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部活動は、自己の成長に繋がるか

はじめに:医学生の部活動の意義を語る理由

 医学部での生活も6年目となり、これまでの学生生活を振り返る機会も多くなった。私は他の学生と比較して、学外でのビジネスコンテストや一般企業でのインターンシップ(@エムスリー社、ユニオンテック社)など、医学部生「らしくない」挑戦を多くしてきた。これらの医学部外の学生や社会人との交流は、自分のビジョンやキャリアプランを練るうえで、大いに価値のあるものであった。これを読んでいる後輩たちには是非上記のような医学部生「らしくない」挑戦を、学生期間中にたくさんしてほしいと思う。一方で最近では、医学部生「らしい」活動の象徴ともいえる部活動を軽視する声をよく耳にする。特にCOVID-19の影響で、各部活動はリクルーティングが不可能となり、部活動に入ることに異議を唱える者も増えたように思う。確かに大学入学直後に、「部活に入るか、入らないか」ではなく、「どの部活に入るか」を考えさせられる環境は外部から見ると異常であろう。私もボート部入部直後には、毎日のように乗艇をしている時間を、他の活動に割けたらどれだけ有益なことができるかと考えたことも何度もある。特に中学高校と運動部に所属したことがない私にとっては、プロになれないことが明白であるにも関わらず、健康維持以外の目的で運動をする意味が理解できなかった。しかし、卒業を意識した今になって私が思うことは、部活動には大きな価値があるということである。ここではその価値とは何か、医学部ボート部に所属した経験から私見を述べたいと思う。なお、人脈を作れるといった外在的なメリットではなく、自己成長といった内在的な視点から記載している。部活動に入るべきか迷っている医学生、部活動を頑張ってきたが意味が見いだせなくなった医学生の、助けになればと思う。


部活動の意義①:「量」の重要性

 私は常に成長し続けられる存在であると思っている。自分を絶えず成長させることこそが、自分の生きる意味であると考えているからだ。そのうえで自分を成長させるためには、自己鍛錬の「質」と「量」を高める必要がある。「質」と「量」、どちらも大切であることは言うまでもないが、医学部生はその特性上「思考」自体を好む者が多いため、「質」にフォーカスしがちである。私もかつてはそうであった。乗艇中も「距離」ではなく、「技術練習」にこだわり、オール一本の「質」を高めることにフォーカスしていた。しかし経験上、がむしゃらに「距離」を稼いだ練習で何かをつかむことが多いのである。特に自分はCOXとして漕手のオールを観察することが多かったが、漕手のオールはスタミナが尽きたときに、その一本の質が向上する光景を何度も目にした。逆に言えば、どれだけ素晴らしい「技術練習」を積んでも「距離」を稼いだ練習には勝てないことが多く、「距離」を稼いだ練習の先に一段階質の高いオール一本が引けるのである。もちろん思考をしない練習をがむしゃらに続けるべきだと言っているわけではない。しかし、「質」を高めるためには「量」が前提となるのである。

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 このことはボート/部活動以外の活動にも応用される。医学部生は頭を使って先を読めてしまうからこそ、無駄なこと・メリットのないことを避ける傾向が強いように思う。つまり、一つ一つの行動のリターンを計算することで、行動の「質」を高めようと行動している。しかし、それでは自分の想像の範囲内の成長しか掴むことができないのである。そして、リターンが明確な行動は皆が取ることができる、皆が努力できるのである。つまり、瀧本哲史氏の言葉を借りるならそのような人材は社会において「コモディティ化」する。そうなるのではなく、メリットがあるかわからないことに行動・挑戦をしてみよう。行動の「量」を増やすことによって、その経験が次の行動の「質」を高めることにつながるのだから。自分にとって部活動の一つの価値は、このことを実感できたことであった。

 そして上記の主張は、僕が尊敬する橋下徹氏(上)やシバタアキラ氏(下)が仰っていることとも共通する。

自分のウリに基づいた仕事は、圧倒的な量をこなせば、自然と質が上がっていきます。すなわち、ウリに磨きがかかってくる、ということです。質は量をこなすことによってこそレベルアップするものであり、質だけをレベルアップするのは非常に困難なのです。
量をこなすと精度が上がり、精度が上がるとさらに量をこなせるようになります。すると結果が出て成功体験につながり、自信がついてくる。成長スピードが加速する良い循環が生まれるのです


部活動の意義②:「個」から「チーム」への意識変革

 医学部生は多くの者が自分の能力に自信を持っていると思う。実際大学入試における医学部は客観的に見ても狭き門である。医学部外の学生や社会人と接してきた経験からしても、それ自体は誤りではなく、確かに優秀な者が多いように思う。しかし、だからこそ自分の力で何でもできると誤解をしている人が多いようにも思う。自分もかつてそのうちの一人であった。例えば、フォア(4人乗り艇)での乗艇を想定してみよう。もちろんフォアなので全員の漕力が総合されてその艇速が決定されるが、フォアのうち一人の力が向上するだけでも間違いなく艇速は伸びるのである。だからこそ自分の漕力を向上させることには大きな意味がある。しかし、このことのみに眼が行き、自分の能力のみを向上しようと考えるのは効率が悪い。なぜなら、自分ではなく、自分以外の3人の能力を向上させた方が艇速は伸びるからである。つまり、艇速を最も効率的に伸ばす方法は、チームで戦うことなのである。

 一般企業で、いわゆる世間を垣間見た立場からすると、学生と社会人の間には一つ大きな違いがあるように思う。それは、個人でコントロールできる事象の範囲である。学生時代は何かを変えたいと思ったとき、自分が変われば事態に変化が生じることが多い。しかし、社会にでれば自分が変わっても事態は何も変わらないことが多いのである。それではどうするべきか、それはチームにアプローチすることである。何かを変えたければ、自分が所属するチームに働きかけ、チームとして行動することが効果的なのである。チームとして戦うことの意味を、艇速としてリアルに実感できた経験は自分のなかでとても価値があるものであった。

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おわりに:「身体」で学びを得るということ

 ここまで、医学部生が医学部生「らしい」活動の象徴である部活動の意義について述べてきた。私が自身の経験から得た学びは、部活動にユニークな学びではない。そのため、部活動以外にこのような学びを得られる場所を作れるのであれば、部活動に入る必要はないであろう。しかし、「頭で理解している」ことと「身体で理解する」ことは全く異なるものである。身体で理解していないことは、実践的な場面でこれらの学びを活かすことはできない。このような学びを身体で理解する場所は、閉鎖的な環境にいる医学部生にとって案外貴重なものなのではないだろうか。

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