My Profile#11 念願の組織で人脈拡大と葛藤と〜キャリア3:日本サッカー協会

「サッカー界には人脈もないしなぁ。。」と日韓ワールドカップではボランティアをしていた私が、その5年後には、日本サッカーの中心組織である、あの八咫烏を掲げる日本サッカー協会で働くことになろうとは、誰も想像し得なかっただろう。

でも、そうなった。Jリーグクラブも経験し、今度は「協会」へ。人生とは本当に「妙」なものである。

#10で綴った学びからの御縁でいただいたお仕事でNターン。充実感とやりがいを感じながら意気揚々と過ごしていた(はずだった)。


初期からありがたいことに責任あるお仕事を任せていただき、全国各都道府県の組織と関わる立場をいただいた。一方では、世界と繋がる組織であるために英語を駆使した業務にも携わらせていただいた。

サッカーとはそんなスポーツで、世界との関わりも、国内での繋がりも、しっかり組織立った規程を作って運用されている。そしてさらに、お金の流れも人(選手)の流れも循環するような仕組みもある。

なかなか文化の違う世界を統一させる規則を作るのは難しいところではあると思うが、その精神があるからこそ、スポーツマンシップが守られ、この競技に魅せられる人が多いのだと思う。


さて、私の方はせっせと内勤(デスクワーク)にいそしむ毎日を送っていたが、自分の中での違和感に気づき始める。。Jリーグクラブの経験がある私にとって、サッカーの仕事に携わっているのに、週末は休みでパソコンに向かう日々に違和感を覚えるようになっていた。

スタジアムやイベントで一喜一憂する、という仕事をしていたから、同じ業界であるのに内勤で終わる毎日は、ずっと何かがウズウズしていた。

役割が違うのだから仕方ない、と思いつつも、度重なる異動希望も叶わず(今となっては贅沢なお話だが)、3年目に富士登山や屋久島旅行を経験したことなども含め、人生のほとんどを人工的なビル内に身を置く生活と本来の自分自身との乖離を感じ始めた。


そんな時にまた転機が訪れる。

この就職前の学び(SMC)でヨガを体験したことから、地元のスタジオに通い始め、上京してからもヨガを続けていた。その中で私が「この先生に習いたい!」と閃いた先生に師事しながらいると、その先生が自分で拠点を構えようとする動きになり、サポートするメンバーが必要になっていた。

仕事をしながらサポートすることを数ヶ月していたが、ある時から本格的な「スタジオ」を構える動きとなる。まだ正式に誘われないうちから、自分の出番な気がした私は、JFAも離れる決意をする。

安定した収入が(ある程度保証されて)得られる仕事から、まったく未知の立ち上げたばかりの社長がいるだけの会社へ。。またもや、無謀な転職をしていた、というかしてしまった。

こういう時は思い切りがいいのに、他の細かいことにはちょっと二の足を踏むことも多く、自分でも可笑しくなってしまうが、この時もまた、大きな組織での窮屈感を感じていたタイミングでかなり自由な(しかしリスクのある)世界へと動こうとしていた。

しかし本当に、大きなさまざまな経験をさせていただいた。立場的にも希有な組織であったため、ほんの4年強でも携わらせていただいたことには本当に感謝している。


2021年現在、おかげさまで別の形でサッカー界とは関わらせていただいている。それらは改めて記すとして、人の御縁で繋がるキャリア形成ではあるが(別称:行き当たりばったり)この時もまた、離れることを周りからはいろいろと言われていた(と思う)。

しかし、自分にとっての正解は自分にしかないから、とやかく言われようと、自分が思う道に進むことが大切である。

ただし!感謝の気持ちは忘れてはいけない。私もここまで、さまざまな場面でいろんな方のお世話になり、心配もしていただき、ここまでやってくることができている。その瞬間ごとに関わっていただいたことへの感謝は常に胸に抱いている。

そしてもう1つ。離職する直前に、東日本大地震が起きた。しかも私は引越し当日で。そんな激動の年に、私自身も新たなチャレンジに向かっていた。揺れを感じる間もなく自分自身も揺れていたが、こうして3度目の転職を迎えることになる。

https://note.com/orie_plusgreen/m/md19be76524d4

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