第十八話 侵入

 愛ちゃんの写真集三十二ページ。
 ここだけは何度見ても飽きることはなかった。
 なんせ、『清純』という言葉を生身にしたようなあの愛ちゃんが、■しながら▲を∵っているのである!
 
― ピンポーン ―
 
 その時、玄関の呼び鈴が鳴った。
モンペをはいた愛ちゃんをじぃっと見つめていた斉藤は、突然の音にサッと机の下に愛ちゃんを隠した。
電光石火のごときその早業に、普段の彼の行いの成果が見える。
しかし、それが玄関の呼び鈴だと気づいた彼は、愛ちゃんを机の上に置くと、面倒くさそうに立ち上がって、部屋を出て玄関に向かった。

「どなたぁ?」
 斉藤がドアの向こうに声を掛けた。
「ピザお待たせしましたぁ・・・」
 (バイトだな)やる気のないその声を聞いて斉藤は確信した。(俺も昔はやってたよ、そのバイト。辞めるときには引き止める店長を振りほどくのが大変なほど一生懸命働いたもんだ。それに比べて、こいつのこのやる気のない声はなんだ!いや、悪いのはちゃんと教育してない店長の責任だな。一つ、電話してクレームつけてやろう。あ、もしかしたら今電話すると、この持ってきたピザ、タダになるかも知れんぞ!・・・それにしても一体誰がピザなんて注文したんだろう?)
「ちょっと待ちな。」
 斉藤がドアを開けた。

 ドアの前には十五、六歳くらいの若者がボサーっと立っていた。
 (この態度!まったく・・・。)
「で、誰宛てなんだ?」
「えぇ~っとぉ、玄関に一番近い部屋に置いててくれって言われましたぁ。」
 (愛想の一つもないのか、こいつ。まったく。客商売ナメてんじゃねぇーぞ)
「じゃ、こっち来て。」
 斉藤の後をメガネがついていった。

「こっち置いてて。」
 斉藤はさきほどの部屋に入ると、テーブルの上に置いてあった愛ちゃんをさりげなくどかして言った。
「ご苦労さん。もういいよ。」
 ピザを見ると空いてない腹も空いてきた。

 構うことはない。喰おう。
 誰かに何か言われたらそんなもの来なかった、と言い通せばいいのだ。
 ピザ屋にクレームの電話でもすれば、客の機嫌を取るためもう一枚くらい持って来てくれるものだ、ということはバイトの経験上、知っていた。

「ん?」
 斉藤が振り返ると、少年はまだそこに突っ立ったままで言った。
「あの、お代・・・。」
 (『お代を、い・た・だ・け・ま・す・で・し・ょ・う・か』だろ!)「っていうか、俺かよ。」

 斉藤は怒りで体が熱くなるのを感じた。
 (絶対食ってやる。ミミも全部食ってやる。)
 宣言した。
 宣言しながら財布から札を取り出し、少年に渡した。
「毎度ぉ!」
 少年がニッと笑った。
 (笑うと案外カワイイ顔してるじゃねーか)
 斉藤が覚えているのはそこまでだった。
 何か硬いものが耳の後ろにコツンと軽く当たり、斉藤の意識は遠のいた。

 メガネは斉藤をすばやく縛り上げると、部屋の隅にある押入れに押し込み、急いで玄関に戻った。
 ドアを開け、門を見るとアソウ達がこちらを伺っている。
 親指を立てて合図すると、アソウ達四人と一冊(まだ爆睡している)がドタドタと駆けてきた。
 彼らは玄関を抜けると斉藤の部屋に集合した。
「ここ、病院だったんっすね。」
 ギメガを抱えた吉田が突然言った。
「どうして分かるんだ?」
 田崎が聞いた。
「家と同じ匂がするっス。」
「へぇ、お前ん家、病院だったのか?」
「いえ、俺ん家ってちょっと古くて、いつも定期的に消毒されてたんっすよ。」
「『されてた』って、一体誰に?」
 ミハダが聞いた。
「はぁ、近所の親切な人達っす。なんでも俺の家から伝染病が発生する、とか言って。」
「ひどい話やな。」
 アソウが珍しく同情的な口調で言った。
「いえ、物心ついたときから消毒されてたんで、気にもしませんでした、はははは。」
「悲惨な人生のスタートね・・・」

「お、いいもん見っけたでぇ。」
 アソウが持ってきたものは建物の案内図だった。きれいなパンフレットで、三つ折りにされている。アソウは机からピザの箱(当然、中身は空である)を床に落とすと、案内図を広げた。確かに吉田の言ったとおりだった。
 そのパンフレットの一番上には『海崖病院研究所案内図』とあった。

「〝病院〟と〝研究所〟。どっちやねん!・・・で、ワシらの今おるところがここやろ。」
 アソウが指で『管理室』と書かれた場所を押さえた。
「それから、部屋がいくつかぐるぅっと真ん中の階段の周りにあるわけやね。ヘンな階段やで。螺旋階段の病院ってなんや。でぇっと、一階にある部屋は全部で・・・え~と。」
「九室ですね。ここを入れて。」
 ミハダが言った。
「それにしてもシンプルな造りやなぁ。」
「個人研究所だったんでしょうね。あ、個人病院か・・・」
「どっちゃでもええねん。あ、ここに院長はんの写真あるで。なんかいかにも、所得隠してますって感じのセンセやなぁ。笑顔が気色悪いわ・・・。なになに、『都々逸大学医学部卒業。アルフォンヌパー大学大学院にて大脳生理学の研究に従事。特に、記憶を司るシナプス部位の特定、そしてその相対劣化に関する研究は世界的に有名』・・・やて。さっぱり意味パーや。紹介になっとらんがな。あ、・・・・おデブはんやがな。」
 太ったアソウがそう言った。
「しぃっ!上から何か聞こえるわ。」
 ミハダの言葉に皆、耳をそばだてた。

「あ、あれは『ナダ会』です。」
 田崎が言った。
「なんや?それ。」
「〝涙〟と書いて〝なだ〟と読ませるんです。新しい団員が入ったとき行う会で、その会を通過した新人が正式に団員として認められるんです。」
「言わば歓迎会、やな?」

「・・・フッ」
 田崎の唇の端がかすかに吊り上った。『ま、お前にはわからんだろうがな・・・』との、言わずに伝わるメッセージだった。
「おまえ今、ワシのこと笑ったやろ!なぁ、メガネ!お前も見てたよなぁ?」
「まぁまぁ・・・。なぁ、田崎。ところで、メクロはその時にコレ、使うんじゃないのか?」
 メガネが、吉田の胸元でぐっすり眠るギメガを指差して言った。
「いいえ、使いません。大体、私達がギメガを見たのは昨日が初めてですから。」
 田崎がメガネの質問に答えた。
「そういえばそうだったな。」
 しかし、信者達の不安を取り除く作業にギメガは必要不可欠のはずだ・・・

「気分が良くなるのはその『ナダ会』の時なのか?」
「いえ。その時は何だか厳かな気持ちになるだけで、特に何も。フクズケを頂くのは、あ、気持ち良くなることをそう言うんですが、それはフクヅケの儀式と呼ばれる儀式の時なんです。その時はメクロ様がお部屋で直々に新人にお会いされ、フクズケされます。その感じはもう・・・」
 田崎はその感覚を反芻しているように、トロンと遠くを見つめた。よっぽど気持ちのいいものらしい。

「ま、それはええとして・・・。ここにこのままおってもラチあかんわ。この地図によると・・・。三手に別れる必要があるな。この部屋出て右と左と二階や。今、外にはだぁれもおらんようだし、今がチャンスや。ワシは二階に行ってそのナダ会とか言うのをちょっと見学してくるわ。ミハダ君とメガネはこっから左行け。田崎と吉田は右や。ええか?」
『あの、僕は・・・?』
 アソウの視線がその微かな声の主の体を通り抜けた。
「今、なんか聞こえへんかったか?」
 アソウが言った。
「ひどいなぁ。じゃ、竹田君は俺達と来いよ。」
 メガネが涙目の竹田君に向って言った。

 それにしても、である。
 人は、真夏の日中に突然降ってきた雪に、どれだけ驚くことだろう?
 地図を指してテキパキと皆に指示を出しているアソウを見ながら、ミハダの目に浮かんでいた驚きはまさに、真夏に雪を目撃した人間の目に浮かぶそれであった。

「この落書き、一体何なのかしら。」
 ミハダが廊下の左右の壁を気味悪そうに眺めながら言った。
 壁一面に描かれていたのは、まるで幼稚園児が描いたような下手な花畑の絵だった。 ペンキがまだ新しい。
 時々、花の周りを飛び回っているコウモリがいる、と思ってよく見ると歪な形をしたチョウチョだったりする。
 実に愛らしい壁画だった・・・、オッサン達がそれを描いたのでなければ。
 
 田崎から昨晩聞いた時、メガフォルテの一団に女は一人もいないことが判明した。
 もちろん子供もいない。
 となるとこの真新しい壁画の作者達(というのもこのお花とチョウチョの数はとても一人では描ききれないものだった)はメガフォルテのメンバー、いわばいい年した野郎共である。
 そのヤロー達が集い、皆してこのお花畑を描いた、ということだろうか・・・。
 ‟病院の幽霊”よりも身の毛のよだつ話である。
 
 メガネ、ミハダ、そして竹田君はそのお花畑の中を歩いている。この廊下の先、左手にドアが幾つか見える。
「とりあえず片っ端から入っていきましょう。」
 メガネが言い、一番手前のドアを開けた。
 そのドアにも不気味な花が描かれている。
 ドアを開けた瞬間、ムッと男臭がした。
 泥のような匂い・・・。

「私、ムリ。次の部屋を見てくるわ。」
 ミハダはそう言うと、さっき吉田から受け取ったギメガを抱えてさっさと廊下を先に歩いていった。
 残されたメガネと竹田君はしばし呆然とその後姿を見ていたが、とりあえずその部屋に一歩足を踏み入れた。

 まず最初に目に付くのは、反対側の壁にある窓、そして、そこに映る夕焼けだった。
 窓は十分に大きいものだったが、沈みかけた夕日の光は弱く、部屋は暗かった。 
 メガネは部屋の電気をつけた。

 パッと光が点き、白い壁にその光が反射すると恐ろしく明るく感じた。
 趣味の悪い廊下の壁画に比べると、殺風景さという点でその部屋はまだましであった。

 寝袋が四つ、部屋の四隅にきちんと畳まれて置かれており、それぞれの寝袋の横にはお揃いの(!)バッグが置かれている。
 たまたまその一つに目をやったメガネは、そのバッグの取っ手に愛らしい熊の縫いぐるみのマスコットが、まるで首を吊っているようにぶら下がっているのに気づいた。

「ちょっと手分けして中を探ってみよう。携帯電話とか、何かのメモ、あとはそうだな、・・・財布、現金なんかあったら知らせてくれ、絶対。」
『わかりました。』
 竹田君がカトンボのような声で答えると、二人はそろってバッグの中身を床に開け出した。

 四つのバッグの中身はほぼ全て一緒。
 要するに、着替え、歯ブラシセット、タオル、などなど。これといった収穫もなかった。

 竹田君、こういう作業が好きらしい。
 無我夢中で歯ブラシセットまで分解している。

 そして、メガネが最後の空バッグの中を再確認しているときだった・・・。

『きゃっ!』

 抑えてはいるが、たしかにミハダの悲鳴だった。
 悲鳴が聞こえた瞬間、メガネの体が動いていた。
 部屋から走り出ると、隣の部屋のドアを開けた。
 誰も居ない!
 次の部屋にたどり着くと、その部屋の開け放たれたドアから部屋の中へと踏み込み、メガネはハッと息を呑んで立ち止まった。

 こちらに正面を向けていたのは体格の良い、長髪の若い男だった。男の寝癖のついた髪、ピンクのパジャマ・・・状況ははっきりしていた。
 ミハダは寝ていたこの男の部屋に入って、彼を起こしてしまったのだ。しかし・・・

 小柄なミハダは男をのけぞらせ、見事なチキンウイングフェイスロックをかけていた。
 男の額には血管が浮き上がり、白目を剥き、唇の端から白い泡があとからあとからこぼれ落ちてきていた。
「ミハダさん、落ちてる!落ちてる!」
 メガネがそう言ってようやく、ミハダがその華奢な手を男の首から外した。
 男がズルリ、と床に崩れ落ちた。

「何が起こったんですか?」
「部屋に入ったらこの生き物にいきなり襲われたのよ。」
 ミハダが男の顔面を軽く殴打しながら言った。
 男の顔が徐々に血にまみれていく。
 ミハダの息が徐々に乱れてきたが、どうもその息の乱れ、疲れからではないような気もする・・・

「も、もういいでしょう、ミハダさん・・・。と、とりあえず、その男、縛ってしまいましょう。・・・三日くらい目を覚ましそうにないですけど。」
 部屋を見回すと、男の寝ていたと思われる寝袋の口が開いていた。
 その寝袋の横には、ミハダの落とした熟睡中のギメガがあった。
 
 メガネはギメガを床から拾い上げると、ズボンの腹側に突っ込むと、白目を剥く男をその寝袋に押し込み、チャックを引き上げて寝袋を閉じた。
 そして、何か縛るものは、と周りを見回して驚いた。
 部屋の隅にお揃いの寝袋、お揃いの寝袋の傍にお揃いのバッグ・・・。
 いわばさっきの部屋とまったく同じ光景だった。
 メガネはすぐ先に置いてあるバッグを試しに開けてみた。
 着替え、歯磨きセット、タオル、などなど。
 中身まで一緒だ。

 メガネはその部屋にあった四つのバッグの中からズボン用のベルトをそれぞれ取り出すと、男の寝袋をそのベルトで四重に締め付け、その寝袋ごと、壁にある押入れの一つに放り込んでその戸を閉めた。
「さて、と。」
 念のためそれぞれのバッグの中身をもう一度確認してみたが、案の定、全くなかった、現金は。
「もう出ましょう。」
 ミハダが言い出し、部屋を出た。
 
 廊下を歩き、しばらく行くと、右手にちょっとした広間が現れた。
 そこはこの建物が病院(研究所?)だったときには待合室として使われていたようで、床の上には長椅子が四つ、奥に向って並んでいた。
 そしてその先、ちょうど建物の中心と思われる辺りに巨大な円柱があった。
 これが地図にあった螺旋階段であろう。
 階段はなぜか壁に包まれ円筒形を成しており、そとから階段が見えない造りになっている。
 そして・・・
 その壁に暖かそうな暖炉が描かれていた。
 病で来ている患者にとって、その避暑地的な絵に一体どんな効果があるというのか?
 夏はどうするのか?
 理解に苦しむ。

その広間を抜けてさらに行った突き当りには巨大な横開きのドアがあり、そのドアに『メルトモ』と大きく、おそろしく下手な手書きで書かれてあった。そしてその名前の下には『寝てるとも』とも書かれている・・・。
注目すべきは、そのドアの右上だった。その、目立たないところに確かに『解剖室』と書かれたプレートがあった。
おそらくメルトモには難しすぎる漢字だったのだ。
そして、周りの人間達の中にも、わざわざそのことをメルトモに告げて彼を嫌な気分にさせようと思うようなひどい人間は一人もいなかった、ということであろう。

 メガネとミハダがそのドアの前に並んで立った。
「『解剖室』・・・ですね。」
「・・・えぇ。」
「・・・入りますか?」
「わ、私は遠慮しとくわ。」
 なんとなくミハダの頬が赤らんでいる。
「あの大男の部屋じゃ、気持ち悪いですよね。じゃ、僕、行ってきます。」
 その大男を事務所から逃がしたのは他ならぬ、この乙女である、という事実を知らぬメガネはウインクをすると部屋のドアに手をかけた。残念、ウインクはミハダに向けた側とは反対側であった・・・。
「ミハダさん、じゃ、これ持っててくだい。」
と、メガネがミハダにギメガを渡したときだった・・・

「ひぃやぁ~!」
「あぁぁたぁすけぇてぇ~!」
 田崎と吉田の悲鳴が遠くで鳴っている。
 こっちに近づいてくる。
 しかも、近づいてくるのは彼ら二人だけの足音ではない。
 もっと大人数だ。
 ドアを開けようとしていたメガネがギョッと後ろを振り向いた。

「はあ・・・。」
 ミハダがため息をついた。
『ミハダさん!こっち!』
 メガネはメルトモの部屋のドアを細く開けると、その中に体を滑り込ませながら素早くささやいた。
「ここは分散したほうがいいわ。」
 さすが、世界公務員女である。
 しかし、メガネにはそのリスク分散の理屈は分からない。ミハダがこの部屋に入りたがらないのは、あのむくつけき外人の部屋だからだ、と思っている。
「じゃあここを・・・トイレだと思えばいいんですよ!」
「・・・。私、さっきの部屋に戻ってるから。」
 ミハダは急いでそう言うと、小走りで走り去ってしまった。
 家を出る時にハイヒールを皆に止められ、今はスニーカーを履いているため、速い。

 足音が近づいてきた。メガネはミハダを追いかけることを諦め、扉を細めに開けたまま、外の様子を眺めていた。           

― ドタドタドタドタ! ―

 足音と共に、田崎と吉田が必死の形相で現れた。そして、その後ろからは三人の男がこれまた必死の表情で追いかけてきている。
「ひいぃぃぃ!」
「まぁたぁんかぁ!田ぁ崎ぃ!吉田ぁ!」
 追いかける方の男達のうち、先頭を走っている男が叫んだ。
「ち、ちょっ、ちょっと待ってください!相田さん!」
 田崎がうめきながら長椅子に寄りかかるようにして立ち止まった。
「ぶぅはぁ、はぁ、はぁ!た、田崎さん!にげ、にげま、しょ、はぁはぁはぁ・・・」
 吉田は勇ましく言いはしたが、田崎がそこで止まってなければきっと自分が止まる役目を担っていたことだろう。

「お前らぁ、がぁ、はぁ、はぁ、はぁ、お、お前らなぁ!」
 相田と呼ばれた男もバテている。
「ひぃぃ!あ、相田さん、助けてください!はぁ、はぁ、はぁ、こ、国家公務員に、お、脅されて、はぁ、はぁ、仕方なかったんですよぉ!はぁはぁはぁ」
「お、脅された二人がぁ、はぁはぁ、何で二人だけでぇ、はぁ、はぁ、ぜぇ、ぜぇ、一緒に部屋を、ほぉ、ほぉ、ほぉ、さ、探っているんだあ!がぁ、はぁ」
「はぁ、はぁ、はぁ、はぁ、オ、オラにぃ、はぁ、はぁ、はぁ、か、関してわぁ、はぁ、はぁ、はぁ・・・」
 吉田が肩で息をしながら言った。
「た、田崎さんにぃ、はぁ、はぁ、お、脅されました・・・。」
「よ、吉田!こ、この野郎!」
 ようやく呼吸が落ち着いたと思ったらいきなり仲間割れを始める、愉快なミジンコ達であった。

「ま、とりあえずメクロ様のとこ連れてくからよぉ~。フウフウフウ。か、覚悟しときな。」
 相田が言った。
 それにしても相田という男、ちょっと頭がおかしい。
 いや、中身ではない。
 表面の方だ。
 そのおかしさは彼を正面から見ると分からない。
 それは彼の後ろ髪にあった。
 彼は後ろ髪、しかも裾だけを、極端に長く伸ばし、首の辺りでまっすぐ横に切り揃えていた。
 後ろから見ると彼の頭は上方が丸く、下方が長方形をしている。まるで、のり弁のご飯部分のようにも見える。

その彼を後ろから見ていたメガネは今、悩んでいた。
(ほら、あのあれだよ!えぇっと、なんてったっけなぁ~!)喉元まで出掛かっていた。
メガネは一人、モンモンと思い出しに努めていた。
(ロケット→彗星→キャップ→ハニ丸→ジャジャ丸→・・・みたいな。うーん、その辺りにありそうなんだけどなぁ!)メガネ、それどころじゃないはずだが・・・

(あ!そうだ!そうだ!前方後円墳!そう!前方後円墳!あぁ、すっきりしたぁ。)

「ん?」
なんだか外が静かになったと思ったら、男達が田崎、吉田を取り囲んでウンコ座りで何やらヒソヒソと話している。細かいところまでは聞こえなかったが、話の断片で充分だった。
断片1.『・・・ま、大人の魅力ってモンを形にしたような人ですね・・・』
断片2.『・・・とんでもなくセクシーだべ・・・』

 話済み、やがて立ち上がった男達の目がぼんやり据わっている。
「では、まぁ、お前たちをメクロ様に渡す前にだな、ちょっと、その、ミハダって女もだな、うん、ちゃんと捕まえようかな、とだな。グフフ」
 相田は自分の涎が垂れてることにすら気付いてないようだった。

 (いかん!)メガネは思った。メガネの脳内で計算機が素早早く立ち上がった。
 (スケベな男達→ミハダの怒り→見境のない殺戮→世界公務員本部の怒り→アソウの減給→メガネの報酬減)しかも、アソウのことだ。メガネの報酬を最悪踏み倒すことも充分あり得る!

 メガネの行動は早かった。
 彼はそっとドアを閉じると室内の明かりを点けて周りを見回した。
 床には衣服やゴミが散乱し、壁には服が何着かぶら下げられている。
 部屋の隅に机が一つ、中央には元解剖台だと思われる台がでんと置かれている。
 その台の上に、よりによって真っ赤な布団が敷かれている。
 メルトモの、・・・寝台であろう。
 リサイクルと言えなくもない。
 メルトモは元解剖台の上でどのような夢を見るのだろうか?
 
 メガネは、メルトモの枕を手にすると、急いでその端を裂いた。
 そして、その中に詰められていた綿を取り出すと、そこら辺に転がっている飲み物の空き缶の中から一つ拾い上げ、その中に綿を一杯に詰め始めた。
 それから彼は部屋の隅に走ると、机の上に置きっぱなしになっているセンベイ(多分、センベイ)の袋から乾燥剤を取り出すと、その中身の、角砂糖のように透明な物質を部屋のあちこちにまんべんなくばら撒いた。
 次にメガネは壁に掛けられていた皮の帽子を手にし、綿を詰めた空き缶を持つと、部屋の角にある水道まで走った。
 最初は空き缶を、次に帽子を水で満たすと、それらをドアの横、部屋の電気のスイッチがある方の壁の床にまとめて置いた。

 それだけ済ますとメガネはまたドアを少し開き、外の様子をうかがった。
 待合室から男が五人、ちょうどこの部屋とは反対側の方へと歩み去っていこうとしているところだった。
 田崎と吉田が先頭を歩いているのだが、二人の態度は捕虜のそれではない。
 その足取りはむしろウキウキと軽い。
 そこまで見て取ると、メガネが空の空き缶を部屋の中央に放り投げた。空き缶はガランガランとけたたましい音を立てて部屋の床を転がった。

「ん?なんだ?メルトモ様の部屋からだな?」
 部屋まで走り戻ってきた男たちが、パッとメルトモの部屋のドアを開けた。
「あれ?おかしいな。部屋の電気が点いてるぞ。あんなに省エネにうるさいメルトモ様が電気を点けたままでいるはずはないのだが・・・。」

 彼らがどやどやと中に入り、その真ん中まで来たときだった。ドアの陰に隠れていたメガネはパチッと部屋の電気を消し、メルトモの帽子に貯めておいた水を床にぶちまけた。
 水は部屋中を満たし、ばら撒かれていた脱臭剤と反応するやいなや、猛烈な煙を発生させ、その白煙が暗い室内を急速に満たしていった。

「うおぁっ!何だ、何だっ!いったい、どう・・・ゲホォッ、ゲホォッ!」
「ゴホォッ!痛いっ!誰か俺の足踏んだぞ!ゴホッ!」
「ゴホッ!あっ!・・・エッチ。」
「おわあぁぁぁ!手、手が落ちてる!ケホッ ケホッ!」
「ゴホオォン!ば、ばか!俺の足を踏んでんだよっ!グホッ!は、早く、どけろっ!ゴホッ、ゴホッ!」
 あっという間に恐ろしい騒ぎになった。
 
 その騒ぎの中、メガネは見当を付けておいた男二人の腕を捕まえると、急いでドアから部屋の外に連れ出した。
「ゲホッ、ゴホッ!あ!メ、メガネさん!」
 田崎が驚いて叫んだ。
「グホッ、グホッ!だ、誰だ、グホッ、お前は?」
 相田が叫びをもらした。
「あ、間違った。」
 メガネは急いで前方後円墳の『円』の部分を水綿缶で殴った。
「ぐぅ・・・」
 相田が卒倒した。
「そこで待ってろよ。」
 メガネは田崎にそう言うとまた部屋の中へと入っていき、今度はちゃんと吉田を連れて出てきた。
「あぁ!ゲホッ、ゲホッ!メ、メガネさんっ!ガホッ、グホッ!お、おら、ゴホッ、メ、メガネさんに会いたくて、会いたくて!ズホッ、ズホッ・・・」
「・・・お前達のことはミハダさんに後で報告するとして、今はとりあえず、このドアをふさぐぞ。お前達、ドアを押さえてろ。」
 ドアの内側から『ゴホッ、ゴホッ!ドアだ、ド、ドアッ!早くドアを開けろぉっ!』と叫ぶ声が微かに聞こえ、ドアが内側から開かれようとした。しかし、田崎と吉田が間一髪でドアを押さえ込み、顔を真っ赤にして全身でドアを押し止めた。
「よぉ~し。そのまま、そのまま。」
 メガネはそう言いながらメルトモの靴を出すと、そのゴムで出来た踵の部分を床に何度か強く擦りつけ、そのままドアの下の隙間にグイッとそれを押し付けた。
 摩擦熱で変形したゴムが隙間にぴたりと張り付いた。

「手を離してもいいぞ。」
 メガネが言い、田崎と吉田が恐る恐る手を離した。
 屈強な男三人に全力で押されているにもかかわらず、ドアはビクともしない。
「すごい!一体どうやったんですか?」
 田崎が興奮して言った。
「安物のゴムは色々使いようがあるんだよ。とにかくミハダさんとこ行くぞ。ついて来い。」
 メガネがそう言って走り出した。
 二人がそれについていく・・・
 
「これで五人消えたことになるわね。」
 ギメガを持ったミハダが言った。ちなみにギメガはまだ寝ている。
 ミハダが〝起き抜け男〟に襲われた部屋である。
 ミハダは果敢にもその部屋で一人、メガネを待っていた。
 (どれだけミハダさんが心細かったことか!)メガネがその部屋のドアを開けたとき、ミハダがその瞳に涙を一杯に溜めて自分を見あげたのだ。 
 (俺はこのことを一生忘れまい!)とメガネは思った。

〔実際は、ドアの外を近づいてくる足音でミハダは目覚め、アクビ交じりに起きたところだった]

「はい。」
 胸一杯のメガネが答えた。
「とりあえず敵の正確な人数を知っておく必要があるわ。」
 ミハダの目が光った。狩人の、そして肉食獣の目だ。

「メガネ君、ちょっとあの変態野郎をここに出してきてちょうだい。」
「メガネさん、変態野郎って?」
 田崎が聞いた。
「いや、この部屋に一人捕まえたヤツがいてな・・・。とりあえずそいつを見ればお前たちも誰か分かるんじゃないか。」
 メガネはそう言うと、押入れの扉を開いた。その中には、寝袋で簀巻きにされた男が気持ち良さそうに眠っていた。

「あ、レンだべ。」
「ほんとだ。」
 二人とも妙に冷たい。
「どんなヤツなんだ、こいつは?」
「やなヤツだべ・・・。」
「こいつホント、格好ばっかなんすよ。」
「格好ばっかってどういうことなんだ?」
「いや、コイツ、要領いいんだべ。仕事は早いし、覚えは良いしで、オラより遅く入ってきたくせしてもうメルトモ様の片腕気分だべ。」
「じゃあ、お前らをバカにしたりするってことか・・・」
「いんや。」
「いや。」
 吉田と田崎が憎悪に燃えた目で同時に答えた。
「は?」
「こいつ、その上、すっげぇいい奴なんだべ。」
「そうそう。いつもニコニコしてやがって、なぁ?言葉遣いは丁寧だし、礼儀正しいし、その上、涙もろい・・・」
「お前たち・・・。言ってる自分らが恥ずかしくならんか?」
「いんや。」
「いや。」
 ミジンコ達がまた揃って答えた。

 ミハダに殴られ、膨れ上がったレンの顔を改めて見ると、田崎、吉田よりも遥かに神々しい顔付きをしている、ように見えなくもない。

 ドガッ!

 いきなりミハダが傷だらけのレンの顔を踏みつけた。
「えっ!なっ!ミ、ミハダさん!」
「こうでもしないと起きないわよ。」
 グリグリグリ!
 ミハダがスニーカーの底でレンの顔をこすった。
 恐ろしい眺めだった。
 見ている男達の背筋は自然と伸び、自然と直立不動の姿勢をとっていた。

「う、う~ん。」
「あ、目を覚ましたべ。」
 ドガッ!
「さっさと起きなさい!」
(ミ、ミハダさん、やめ・・・)
 メガネがプレデターにあやうく日本語で話しかけようとしたときだった。

「あ、あなたはさっきの!」
 レンがミハダを見ると言った。
「さっきはよくも私を襲ったわね!」
「襲った?いいえ!襲うだなんてとんでもない!あなたが僕のバッグに躓いて倒れそうになったのを助けようとしただけなんです!」
「嘘おっしゃい!・・・む、胸を揉まれたわ!」

(ウ、ウソついた・・・)
 皆、そう思った。しかしミハダに対して、口が裂けてもそれは言えない。

「そ、そんなこと僕しません・・・」
 レンの顔はポッと赤くなった。恥ずかしがっている様を見るとまだ十代のように見える。いや、実際、十代なのかも知れない。

 ドガッ!

 またミハダがレンの顔を踏みつけた。
「ホントに嘘の好きなボウヤね。立派な大人になれないわよ。」

 ドガッ!

 『立派な大人』がまたレンを殴った。
 レンはそれでもミハダに微笑んだ。
「でも、怪我がなくてよかったですね!」

 ドガッ!ドガッ!

「質問してるのはあたし!分かる?あ・た・し!あんたは余計な口をきかずに私の質問に答えればいいのよ、わかった?」

 ドガッ!

 レンが何か言う前にミハダが殴った。
「わ、分かりました!殴らないでください。お答えしますから!」
「最初からそうやって素直に出ればいいのよ。手間かけさせやがって・・・ぺっ」
 ミハダに何か憑依したようだ。
 質のよくないヤーサンの霊みたいなのが・・・。

「あんた達の正確な人数は?」
「貴方たちは一体な・・・」

 ドガッ

「質問にだけ答えなさい。」
「さ、三十二人で・・・す。」
「案外居るのね。」

「ふぅあ~!よく寝たぁ~!」
 その時、ミハダの手の中でギメガが目覚めた。
「うわぁっ!本が喋ったぁっ!」
 レンが叫んだ。
「ん?何よ、このガキ。張り飛ばされたいの?」
 ここにもまた、ミハダとよく似たタイプの生き物がいた。
「じゃ、あなた、もういいわ。」
 ミハダはそう言うと、レンの頭上で足を持ち上げた。

 グシャッ!

 ・・・良かったのかもしれない。
 そう。
 レンは苦痛の無い、暖かな国へと旅立っていったのだ。
 『もっとやさしくしてればよかったべな・・・』後悔はいつも遅すぎる。
 勇者を見送る六つの瞳に涙が・・・流れない。
 だって、明日は我が身、ですもの。

「さて、どうやって上の連中を始末するか、ね。」
「そういえば、・・・アソウさんはうまくやってるんでしょうか?」
 メガネが思い出したように言った。
「ちょっとぉ!何がどうなってんの?っていうか、一体ここどこなのよん?」
 野太い鼻声のオネエ言葉がミハダの手から沸いてきた。またうるさいのが一人増えたのだった。

(第十九話へ続く)

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