結婚式と共にパニック障害は置いてきた。
こんにちは。
鍼灸師長田です。
今回は「結婚式と共にパニック障害は置いてきた。」そんな話をしてみようかなと思います。
なんだか不思議なタイトルですね。
自分で言っておきながら何を言っているのかよくわかりません。
でもなんとなくしっくりきたのでそのまんま書き進めてみたいと思います。
私は結婚したのが2021年4月、結婚式を挙げたのが2024年6月というなんとも不思議ですが絶妙なタイミングで結婚式を挙げました。
理由はコロナ禍真っ只中だった事や私たちの引越しに伴う生活の変化、そして気持ちの変化からでした。
結婚式というのは、両家をつなぐものとして大切な儀式として行われてきましたが、私の中では妻、妻の家族、私の家族、友人達、そして自分に対するけじめだと感じました。
式の準備をしている中で、妻の子供の頃を振り返ったり、妻の思いを聞いてみる中で結婚というのは並大抵のことではないように私は感じました。
妻の子供の頃の写真を見るたびに妻の両親の表情、妻の表情などにたくさんの事を感じました。
その中で
『娘さんを僕にください』なんて言ったわけですから、それはもう一大事ですよ(笑)
(→実際の結婚の挨拶では娘さんを僕にください!なんていう言葉は言えませんでしたが(笑))
結婚式の準備は思っているよりも忙しく、仕事と準備とに追われながらも無事に終えることができたわけですが、結婚式の最後となる新郎の言葉が式一週間前までまとまらずでして、最後の最後に準備を終えてからようやく纏まりました。
それまでまとまりの無かった言葉も準備を終えてひと段落したからかスッとまとまっていきました。
最後のスピーチの言葉に残したかったのは
「結婚とは無理に価値観を合わせなければいけないと思っていたが、違う価値観を持つ2人が一緒にいるから面白い」
というような言葉でした。
これは私が妻と出会って一番に感じた事でした。
パニック障害と診断されてから、生活に支障はほとんどないところまで回復したものの今でも特定の空間や特定の条件、移動手段などでは心配な面やどうしても避けていく場面が多いのも事実です。
診断された当時から今まで周囲の人には理解してもらえず嘘をついて集団から離れた事もありました。
「俺あっちに用事があるからこっちの電車乗って帰るわ!」とか。
そんな感じで生きてきたので本当の自分を隠しているような感覚を持っていました。
ですが、妻には隠し事はできません。
妻の特殊能力なのかもしれませんが、自分の変化に気がつくのが早く自分が不安そうな顔をしているだけで、他の方法をさりげなく提案してくるような人です。
時には自分の価値観や自分の感じている事に対して
「その方が〇〇でいいかも🧐」
「そういう考え方ができるのか!😳」
と言ってくれるような人でした。
まさにこの絵文字の様な顔です。笑
(妻がこのnoteを読まないことを祈ります)
結婚式で言った
「結婚とは無理に価値観を合わせなければいけないと思っていたが、違う価値観を持つ2人が一緒にいるから面白い」
という言葉は、自分の価値観というか自分の感じている世界が人によっては新たな発見かのように、自分とは違っても新たな価値観として受け入れてくれる妻を見ていて思いました。
それまで自分は〇〇だから(ここで言えばパニック障害)と自分を縛っていたのは自分なのかもしれないとすら思いました。
結婚式は妻の家族、自分の家族をはじめ、自分や妻とって様々な関わりを持ってくれた方々を前にして、自分にとってのけじめでもあるのかな?なんて最後のスピーチをして思いました。
パニック障害だから楽しめなかった人生ではなく、長田侑三としての人生の中にたまたま病院で診断された過去があっただけで、今がある事には変わりはありません。
パニック障害と診断された事に一番執着していたのは自分なのかもしれません。
パニック障害を置いて、長田侑三と向き合っていけたらと思います。
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