見出し画像

きたがわ家というSNSのホーム

突然だが、私は姫気質である。

開口一番ならぬ読文一番に何を言ってるんだ、そんなことしらんがな、そう思う人も多いだろう。最もである。私もそう思う。
だが、姫気質なので続ける。

私は次女で末っ子だ。自分が出来ない事は姉や両親がやってくれたし、すぐに人に頼るクセがあり、甘えん坊で寂しがりやだ。そしてなんでも自分中心でないと気が済まない。

姫気質とはそういうことである。

そう、だから年下は苦手だ。仕事でついた後輩は、口をきいてくれなくなったり、歯向かわれたり、舐められやすい。「先輩、末っ子でしょ!」と怒られたこともある。

だから、この歳になっても年下とはなるべく関わらないように生きてきた。ところが最近、年下の子たちと触れ合うことが多い。

それが、きたがわ家である。

きたがわ家とは、元ロードオブメジャーのボーカル北川けんいち(通称けんちゃん)のファンの総称である。

けんちゃんは毎週月曜日23時からインスタライブを定期で行っている。(宣伝)https://www.instagram.com/kenichi_kitagawa/

そしてここ最近はコロナウィルスの影響から、外出自粛で落ち込んでいる皆の為に、お茶会という名のインスタライブを毎日やってくれていた。そこにはエリザベス様という奥様も登場し(声のみ)、お茶を飲みながらコメントを読んでいって話すというスタイルだ。

憧れのけんちゃんにコメントを読んでもらえ、自分の事を認識していってくれることに喜びを覚えた人も多い。

けんちゃんもエリザベス様も少しナーバスになっていた時期だったらしく、この楽しいインスタライブが気分転換になり、多い時で1日トータル5時間やっていたこともある。それ以上かも?

内輪感が出て離れてしまった人もいれば、そのまた逆でお茶会が楽しくて来てくれるようになった人もいる。 

ところがある日。けんちゃんは毎月25日に新曲をリリースするのだが(宣伝2回目)、その締切に追われて、23時を過ぎてもお茶会は行われなかった。皆、待っていたが時間も時間で寝ていいのかも分からなかった。そこに一人の男の子が「けんちゃん始まらないですね~」とインスタライブを始めた。けんちゃんのインスタライブを待っていた皆はそこに集まり、コメントで会話をした。そこからアイコンの文字だったものが個々の認識に替わり、色んな人がインスタライブをやるようになり、どんどん打ち解けていった。

同世代が多いだろうと思っていたきたがわ家は、驚いたことに年下の方が多かった。

こんな私でも、年下の皆は慕ってくれている。それが何よりも嬉しい。だから妹や弟がいればこんな感じなのかと思う。妹がいれば、私はきっと姫気質ではなかっただろう。妹が出来ないことがあれば、きっと私が力になりたいと思うだろう。

そう、妹が生きていれば。

せっかくだから、誰にも言ったことがないことをここに記そうと思う。

私が小学3年生の時、母は妊娠していた。父は大層喜び、姉は静かに微笑んでいたと思う。私は自分が姉になることに実感はなく、母親の出産日が近づいた。

その時のことはあまり覚えてはいない。何せ小さかったもので。ただ、出産当日、夜遅くなるまでご飯を食べず、家で姉と2人、父を待っていたことは覚えている。

そして帰ってきた父はコンビニ袋を片手に気まずそうにこう言った。

「直ちゃんは亡くなった」と。

『直』と書いて『すなお』と名付けていた。素直にまっすぐに生きるようにと願いを込めて。妹でも弟でもどちらでもその名前にしようと両親は決めていた。

母子共に健康で産まれて来た筈の妹は、ベッドに入れられる時に亡くなったらしい。
母も父も知らない間に亡くなったのだそうだ。詳しくは知らない。

今思えば医療過誤だった。しかし悲嘆に暮れている両親は、訴える気力さえなかったと、後から聞いた。

3人は呆然としていたと思う。私は父の片手にあるコンビニ袋からサンドウィッチを取り出し、おもむろに食べた。食欲がないという姉と父の分まで食べた。

父は「よく食べるなぁ。元気もらえるわ」と言った。 

父ちゃん、お陰で私は悲しいことがあるとよく食べるようになったよ。
太ったよ。

私は知っている。私達に見られないように、自分の部屋で泣き崩れた父を。私は分かっている。沢山あったベビーグッズを、私達が悲しまないようにとたった3日で処分してくれた母の想いを。

けんちゃん夫妻に息子が産まれた。名を「大地」といい、大きく育ってほしいと切に願う。
でも一筋縄ではいかない出産だったようで、だからなのか最近やたらと妹のことを思い出す。

見た事もない、写真もない、会った事もない妹を。

よく笑い、素直でまっすぐなきたがわ家の皆を見ていると妹はこんな風だったのかなとよく思う。妹がいれば、私はこんな風に語りかけるんだろうなと考える。今は自分中心ではなく、何か力になれることがあるのなら、力になりたいと思う。しっかりしようと背筋が伸びる。

少しは姫気質から脱却できたのかな。 

SNSでこんな出会いがあるとは。
SNSでこんな感情になれるとは。

インスタを開けば、誰かがライブをやっている。
誰もやっていなくて暇だったら、その当人がやる。
挨拶を交わし、日常や過去の出来事、悩み相談を話合う。
寝落ち配信を皆で見守ったり、毎日クイズを出して競ったり、海外にいる人たちとオン飲みをしたり、推しができてイチャイチャ配信をしたり。普段では出会えない人たちと日常を話す、一つのホームとなっている。

そんなきたがわ家がとても愛おしい。

けんちゃんの日常を歌った「ごはんできたよ」と言う曲で、こういう歌詞がある。(宣伝3回目)

2度と戻りたくないし
未来を知りたくもない
ひたすらに今が愛おしい

まさにこれである。少しでもひっかかった人は是非聞いてみて欲しい。(宣伝4回目)


きたがわ家の大家(けんちゃん)がこういう人だからいい人が集まるのだろうか。だが、今の環境や感情は長くは続かないと思う。人が増えればその分SNSの危険性はやってくるし、亀裂も入るかもしれない。もろ刃の剣なのは百も承知だ。

だからこの感情がなくなっていく前に、ここに記そうと思った。恥ずかしくて後から読んだら消したくなるかもしれないけど。

でもひたすらに今がとても愛おしいのだ。

#きたがわ家 #けんいち #北川けんいち #出せばよかったキナリ杯 #真夜中のラブレター #元ロードオブメジャー

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?