My Profile#5 部活動一筋の高校時代と大学受験

部活動のために高校を決め、無事に合格を果たし、県内では数少ない私服での高校生活がスタートした。

それと!今まで読んでくれた方にはお分かりでしょうが、あんなにメガネに抵抗していたのに3年間メガネ生活でした!ついに!? 時代的に黒縁メガネが流行った時期だったのですよ。だから流行りに乗ってみた、という感じで。

コンタクトレンズも出てきていましたが、私は度数が悪いのと体質的なことで、なかなか合うものがなくて。。なので生活に取り入れたのは大学に入るタイミングでしたね。さすがにそれ以降は印象を変えたかった!ので、


さて、ブラスバンド部では、念願のアルトサックス(購入してもらったシルバーの!)のパートをいただけるようになり、レベルの高い先輩&同級生たちと朝練から昼練・夜練まで明け暮れていました。

年1回の定期演奏会はOBの先輩方を含む伝統的&大規模なもので、夏のコンクールでは関東大会へ進出するか否かというレベル、そして秋のアンサンブルコンテストも同様に没頭していました。(サックスはアンサンブルがいい!)

先生が名だけの顧問だったので、指導はすべてOBの先輩から。そういう中でいわゆる「大人」と関わる機会も増えて、しかも私服高校だったので、いわゆるJKとはちょっと違う生活だったなぁと感じています。


いま(大人になって)振り返るときに出てくる事件は大きく3つ。

まず1つ目は、幼少期からアレルギー体質で慢性鼻炎を患っていた私は、口呼吸になることが多く、その改善のために漢方を試すことになります。そこで「冷たい牛乳とみかんはやめてください」と言われ、この頃から牛乳神話の罠を体感し始めます。(後の食生活の改善ヒントにつながっていきます)実際に改善できたのは高校卒業してからかと思いますが、アレルギー克服の一歩目はここでした。

(ちなみに小児喘息は小学生低学年くらいまでで治っていました)

そして2つ目は、高校最後のコンクールを控える高3の夏休みに盲腸の疑いにあったこと。右下腹部に違和感を感じて、コンクール直前(3週間くらい前)に病院へ。あまり悪化していなかったけど再発を嫌がって、このタイミングで盲腸手術を。しかし、コンクール直前ということもあり、術後の復帰でお腹に力を入れられず、ギリギリでやっと本番を迎えられる、という事態でした。この時の記憶が残って、「こんなタイミングでなんてこと!」という怒りのような感情が体に残っていたのでした。(後のボディートークセッションで明らかになります)

さらに3つ目は、大学受験。志望校を決めるときに、もうここがベスト!というものが私の中にあったので、周りが滑り止めとか受けまくる中で、まったく見向きもせずに一本に絞り。しかしなんとセンター試験の点数がまったく足りずに2次逆転にかけるしかない状況に。。でもなぜかですね、きっと大丈夫、という謎の自信があったのですね。(←今あったらほしいくらい)しかも当時の担任が、それをまかせてくれた!普通の先生なら変えた方がいい、というところ、がんばって!と後押ししてくださったのが救いでした。今でも感謝しています。見事に合格したのでした!

「信じるものは救われる」「根拠のない自信」このあたりは本当だと思います。

このような充実&破天荒な高校生活を経て、同県内ながらも初の一人暮らしへ向けて準備を進めていきます。

高3の卒業式に2人同時に告白されて(黒縁メガネでも告白された!しかも親友同士から)1人を選んだ、というドラマのような展開は、今でもいい思い出として残っております。

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