見出し画像

親人生は、2巡目人生

昨日、プロフィールとして自分の経歴を書いた。

思いのほか筆が乗って、かなりのスピードでかなりの長い文章ができあがった。
(これでも、1,000字くらいは削っている)

自分のことって語れるものなんだな……ということを改めて実感するとともに、ビジネスの話でも学問の話でも、説得力を持って書いたりしゃべったりするためには、いかに自分自身の経験にしていくかが重要なのだということを思い知った。

そんなわけで、昨日の記事の各セクションで削った部分が大いにある。
その中でも規模の大小はさまざまであるが、これからはもう少し僕の経歴の一部にフォーカスした記事も上げていくことにした。
早い話が、エッセイ的なネタを記事にしていくよ、ということだ。

後になって書きたいネタが出てきたりすることも考えられるので、順番は特に気にしない。
気が向いたときに、気が向いたところを切り取って書いていく。

今日は、いきなりではあるが、つい最近のお話だ。

昨年の5月、第一子が生まれて、僕は30歳で初めて父親になった。

もうすぐ11ヶ月になるが、おかげさまですくすく育っており、僕のiPhoneの中にある子どもの写真数が、それ以前の数年分の枚数を上回りそうな勢いである。

最近のブームは「ないしょ」だ。
「内緒ね」というと、人差し指を口に当てる仕草をしてくれる。
誰にでも自慢げに「ないしょ」ポーズを見せるから、きっと最終的には内緒にしきれずしゃべってしまうタイプなのだろう。

子どもとは休日はほぼ1日いっしょにいるし、平日は仕事から帰ってからは会えないこともあるが、朝がわりとゆっくりなので、毎日欠かさずコミュニケーションはとれているので、忙しいパパの皆さんと比べると、その点は幸せなことなのだろうなと感じている。

先日も、きゃっきゃきゃっきゃと遊んでいて、ふとあることに思い至った。
ああ、もうすぐ自分の人生は2巡目になるのか、ということだ。

「親子」という関係性は、当然ながら誰しも生まれた瞬間から発生する。

家庭環境にもよるので一概には言えないけれど、多くの人にとって生まれてからしばらくの間、親子関係を人生の一部、それも決して小さくない人生のひとつの「軸」として過ごしていくことになる。
僕にとってもそれは例外ではなく、今のこの年まで親を見続けながら生きてきている(独立してからもしょっちゅう会っているし)

子どもの目線で考えると、今はまだ0歳なので忘れてしまうが、3〜4年後には物心がついてきて、子どもの意識の中に「親子関係の軸」が表れる。

この親子関係の軸はもちろん僕も共有していて、親という違う立場での目線にはなるものの、自分にとっては2回目の親子関係となる。
つまり、親子関係の軸で考えると「2巡目」になるんだなと、そんなことを思ったのだ。

今まで、僕は幼稚園・保育園、小学校、中学校、高校、大学と進学して、就職したり、結婚したり、子どもが生まれたりと、大きなライフステージをいくつも経験してきたが、そのどれもが初めてで、完全に未知の世界だった。

ところが、これから子どもと歩んでいく人生は、子どもの立場で1度経験してきたことのなぞっていくものになるわけだ。

もちろん、僕の親と僕の関係と、僕の子どもと僕の関係はまったく別物だ。
それでも、子どもと自分の子ども時代の姿を、あるいは自分と自分の親のかつての姿を、重ね合わせながら、色んなことを思い返しながらコミュニケーションを積み重ねていくことになるわけで、そういう意味でも今までの人生とは違う人生になっていくはずだ。

そんなことを考えて、なんだか感慨深い気持ちになった。

子どもは親を見て育つというが、その子どもが親になってからも、親はひとつのロールモデルになるわけだ。

当然、子どもの方はそんな思いを知る由もなく、気づかないうちに僕の影響を受けていくのだろう。

彼の得意としている「ないしょ」ポーズは、ここ最近は何の脈絡もなく出てくるようになっていて、このままの調子で秘密だらけの大人になっては困るので、僕は秘密のない人生を歩んでいこうと思う。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?