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虐待サバイバーのわたしへ


はじめに

 虐待サバイバーの私自身の気持ちの整理のための記事です。

“虐待サバイバー”とは、子どもの頃に虐待を受けた人が命を落とさずに成人した、 虐待を生き延びた人という意味で当事者間でもよく使われる言葉です。

当事者の方は、何がきっかけでトラウマがよみがえるかわかりません。また、センシティブなものなので不快にさせるかもしれません。具体的なことを書くので1つ目は読み飛ばしてください。気持ちの整理です。自分自身に向けたものですが、もしかしたら同じような気持ちでいる人に届いたらうれしいな、と思います。

私はずっと、誰かにもう大丈夫と言ってもらうのを待っていました。そして、大人になりました。だから、次は誰かに、「頑張ったね、もう大丈夫だよ」と言える人になりたいです。


これは私の話ですが、これは被虐待児・虐待家庭に共通する話でもあります。当事者以外の方にも知ってもらえると幸いです。

わたしのこと

 中高大の一貫校の私立女子校に通っていました。この時点で、虐待サバイバーの抱える貧困と教育の面で恵まれているのだと思います。家庭内では自己破産や借金など金銭問題は抱えていましたが、見栄の塊のような親なので周囲には良い家族を取り繕うのがうまかったのです。なので、どれだけ殴られても全く気付いてもらえませんでした。痣があっても。

虐待とは身体的虐待、心理的虐待、性的虐待、ネグレクト(育児放棄)、過干渉、経済的虐待、教育虐待など様々です。

事件になってニュースになるような内容でなくても、住む家があって、教育を受ける環境があっても、虐待にあって必要な支援を受けていない子どもたちはいます。そして、その時の私のように他人に簡単にSOSをだせません。これくらいなんてことない、怒らせてしまう自分が悪いから…等。

そして、助けを求めたときに「そんなこと、たいしたことじゃない」と言われるのも怖かったけれど…

何より一番は、親が自分のことを大切にしていないことも、認めたくなかったのだと思います。だって好かれたかったし、愛されていると信じたかったから。

それでも思春期を向かえると、周りの親と子の関係性と自分の親との関係性に違和感を覚え、どこかおかしいのではないかと思えるようになりました。それが両親のいる家庭から母子家庭になった中学生の頃です。母親の暴行が悪化しました。殴られるとき、反射的にでも避けてしまうと反省していないとみなされるので、やり直しです。ただ、殴るのも疲れると、下剤チャレンジや咀嚼したものを食べることもありました。また、賞味期限がきれている食材をわざと使ってお腹が痛くなると「良い気味だね」と笑っていました。

親のことは好きだったし、好かれたかったので小学生のときに留守番をしている間、言われる前にお皿を洗ったり家の中を掃除したことがありました。普段は指示があったところをやっていたので、自分からやったことで褒めてもらえるのか、少しだけ期待をしてわくわくしてしまいました。

けれど、「嫌味みたいにぴかぴかにして、褒めてもらおうっていう魂胆が丸見え、ほんとに意地汚いやつ」とその時は素手で顔面を殴られました。綺麗にしたところにわざと味噌汁を溢して、掃除が好きなら片付けな、と笑ってまた出かけました。

母は、“お母さんのがつらかった”が口癖でした。いらいらさせるのが悪い、イライラさせたお詫びをしろ、誠意があるならやれるはず、と。私は何しても苛立たせてしまうことが申し訳なかったです。

虐待親はどこの家庭も似たようなことをいいます。私の親も例にもれず虐待親のよくある言葉を日常的に投げました。

「あんたは失敗作の人間」「産まなければよかった」「誰かに殺されてきてよ」「自殺はやめてよ?迷惑だから。特に電車」「嫌ならでていけ」「誰のおかげでご飯が食べれて、学校に行けると思ってんの」

母親も、「私の方がもっと辛い目にあってきた」「あんたはまだ恵まれていることを感謝しろ」と何度も言っていました。母親も、子どもの頃に親に虐待されていたんです。被害者だったけど、今度は加害する親になってしまった。虐待の連鎖です。母親も虐待受けていてそれでも自分の子どもには虐待をしたくないって思っていたと言われたことがあります。でも、私を見ていたら、手を出さずにはいられなくなったんだ…と。

エスカレートしていき、私がストレスで一時的に左顔面神経麻痺になったり学校に行かせてもらえなかったりすることが増え、交通事故の手術のときも親が不在など色々な出来事が重なって学校の担任の先生に気づいてもらうことができました。

親に内緒で児相へ相談し、家庭裁判所を経て母親に親権はなくなりました。私立に通い続けるためには選択肢は限られるので、同じ学校に通い続けるために暴力を振るう父親を選びました。父親は母親に対してDVをしたことが裁判で認められて離婚しているので、調停員の心証はよくありませんでしたが、私の意向が尊重されました。

サバイバーなのに、児相のあと私立に通い続けているのはどうやったのか?という質問も過去にありましたが、こういった内容なのであまり参考にならなくてすみません。父親も父親なので殴られまくるのですが、殴ってスッキリしてくれるぶん、母親よりはずっと良かったです。どっちのほうがマシだ論は好きではないけれど、その時のわたしにとっては、殴って終わるだけの父親がマシでした。

就職後、家をでたときは、ようやく解放されたと思いました。


被害の矮小化

「家にいるとつらい」、「誰かたすけてほしい。」

…誰かに聞いてほしくても、言えない。

ネットでもリアルでも被害を訴えても、

「お母さんだって辛かったはず」

「親だってしたくてしたわけじゃないよ」

「親になればわかる」

「何か理由があるからされたんじゃないの?愛情だよ」

「世の中にはもっとひどい目にあっている子はいる。ご飯も食べられない子もいる。それに比べたら、恵まれているよ」

という、言葉の二次被害があります。

虐待サバイバー同士でも「私の方がひどかった。」「それくらいなんてことない」などの、苦労や不幸の競争。マウンティング。

あなたの被害はたいしたことではない、自分の方が辛かった。あの人の被害は噓だ。これは虐待にならない、など。

私が友達に打ち明けた時も、信じてもらえなかったとき、とてもショックでした。嘘だと思われることはとても苦しいことです。

…なので、具体的な言葉やされたエピソードを少しだとしてもそれを書くのはかなり悩みました。家裁の決定打になった内容を少しだけ書きましたが、それでも、たったそれだけか、たいしたことない、と思われるのが怖いのです。言えない、言いづらい。10年以上いる身近な人でさえも、具体的なことを言ったことはありません。言ってどんな反応をされるのか見たくないし、恥ずかしい自分を見せたくないからです。ネットだから書けます。

もし、あなたに誰かが被害を打ち明ける選択をすることがあったら…子どものSOSのサインに気づけたら…  

「まさか」をまずは信じて、話を聞いてほしいです。

寄り添うこと

 虐待させるような原因があったという、被虐待児を責めること。

もっと被害のひどい人がいるから、あなたの被害はマシだという価値観の押し付け。

もう過去のことなのに、まだ忘れられないのかという忘れらないことへのダメ出し。

恥ずかしいことだから言わない方がいいという自責と孤立させる言葉…。

それよりも、話を信じること。話をしてくれてありがとう、悪くないんだよ、もう大丈夫だよと伝えたいです。

ただ、何でも言ってもらおう話をしてもらおう…というのも、トラウマの再体験にもなってしまうので無理強いをさせないことが大事です。

“心理的ディブリーフィング”…つらい体験、出来事について何が起こったのか考えさせたり、起きた事を詳しく分析させるものではありません。

また、聞いたことを他人に勝手に話さないことも大切だと思います。

支援や寄り添うって、難しいですよね。でも専門家じゃなくてもできます。 

かけたい言葉は、人によってそれぞれで難しいですが、せめて…。かけたくない言葉だけでも意識して、SOSを支援につなげたり、傷つける言葉ではなく受け止めて、それぞれの辛さを認めるように、寄り添うことができる大人でありたいと、私は思います。

子どもは守られる存在でもあるけれど、親の『所要物』ではありません。

今、子育ては学ぶ時代となっています。マルトリートメント(不適切な養育)とは何か学び、無くせるような防止と発生させない取り組みが求められています。

みんなが、子どものアドボケイト。子どもの声を聞く、子どもが声をだせますように。


もう大丈夫

 児相で担当をしていただいて、お世話になった児童福祉司の方から手紙をもらったことがあります。

『どうしているかな、とずっと気になっていたけど便りがないのは困っていないからかなって遠くからおりちゃんの幸せを祈っていました。
本当に色々な事があったと察しますが、これからは おりちゃんの人生が明るくひらけてゆけばいいな、と心より思います。』

と書いてありました。


児相の担当だった方は、当時わたしがずっと欲しかった言葉をくれました。

「話してくれてありがとう。よく頑張ったね、もう大丈夫だよ」

 お世話になった方からの言葉は、何気ないようで重く、とてもうれしくて前向きになれました。

 「大丈夫だよ」の一言を言ってもらえて、とても安心感がもらえました。ここにいても大丈夫、という安心感と生きてて大丈夫、居場所や存在価値を認めてもらえたような。

裁判が終わって落ち着いてからもらった手紙は、ずっと宝物です。そして改めて思いました。

もう私は、大丈夫なんだ”、と。

人からもらった言葉はエネルギーになります。だからわたしも誰かに、話してくれてありがとうと伝えられる大人でありたいと思っています。


忘れられない自分を許す

 大人になってもトラウマがよみがえると、いつまでも親を許せない気持ちや、許すことができない自分の気持ちに、どうしようもなく嫌になります。今が幸せならそれでいいんじゃないかと思っても。反面教師にして、優しい人間になろうと思っても、波がくると夢でうなされたり突然自己嫌悪に陥ったり、思い出しては泣く、その繰り返しに。でも親はそんなこと知りもしないと思うと、またそれも苦しいのです。

虐待をうけても立ち直ってしまえば、その過去の人生も無駄なことじゃなかった、必要なことだったなど、よく聞く言葉があります。

“自分の人生に無駄なものなんてない”

何かの糧になっているんだと思わないとやっていけないから。それは、自分のためだったんだと思わずにはいられなんだと思います。だから、この言葉は嫌いでした。

だって、虐待なんて必要なかった。

過去があるから今の自分があるのだとしても、虐待なんて、無い方がいいにきまっている。

…でも、そうやって、弱いところや恥ずかしいと思うところも認めて、自分のためにするための、自分に向けて言う言葉なんだなと思うようになりました。

無理に許さなくてもいい。許せる日はこない。

そしてこの先、思い出して泣く日がこなくなることが無いことも、それも、認める。

ネットでもいいから、吐き出して書いてみる。

ただ、それも必要以上に悲観しない。

もう自分の人生は次に進んだから、もう大丈夫だから、受け入れる。許すことができない自分も。

罵倒したくなったときは心の中で。

泣きたくなったら、思いきり泣いてみる。

心が穏やかなときは何となく、少しだけ許してみる。その、繰り返し。

それが、今現在、自分ができる答えかなと思っています。また変わってくるかもしれないけれど、許せないどうしようもない気持ちを抱えたときに少しだけでも楽になれる、おまじないみたいなものです。


さいごに


 同じような境遇の人に同じようなことを学生の頃に言ってもらって、今でもこの言葉を辛いときに思い出しています。

誰かに頼っていい。頼ろう。

誰も言ってくれなかったら、自分で言ってみる。

自分で自分を許す。自分で自分を抱きしめよう。

何度でも自分に言います。 

もう、今を生きていいんだよ。

自分を大切にしていいんだよ。


『もう大丈夫。』

人生に迷ったときは、すべてシンプルに考えよう。

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