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プレイを見せるゲーム esports編

 皆大好きe-Sportsについて。これはどうでもいい話なんだけど、筆者の使っている変換ソフトと、英語(というかアルファベット)の相性があんまり良くないのです。相性が良くないというのは、単純に言うと打ち込みにくいって事なんです。何が言いたいのかというと、e-Sportsの訳語をいい感じに漢字4文字くらいで考えてくれないかな~、って事です。まあ今辞書登録したんで、もう訳語はどうでも良いんですが。
 
 さて、e-Sportsの話です。
 e-Sportsについての問題点―特に海外と比べた場合など―については、他に譲ります。ここで扱うのは、感想に近いけども、筆者なりのe-Sports理解です。以下本文。


 e-Sportsが何かというと、興行の一種だろう。ゲームの興行だ。ゲーム以外でも、野球なりサッカーなり、いろいろな興行が存在している。視聴者の見たいものに答える形で、これからもいろいろな興行が増えていくのだろう。
 e-Sportsは、そうした視聴者が見たいと思うもののうち、ゲームが関係するものだ。ゲームといってもいろいろあるが、e-Sportsと呼ばれるようなものは基本的に対戦ゲームを指すのだろう。対戦要素の薄いゲームに焦点を当てたものは、e-Sportsというよりかは、ゲーム配信という形を取る事が多いだろう。
 ゲーム配信にも、e-Sportsと似た部分があるだろう。似た部分というのは、ゲームのプレイングを他人に見せる、という部分だ。
 違う部分は、e-Sportsでの配信とは違い、ゲーム配信での視聴者は、必ずしもうまいプレイを求めている訳ではない部分だ。視聴者が見ていて面白い映像はうまいプレイングだけではないし、ゲーム配信では配信者にゲーム以外のスキルが要求される場合がある。
 ゲーム以外のスキルというのは例えば、話がうまいだとか、リアクションができるとか、ゲームのプレイスタイルが視聴者の好みであるから、など。他にもいろいろあるだろう。ゲーム配信での視聴者は、ゲームがうまいから配信を見る訳では必ずしもない。
 少しゲーム配信に話が脱線したが、e-Sportsというのを端的に表せば、ゲームで行われる死闘を視聴者の皆様にお見せする興行だろう。死闘、といっても別に死人が出る訳ではないけども。

 一度e-Sportsから離れて、「リアル」の興行を考えてみよう。リアルの興行の多くは、真剣勝負を観客に見せる場であろう。
ここでのリアル、というのは物理的な世界という意味だ。別に「e-Sportsは虚空間に存在しいて、現実じゃねえ!」という主張をしたい訳じゃありません。念の為。
 閑話休題。リアルの興行というのはプレミアリーグとか、メジャーリーグとか、そういったものだ。実際にプレイヤー(選手)が体を動かす事が多いだろう。この「身体性」が存在するのが、リアルの身体性の特徴だろう。自分の体張っている訳なので、種目にも依るだろうが、怪我をしたり、場合によっては死に至る事故が起き得る。
 深読みをすれば、そのような危険があるからこそ、視聴者は見ていて楽しめるのだろう。捕捉だが、ここでの身体性という語は、生身の人間の体が持つ機能という意味で使っている。わかりやすい例えを挙げると、ボディビルには身体性があって、彫刻にはない、といった具合だ。

 その点、e-Sportsには身体性がない。マウスの操作を身体性に含めてもいいかも知れない。だが、マウスの操作で体力的に疲れるという事はないし、視聴者はマウスが動いているのを見て興奮したりはしないだろうから、少し厳しいだろう。
 この点、例えばピアノで複雑な曲を演奏するだとかには、身体性があるといってもいいだろう。演奏しているピアニストの手元なんかを見てみると、訳の分からない動きをしてる。そういったものは、もちろん人に依るが、それだけで見ていて楽しめる。その点、マウスを動かすというのは、見ていてもあんまり楽しくないだろう。手元よりかは画面を見ていた方がいいだろうし。
 ともかく、ここではe-Sportsには身体性がないという前提で話を進めて行きます。
 じゃあ、「身体性がないからe-Sportsは駄目なのね」と筆者が言いたいのかというと、それも早とちり。将棋にも身体性はないだろう。将棋は立派に興行として成立しているではないか。身体性は興行を成立させるための、絶対に必要不可欠の要素ではない。

 将棋はなんだかんだで話題になる。話題になる、というのはさして将棋に興味が無い人にも将棋界で何が起きたのかを知っている、あるいは何かが起きたと知っているような状況を想定している。
 仮に、街中でアンケートを取ってみても、将棋に悪い印象を持っているという人間はあまりいないのではないだろうか。これを将棋でなくe-Sportsで訊いてみたら、どうだろう。やってみないとわからないけど、多分将棋程の支持は得られないのではないだろうか。市民権を得るのには、まだ時間がかかるのだろう。いくらゲームをしている本人が真面目に努力していたとしても、周りからは「でもそれってゲームでしょ?」という見方をされるため、なかなか理解されないのだろう。

 さらに、e-Sportsが広まるための問題として、「e-Sportsは素人が見てわかりにくいんじゃないの?」という疑問も浮かんだのだが、これも時間が解決する問題だろう。
 どういう事かというと、ゲームで何が起きているのかが見ていてわかりにくいため、初心者が取っつきにくいのではないか、という事だ。確かに、目の前で何が起きているのかがわかりにくいという問題はあるだろう。
 だが、今は市民権を得ている興行も、昔から市民権を持っていた訳ではない。サッカーや野球のルールを多くの人間が知っているという現在の状況自体、積み重ねがあってそうなっているのだ。ルールを知っているからこそ、目の前で起きている事を理解できる。以下引用。

 昭和11(1936)年、日本でプロ野球のリーグ戦が始まった。しかしこの頃は学生野球全盛期の時代。世間はプロ野球の世界に身を投じる者に対して、「いい歳をした大人が、いつまで野球なんかやっているつもりだ」と言わんばかりの冷たい視線を向け、プロ野球選手はまともな職に就けない者たちの集まりとして扱われた。プロ野球自体が、限られた者たちの間での娯楽に過ぎなかった。
(松井正『二軍史 もう一つのプロ野球』、啓文社書房、2017年、30項)

 今ではテレビでも普通にプロ野球の結果を放送しているし、多くの人は野球のルールをなんとなく知っていると思うけど、そもそもそのような状況自体が特殊なのだ。時代背景も同じではないだろう。
 現在のe-Sportsがどのような見られ方をしているのか推測すると、先程挙げた引用の言葉を借りるならば「いい歳をした大人が、いつまでゲームなんかやっているつもりだ」という状況にあるのだろう。
 話題がゲームから逸れるが、こうしたバッシングは自体は―存在して良いのかはともかく―珍しい事ではないだろう。「いい歳をした大人がいつまで…」の文章のゲームにあたる所に、フリーターとかニートとか独身とか無職といったワードを代入してみれば、その事がわかるだろう。ただあんまりやると、自分にダメージが入るかもしれないからあんまりやらない方がいいかも。筆者には結構効いた。

 それで結論はというと、みんな偏見を持って生きるのはやめようね、という事ですかね。

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