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「引用リツイート」に恐怖する


日々少しずつ、「引用リツイート」という機能が嫌いになっている。

私は、自分が引用リツイートをすることに何も感じず、自分のツイートを他人に引用リツイートされる恐怖を感じる。

自分が引用するとき、タイムラインに突如流れてきたツイートに対してなんも意識せず、自分のふとした考えを上乗せしてツイートボタンを押す。
決して相手にぶつけているわけでもマウントを取りたいわけでもない。
自分がふわっと感じたことを、ふわっと紐づけて、ふわっと自分のタイムラインにただ流すだけ、というつもりで使用していた。

自分が引用されるとき、自分のツイートに誰かの言葉が上乗せされた状態で通知欄に現れる。

引用されてしまった自分の言葉は、必ずしも全てが芯のあるものとは限らない。
たったいま意識せず呟いた考えは、明日には真逆のことを言うかもしれないし、30分後にはもっと違う言葉になるかもしれない。
そんないつどう変わるかわからず、自分の中で深く思考したわけじゃない自身の締まりのない考えを稚拙な言葉で放流して、どこかの誰かのタイムラインで泳ぐことに、静かな焦燥感を抱えている。
誰かに考えてもらうほど、そんな深く考えて呟いたわけじゃなかったんだ。


先ほど軽く言った通り、
引用リツイートと言う行為はツイート元の人間に通知が送られる。

通知を受け取る側にとっては、リプライのようにしっかりと内容が読めるような形でやつらは現れる。
まるで自分に上乗せされた意見が投げられているように。

元気なときはいいだろう。
「なるほど、そういう考えがあるのか、自分とは違う視点だ」

そう自分の中に溶け込ませることができる。

ただ少し疲れた時や参ってる時、センシティブな気持ちの時。
相手にそんな気がないとわかっていても、攻撃的な印象を感じてしまうのだ。

リプライは自分に直接投げられているものだから、通知欄で140文字が表示された状態で現れることに抵抗はない。自分にボールが投げられそうなら、受けるために構えるし、投げ返すために腕を振り上げる。

けれどそれと同様の形で引用リツイートの通知が来るのはとても心がざわつく。
引用リツイートは、自分の言葉にだれかの言葉が紐ついたものであって、必ずしも自分に向けられているわけではない。自分に投げられているわけじゃないのに、なぜかひやりとその存在が心に残る。

引用リツイートをすることに嫌悪はない。
自分の考えが何に基づいているのか、手っ取り早く紐づけられるし、とても便利な機能だと思う。けれどその引用元の相手に自分の考えを押し付けたいわけじゃないし、知ってほしいという欲求もない。

引用される身としては、通知はあっても内容を見るか見ないか選択させてほしい。
通知欄には、
「〇〇さんに引用リツイートされました。」の表示だけでいい。

こちとらいつだって心が元気100%というわけじゃないのだ。

これを見るたび使うたび、
傷つけたい気なんて一切ないのに人を傷つけてしまってそうで、
今日も今日とてこれが怖い。


#オリタノコゴト

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