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備忘録⑥

2019年の秋。

前回からパイロットも更に追加募集をし、合計約40名で第二回目の「分身ロボットカフェ」の実験を迎えた。

分身ロボットカフェに共感してくださる企業、法人も増え、働く人数も大規模に、役割、仕事の種類も大幅に増えていた、クラウドファンディングも1000万円を超えるほど集まり、第一回目を遥かに上回る規模で開催された。

ケガをする前からもう一度仕事をするに至るまで。

いわゆるどこにでもいる普通の社会人でした、飲食店の正社員として毎日仕事ばかりしてた気がします、そして7年目の冬の1月に誤って自宅の三階から落ちてしまい脊椎損傷になりました。落ちた高さは約7メートルあったそうで、外科の先生に助かったのは奇跡だよと言われたが「でも手も足も動かないなら運がいいんだか悪いんだかよくわからんな」と内心思っていたり。
ケガをして最初の4年間は何もせず部屋で引きこもっていました、「どうやってこの暇な時間を潰そうか」を常に考え、いわゆる天井ばかりをみる生活で当時は仕事も探してはいたがなかなか見つからず口で操作してるスマホでYouTubeなど動画を観たり、電子書籍の漫画などをみたりしてなんとか時間を潰す日々でした、そして何をするのにも毎日ヘルパーさんや家族にしてもらうばかりで自分からは何もできない申し訳なさや生活もカツカツでお金に余裕もない、なぜ自分ばっかりこんな思いをしなくてはいけないのかと、心がすさんでいき、どんどん自分が嫌な人間になっていきました。「生産性のない自分はなぜ生きているのか、ましてや生活保護も受けている、しかも年齢も30代なのであと40年、50年、生きるとしたらこの生活で生き続けるのは暇でツラすぎる、でも自殺したくても自分では死ねないし」など常に思っていました。

そんな僕ですが「分身ロボットカフェ」を通して色々な事ができました。誰かに必要とされたり、お金を自分で稼げた事などもですが、なにより一番はカフェで稼いだお金でカフェの最終日に生身で飛行機に乗って東京のカフェの会場に行けたこと、これは一番の出来事でした、ケガをしてから県外はおろか隣町にすら行かず、病院の定期受診ぐらいしか外に出ない僕にとって

「自分で稼いだお金で飛行機に乗って東京のカフェの会場に実際に行き、パイロット仲間やオリィ君に会いに行けた事」

は僕にとってとても大きな意味を持ちました、「特別な人間でもなく、ましてや生活保護を受けている重度障害者の僕ができるのなら他の外出困難な人達も、必要とされる事やお金を稼ぐ事ができるかもしれない」と。

最終日。


そしてカフェ最終日に東京で開催されてる現地でオリィ君や仲間たちと打ち上げをしているとその場で大阪の共和メディカル(株)という会社がカフェでの僕の働きぶりをみて、雇用契約をしたいと言ってもらえました。

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