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自己紹介〜半径50mのアートマネジメント

みなさん,こんにちは。
アートな小部屋の家主こと,オリヨです。

家主の本業はアートマネージャーです。

アートマネージャーって何?

と,言っても何をやっている人なのかピンときませんよね。
正直言って,どこから説明したら良いかいつも悩みます。

ものすごくザックリ言うと「アートと社会をつなぐ人」と自覚しています。
アートの中でも私の場合は,音楽,その中でも<現代の音楽>。
西洋音楽(クラシック音楽)の系譜にある現代―今を生きる作曲家や演奏家を,
どのように社会と結びつけるか,ということを考え,活動している人,です。

では,具体的にはどんなことをしているのか?

例えばコンサートが開催されるとしましょう。
開催するにはどんなことが必要となってくるでしょうか?

どんなコンサートにするのか?
そのコンサートによって何を伝えたいのか?
伝えるためにどんなコンテンツ(内容,演者,会場など)を用意したら良いのか?
コンテンツが決まったら,どんな方法で宣伝していくのか?
当日の運営にはどんな役割が必要で,何人必要なのか?
お金はどのくらい必要なのか?

文化祭や地域のお祭りなどをイメージしても構いません。
イベントを実施するにはいろんな段取りが必要ですよね?
それらの全てを滞りなく実施するためにマネジメントするのが私たちアートマネージャーの役割だと思っています。
また,イベントには,様々な専門家が関わってきます。
プロデューサー,演出家,演者(アーティスト),照明,舞台,音響,デザイナー,レセプショニストなどなど。
そんな名前の付いた仕事以外の仕事を一手に引き受けるのが,アートマネージャー(この場合,制作とも言われる)の仕事です。
専門家でない仕事をする専門家,と言えるかもしれませんね。
だから,「アートマネジメント」と言っても,すごくイメージが漠然としているんだと思います。

美術の場合だとキュレーター(学芸員)という名前が浸透していますが,音楽の場合はそれに値する名前がまだありません(と,思っています)。

家主は4年ほど前までは,公共施設に所属する職員でした。
そのホールで行われる企画を考え,それを実施,運営するという役割です。
しかしある時,アートと社会をつなげるとか豪語しながらも,現実は日々の作業に忙殺するばかり。とても大事なことだとは頭では理解していても,立ち止まって考える余裕がありませんでした。

そして,ふと頭をよぎったのは,社会って何? 漠然に社会と言ってもなんの説得力もない。説明できない。これは,ヤバイな,と危機感のようなものを感じました。

アートと社会をつなげるー社会って何?―大学院へ

今を生きる作曲家と演奏家は,社会にとってどんな存在なのか

モヤモヤとする中で,抱いていた疑問を思い出しました。

もう,会うことが叶わないモーツァルトやベートーヴェンの方がよっぽど遠い存在であるはずなのに,存命の芸術家の方がもっともっと遠い存在のように感じられる

現代の音楽を扱うコンサートやイベントに来るのはいつも顔馴染みであり(現在の愛好家を責めているのではありません),どこか閉じられた世界,特有の閉塞感を感じるのはなぜか?

アートや音楽と社会のつながりを考える身として,このまま粛々と業務をこなすだけで良いのか? という疑問を持ち,一度現場から離れる決心をしました。

社会というものを知りたい,立ち止まって考えたい。
その思いから,大学院で学ぶことを決意。2020年3月に修了しました。

修士論文では,英語学校に集った受講生たちが,必修科目で英語劇を自分たちで作り上げる過程をフィールドワークしました。
演劇をやったことない素人たちが,発表会に向けて台本や演技はもちろんのこと,音響や衣装なども自分たちで考え,プロの指導がない中(指導は英語に関係することのみ)で自分たちの演劇を作っていく。そして,舞台で堂々した演技を披露する。

プロの現場を見てきた家主にとっては,不思議な光景であり,頭をガツンと殴られた気がしました。

彼らにとっては,演劇そのものはツールであり,みんなとの作業が楽しかっただけなのかもしれません。

しかし,作品を完成させるために試行錯誤し,見る人の立場で考え,表現を練習し,より良いパフォーマンスを目指して一人一人が動いていました。

もちろん,アート,芸術というものは奥深い世界であり,難解で複雑なものであり,簡単に「わかる」ものではありません。アートの世界に生きる人々はその世界に全てを捧げている,真剣に向き合っている人ばかりだと思います。

しかし,答えがはっきりとわからない中で,自分で考え,試行錯誤し,失敗しながらもそこからヒントを得て前に進むというプロセスは,同じく答えを教えてくれるわけではない日常を生きるために必要な道のりと重なるのではないかと思います。また,自ら表現する行為だけでなく,鑑賞,もっと平たく言うと,自分にとってすぐには理解しがたいものに直面した時にも同じことが言えると思います。

「なぜ,自分はそう感じたのか」

わからない。理解できない。という感情はあまり気持ちの良いものではありません。しかし,実は,そのぐらついた時こそチャンス。ポジティブなこともネガティブなことも,とっさの感情から自分自身を紐解くことへとつながります。自分の感情や考えを丁寧に扱いながら対象と向き合うという行為もアートはそのきっかけを与えてくれるものなんだと思います。

「答えのない世界で,自分で考え,試行錯誤する」

こちらを,アートと社会をつなぐ主軸に考え,独自の活動を展開しています。

その活動のひとつとしてnoteをはじめました。

半径50mのアートマネジメント

「答えのない世界で,自分で考え,試行錯誤する」というアート経験を積むためには,自分でその扉を開ける必要があります。そのきっかけ作りを増やしたい。

半径50mにいる一人一人に声をかける気持ちで言葉を紡ぎたい-

「家主がそう言うんだったら,聞いてみよかっかな,やってみようかな,見てみようかな」

そう思っていただけるような,文章をお届けしたいと思います。

プロフィール

鐘ケ江織代 Oriyo Kanegae
福岡県出身。桐朋学園大学卒業(音楽学)。滋賀県立芸術劇場びわ湖ホール、京都コンサートホールの各事業課を経て、トーキョーワンダーサイト(現トーキョーアーツアンドスペース)では「若手のための現代音楽企画ゼミ」を企画するなど、コンサートやワークショップの企画運営、若手クリエーターの育成・支援事業等に携わる。ワークショップの学習環境に興味を抱き、青山学院大学大学院社会情報学研究科博士前期課程ヒューマンイノベーションコースにて質的研究を学ぶ。2020年3月修了(学術修士)。現在、コーディネーター、リサーチャーとして人々の語りやナラティブに注目した独自の活動を行っている。東京大学全学自由研究ゼミナール「教養としての芸術学」ゲスト講師(2019, 2020),音楽実験ユニット「パレイドリアン」主宰。http://pareidolian.mystrikingly.com

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