるというのは、物理的な事実だ。
しかし、現実認識としては異なる。
今の自分が過去を思い出した瞬間に、粒子としての過去の記憶が波を形作り、そこに「時空連続体としての自分」が”はじめて”出現する。
煉瓦を積み重ねた上に自分が立っているのではなく、今まさにこの瞬間、過去を思い出すことによって煉瓦は積み上げられるのだ。
思い出し、自分を形成するのは、立ち止まった時である。
歩き、走り、跳躍し、飛翔しているときに過去を思い出しても、それは断片的なものでしかない。
小池百合子東京都知事は昨日、都民に不要不急の外出自粛を要請した。
人々は、立ち止まることになる。
否応なく。
長距離走でつらいのは、走っている時よりも、一度立ち止まってまた走りはじめるときだ。肉体が、精神が、自己の全てが、ふたたび走ることを拒否し、悲鳴を上げる。
どうか立ち止まった時に、自分を確立しなおして欲しい。
再び走り出す力を絞り出すためには、自分の姿をとらえ直し、走る理由を見出さなければならない。苦しくとも、そこに理由はあるはずだ。
人は旅する動物だ。
危機に面した時、祖先が立ち止まって再び歩き出すことを止めていれば、私たちは今ここにいない。
旅をしてきた自分を再構成し、これから旅をする自分を見出して欲しい。これから与えられる自宅待機という雌伏の時は、明日へ続く助走の時間だ。
旅の途中で、この文章を書いている。
私は旅を続ける。あなたも、人生というよき旅を続けて欲しい。
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