My Profile#8 サッカーW杯へ心躍らせ退職してボランティア〜キャリア1.5

将来安泰の道を遮って、ボランティアをやろうという無謀な決断をした私。

何がそうさせたのか。いま振り返っても、この時はまったく恐れなどなかったように思う。それくらい、私の中では、このワールドカップという世界大会へ関わることにワクワクしていた。

しかも年度末というタイミングがいいと思い、3月末で退職し、5月下旬まで実際の活動がなかったために、この空いた期間に「5週間のイタリア語学留学」をしてみた。

ありがたく微々たる退職金をいただいたので(この後の転職人生を考えても、退職金などいただいたのはこの時限りだった^^;;!)、それを資金に留学・ホームステイの経験をしたかったので、イタリア・ミラノへ。

海外で一番好きなのはイタリアだった。英語にはちょっと限界を感じていたので、他の語学をやりたいなと思っていて浮かんだのがイタリア語。完全に「好き」だという理由のみ。サッカーとパスタとに囲まれる日々♡

ホームステイ先に着いて部屋に案内された後、窓を開けて眼下を覗いたら、そこにサッカーコートが。やはり街中にサッカーが溢れていることと、私が今後サッカーに関わっていくことも暗示していた気がした。女子1人でセリエA観戦にも行ったし、発砲騒ぎのスタジアムに居合わせたこともあったりと、ドキドキも止まらない日々だった。

やはり旅だけではなく、滞在することで、その街の文化を体感することができた。電車やバスはストライキでしょっちゅう止まるし、日本のせかせかした感じと違って、とても穏やかな時間が流れていた。

そしてさまざまな国から来ている留学生同士の交流。アジアからは韓国人が圧倒的に多く、彼らのバイタリティは凄かった。いい意味でカルチャーショックを感じた出来事も多かった。


さて、ワールドカップボランティアのほうは、幸運にも学生時代の同級生が茨城県庁の担当スタッフになっていて、彼にボランティアしたいことを話したら、最大期間である2週間、コアに働ける場所に配置してくれた。それがなければどこに配属されるかわからず、駐車場係とかで終わっていたかもしれない。。

配置していただいたのは鹿島ベニューのメディアセンターオフィス内業務のサポート。JFAや鹿島アントラーズのスタッフさんとともに業務をさせていただいた。オフィス内の雑務で試合も観ることはできなかったけど、念願のワールドカップへ関わる業務として毎日本当に楽しかった。

世界中から集まる記者や報道担当者を相手に、ご案内から資料の配布など、後に関わることになる「FIFAクラブワールドカップ」の業務にもこの時の経験が大きく参考になっている。

たった2週間のために、前職を辞めてボランティア業務をしていたのだが、これを機にサッカー関係者に関わり、そちらへの再就職ができるようそのチャンスを探ってみたりしていた。

「サッカーの仕事をしたい」そう思うようになったのは、Jリーグの発足がとても大きい。当時の川淵キャプテンの指針から「地域にスポーツ文化を根付かせる」という大きな目的があった。このことにとても共感し、もともと公務員になろうかと思っていた私にとって、スポーツを通して地域起こしができるという視点は、とても嬉しいものだった。

私自身も、スポーツからたくさんの元気や勇気をもらってきた。観る側ではあったが、自分が体現できないことを行っている選手たちを観る&応援することがとても楽しかったから、それらを提供する&支える側になりたいと思うようになっていた。

ボランティアの2週間を終えて、まっさらな状態になってしまった私は、次なる手段を打とうとサッカー界でどう働くか、ということを考え始める。もちろん、ボランティア時代に関わった方たちとの関係を保ちながら、模索していた。

そして次なる展開に身を乗り出すことになる。。

https://note.com/orie_plusgreen/m/md19be76524d4

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