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「なんで働くの?」というところから問いを立ててみた。

一時期、自給自足の暮らしをするのが自分の一番理想の暮らしなのかもしれない、と思っていました。だから、畑を借りて野菜を育て始め、自給自足の第一歩を踏み出してみました。

やってみると、それなりに野菜は収穫できたし、食べてみるとなかなか美味しい。自給自足、って意外とできちゃうのかも?と、思えてしまいました。…楽観的なので、すみません。

でも、自給自足の暮らしは理想とする暮らしではなさそう、何かが満たされない、そう感じるようになりました。

自己実現欲求を満たすため?!

「なんで働くの?」という問いに対して、「生きていくためだろう!何を寝ぼけたことを言っているんだ。」と言われそうですが、それならあなたが大企業を選択して働く理由が僕には理解できません。こんな恵まれた時代、恵まれた国で生きていくのは大して難しいことではないと思えてしまいます。現に、ニュージーランドでワーホリをしていた時の僕は、月に30万円近く稼いでいました。

だから、「なんで働くの?」という問いが僕には必要だったんです。それで、自分の過去を振り返り、欲とコンプレックスに素直になった結果、見えてきた答え、それは、、『豊かな生活を想造すること』。

『"豊かな生活"とは?』
→ヒトが健康的に生きられる生活

『"健康的"ってどんな状態?』
肉体的にも、精神的にも、社会的にも満たされた状態

『"肉体的"に満たされるってどんな状態?』
we are what we eat。オーガニックのように安全で、身体にイイものを食べること。

『"精神的"に満たされるってどんな状態?』
→自分に素直で、違和感を無視せずに自分らしくあること。

『"社会的"に満たされるってどんな状態?』
→コミュニティ内で自分が支え、支えられているような、存在意義が感じられること。

このような、『豊かな生活を想造するため』に自分は働くことを選択しようと思う。

人間は欲を持つ生き物

人間誰しも他者から認められたいという欲求、そう"承認欲求"を抱いています。

ただ、僕はこの欲求が強いのかもしれません。このように、noteを書いたり、SNSのように不特定多数の人がいる場へ自分の事を投じるのは、その証拠なのかもしれません。なぜ自分が、承認欲求が強いのか、それにも気付いています。

それは、僕には3つ上の兄がいて、小さな頃から兄は優秀だと、親から認められていました。そんな兄が僕は羨ましかったんだと思います。いつもそんな兄からはバカ扱いをされ、親から勉強面で褒められた経験がこれまでに1度もありません。(中学の時、学年で2位の成績をとったこともあるんですけどね。。)

サッカーが満たしてくれた承認欲求

兄の影響で幼稚園から始めたサッカー。兄はすぐにやめたけれど、僕は高校3年生までの13年間続けていました。小学校の頃からチームではキャプテンを任され、京都府の選抜メンバーに入っていたり、全国大会に出場したり、少しだけ活躍をさせてもらえました。そういった環境が自分の溢れる承認欲求を満たし、その快感は自分の欲の器を少しずつ大きくしていきました。

承認欲求と自己実現欲求の間をさまよう大学前半

大学に入った自分は、これまで13年間続けてきたサッカーを辞めました。小学校の頃から怪我をすることが多く、高校3年の時もほとんどの時間をリハビリに費やしていました。そんなことから、サッカー以外の生活があるのかもしれないと思い、大学ではサッカーを辞めることにしました。自分にとって、人生で一番大きな決断をしたのはこの時でした。自分の中でこの決断を下したのは一瞬の判断でした。けれども、これまで13年間、ずっとサポートをし続けてきてくれた親に伝えるのはかなり辛かったです。辞める、と伝えた瞬間に自分の目には涙が溢れ出てきたことを今でも覚えています。

サッカーを辞めたはいいものの、これまでずっとサッカーしかやってこなかった自分に、新しくチャレンジしたいものなどありませんでした。

そんな時に声を掛けてくれたのが中学時代のコーチ。中学生を相手にサッカーの指導者をやってみないか?ということで、アシスタントコーチとして始めてみることに。

ただ、1年目の途中に、来年度は留学へ行きたい、という気持ちが芽生え始めてきました。というのも、高1から付き合っていた当時の彼女にフラれ、挫折を経験したんですよね。自意識過剰な自分は、フラれるなんて全く考えてもいませんでしたから。。

ある程度して落ち着いてきた時に、、何がダメだったのか、どうすれば良かったのか、これまでの自分を振り返ってみて出した答えが、、器の大きな人間になること。まあ内田修次らしい、とても抽象的な答え。

その手段として考えたのが留学。そこに結びついたのも、兄が留学から帰ってきた時にすごくたくましくなって帰ってきたという経験を見ていたからなんですよね。

でも、コーチのうちの1人が辞めてしまい、チームの体制が崩れてしまい、責任感を感じてしまう自分は1年間携わってきた子供たちを放っておくことができず、いますぐ留学へ行かなければならない理由も自分の中にはなかったので、1年間メインのコーチとしてその子たちを指導することに決めました。けれども、翌年は留学へ行きたいので、その予定で準備をしていてほしい、という話をチームにはしました。

自分には指導者は向いていませんでしたね。大学でスポーツマネジメントについて学んでいたこともあって、自分がすべきことは、このサッカーチームの経営面を支えることなのではないか、そう感じ始めるように。というのも当時、僕たち学生スタッフの給料は時給に換算すると400円ぐらい。大人のスタッフがどれだけもらっていたのか具体的にはわかりませんが、チームの事業収入は"子供の数×月謝"のみ。限界が見えていました。

これでは、このチームが成長するのに限界はある。さらには、指導者がボランティア精神で成り立っている日本のサッカー界においても、未来はないな、そう感じていました。でも、いますぐ自分が経営に携わることなんてできっこない。社会に出て、ビジネススキルを学んでからでないと自分にはどうすることもできない、という考えから、思考をストップさせてしまいました。

そんなこんなで大学生指導者生活2年目を終え、スタッフの体制が整ったこともあり僕はチームから離れ、大学を休学して、異国の地"ニュージーランド"へ。目的は器の大きな人間になること。もう少しだけその言葉を分解してみると、許容を広げること。だから、留学期間中は常にオープンマインドでいることを心がけて暮らしていました。

ワーキングホリデーとして行っていた自分は仕事もしていたので、生活のお金は仕事をして稼いだお金。車も現地で購入したりと、親離れをして自立した気になれましたね。ニュージーランドの日々は本当に最高でした。

そんな留学から日本へ帰る直前、僕の頭に突然よぎった、、2年目の休学。そしてアメリカへの留学。この当時の判断を論理的に裏付けるのはなかなか難しいんですよね。

確かに、留学前に発見したクラブチームの課題も、NZで感じた日本の農業の課題も、どちらにおいても必要とされているのはビジネスという視点なのでは、という僕の思考。だからビジネスの本場というイメージのあるアメリカでビジネスを学ぼうと思った。そう思ったのは事実。でも、それだけで2年目の休学を決断することはできなかった。

多分、留学のために休学したわけではないというのが素直なのかもしれない。休学を延長する理由として、アメリカへの留学が存在していた、今ではそう思えてしまう。じゃあ、なんで休学をしたかったのか?それは、何か自分のやりたいことが見つかりそうで、、もう少し自分と向き合う時間を作りたくて、、もう一年そんな時間を作ることができたら面白い人生を送れるんじゃないか、というなんの根拠もなく、ただただ論理が飛躍していて説明ができない。

留学から帰ってきてからも僕の頭の中には、スポーツクラブの経営に将来は携わるということ。けれども、スポーツクラブの経営に携わるという想いはいつの日か、頭の片隅に追いやっていた。そして、僕の脳内のシェアを占め出したのは食・農業のこと。

その間にあったこと、それはどっぴのお見舞い。これまで抗がん剤治療をしていたが、あまり病状がよくないということで、食事によって治すという食事療法へ切り替えようという話を聞いた。

病院からの帰宅途中ずっと、食事療法で病気から回復をしたという体験談が綴られた闘病生活のブログを読み漁っていた。そこで、we are what we eat という考え方がすごくしっくりきて、オーガニックに対して意識が強くなりだした。

その日のすぐ後、僕は自宅近くで畑を借りて、オーガニック野菜を育て始めた。この流れから理解できると思うが、どっぴに食べさせてあげて治って欲しい、そう思ったから自分は野菜を育て始めた。いつも単純な思考をしている。

結局、自分が育てた野菜をどっぴに食べさせてあげることはできなかった。

自己実現欲求を追いかけ始めたのかもしれない大学後半

オーガニック野菜を育てるなかで、オーガニックについてたくさんの本、雑誌、ネット、講習会などから勉強をした。野菜を育てるのと同時に、いろんな世の中の仕組みを知った。

一番大きな気づきは、世の中の当たり前・常識・普通を疑うこと。

そして、アメリカへの留学・ポートランドでの旅・中南米での旅を経て、2年ぶりに大学へ復学した自分は、面白そうと思ったことはとりあえず挑戦してみた。

その中でも一番自分がパッションを持って取り組み続けられると確信を得たのは、立ち上げた学生農業団体の活動としての"ファーマーズマーケット"を開催し続けること。

他のこととの違いがなんなのか、その理由がやっとわかった。

『ファーマーズマーケットを通じて、自分が創りたいと考える豊かな生活に近づけたいから。』

究極的に自己中心的な考え。でもこれが現時点での自分の一番素直な回答だと思う。

これがわかったことで、自給自足の生活に憧れていた自分が社会に出て働くことを選択する理由=『豊かな生活を想造するため』という回答を導き出すことができた。

『"豊かな生活"とは?』
→ヒトが健康的に生きられる生活

『"健康的"ってどんな状態?』
肉体的にも、精神的にも、社会的にも満たされた状態

『"肉体的"に満たされるってどんな状態?』
we are what we eat。オーガニックのように安全で、身体にイイものを食べること。

『"精神的"に満たされるってどんな状態?』
→自分に素直で、違和感を無視せずに自分らしくあること。

『"社会的"に満たされるってどんな状態?』
→コミュニティ内で自分が支え、支えられているような、存在意義が感じられること。

このような、『豊かな生活を想造するため』に自分は働くことを選択しようと思う。

これから「何を目指して、誰と、どんな環境で、何をするか」という問いをひとつひとつ分解していくことで、自分のキャリアが見えてくると思う。

いつも僕のnoteを読んでくださりありがとうございます🐞 もし可能なら、読んで頂いたお礼に僕が育てたお野菜を届けさせていただきたいんですけどねえ。きっといつか🍆