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肩こりに気づかないというのなら。

これはわたしの話だが、風邪をひいたことに気が付かないくらいのバカだというのなら、肩こりにも気が付かない。そして、気が付かないうちに悪化している。

あまり「肩が凝る」という感覚にピンと来ていないのだが、実際に肩をもんでもらったり、自分で揉んでみたりすると指が入らないくらいには固い。気が付かないうちに肩こりは悪化し、肩自体が痛くなったり、頭痛や吐き気を催すことがある。

ここ数日肩こり由来の頭痛がひどく、やりたいこと、やらなきゃいけないことが進まず、さらに追い打ちをかけるように仕事も忙しく、体が悲鳴を上げた。急いでマッサージのお店を予約して駆け込んだ。


「これ体調わるかったでしょう・・」
施術中、首回りや肩、肩甲骨周辺の固さを確かめたあと、マッサージ師さんにそういわれた。

担当していただいたたマッサージ師さんは、年配の女性だった。半年に一回くらい利用している。あまりに肩こりがひどいので、男性の方が力があっていいのかもしれない、と思ったこともあって男性を指名していた時もある。ただある時女性の担当者にやってもらった時に、マッサージは力とかではなく、テクニックなのだな、と思うようになった。最初は弱く、その後だんだんと力強くなり、ピンポイントで押されていくツボ押しが心地よかったので、あまり関係ないんだなと思いそのうち男・女の指定をしなくなった。

「なかなか指が入らなくてね、もうちょっと待ってくださいね」

なぜかこういう時、私は寝そべっているだけのはずなのに、一緒に戦っている気分になってしまう。絶対に無意味だが、体をできるだけ緩ませようと、深呼吸して力を抜く。左右の肩甲骨の間に確かに重さを感じるのだが、その岩石のごとく固くなってしまった身体の中身には何一つ伝わってこず、皮膚の上で止まってしまっている。

だいたいこの時点で、私は反省をしている。もうちょっと早く来ていれば、こんな重労働を相手に課さなくて済んだし、私も頭が痛くならなくて済んだ。

そんな後悔の念を頭で繰り広げているうちに、指が私の背中にぐ、と入り、皮膚を伝って凝り固まった部分が刺激され、微かに動いた感覚がした。鈍い痛みの周辺から熱が伝わり、体じゅうに血液が廻ったようだった。

「あ、やっとやわらかくなってきましたね」
安心したような声色で、担当者はそう伝えてくれた。

「次はもっと早く来てくださいね~」

そういわれた時に、半年前に行った時も同じことを言われたことを思い出した。どうしていつも肩こりが限界値を超えてから、お店へ駆け込んでしまうのだろう。

走り続けたいのなら原則限界なんて超えてはいけない、と思っている。

中学生の時学年スローガンが「break the limit~限界を超えろ~」だったことがあった。当時はこの表現をとても気に入っていたが、実際に限界を超えると再起不能になってしまうことを私自身、私が生きてきた軌跡で実感しているのだ。

部活動で自主トレをオーバーワークしてケガして学生最後の大会にでれなかったり、準備に熱中しすぎて体調が悪くなり出れなかった学校祭最終日のことを笑い話と教訓にしている。

たどり着きたい場所まで着くまでは、限界など超えてはいけない。最大限頑張りたいとしても、限界の境界の際、一歩手前を狙って立ってないといけない。

しかしどうも限界の臨界点がわからない。どれくらい凝ったら行けばいいのだろう?定期的に肩を触ってみても、どれくらいの固さが限界値であるのかがいまいちわからない。

というか頭が痛くなるぎりぎりまで待つ必要もないよな、たかが肩こり。肩こりが限界の際に立ち続けたくなるほど、頑張りたくなることの足かせになるのはいやだね。

だったらいっそのこと
来月もいってみようかな。
マッサージ店の予約専用アプリを立ち上げた。

春を超えたって、コロナは相変わらずしぶといかもしれないし、外に出られるかどうか、バリバリ働けるか、なんてわからないけれど。やりたいことはたくさんあるでしょ?別になんて事のない些細な頭痛なんだけど、それでも不快で憂鬱。時限爆弾のような頭痛でやる気や元気をそがれないように。

まずはこの春、
限界を超えない練習を始めよう。
五月某日、二十時三十分、一時間コース、予約完了。

アイコンを変えたい、、絵が得意な人にイラストを書いてもらいたいなぁと考えています。サポートいただければアイコン作成の費用にかかるお金に割り当てたいと思ってます。