― 第二十八話 恨みはらさで・・・ ―

 それは遡ること、メクロがアソウのいた世界公務員米国支部に入所していたときのことであった。

 御堂(コードネーム:ロロリコン)が米国支部に研修生として入ってきたのはメクロ入所からちょうど一年後であった。
 メクロもアソウも自分の意思で入ってきたのに対して、ロロリコンの場合、特待生としての入学だった。
 特待生とは、世界中の中でもトップ数パーセントの大学のうち、さらにそのトップ数パーセントのトップのトップ学生、のまたトップを世界公務員本部が選定し、世界公務員に[なっていただく]制度であった。

 もちろん、メクロやアソウ達一般の生徒とは格段に扱いが違う。
 まず、ロロリコンとメクロ達が校舎で顔を合わせることはほとんどない。(メクロ達、底辺公務員には、特待生が入所してきたことさえ知らされることはなかった)
ロロリコンは別校舎で、特別なカリキュラムのもとに、特別な講師が特別なやり方で授業を行うのが通例だった。
講師以下、学校長も含め全員、その将来の本部長候補には絶対服従である。もちろんそれで本部長候補が天狗になり、支部の規律が乱れるということはあり得ない。なぜなら本部長候補は入校と同時にもうすでに最高管理職者としての自覚と風格、そして自信を持っていた。本当に実力のある人間は威張らないものだ。

 ロロリコンが米国支部に入所してきて数ヶ月も過ぎた、とある日のことである。
 ロロリコンは、ニーチェの超人思想の根底にある選民思想と哲学の本旨との矛盾について考えながら廊下を歩いていると、女子トイレからひょいと男が出てきた。
 
 世界公務員の制服を着ているから、掃除人とかではない。
 一瞬、間違って女子トイレに入ったんだな、と思ったが、その男、今度はなにやら小さな包みを抱えてまた女子トイレに入ろうとする。そこで本部長候補、当然、声を掛けた。
「おいっ、何してるんだ?」
「!・・・っておい、男かよ。おどかすな!」
「何してるんだ?」
 本部長候補、また尋ねた。

「しぃっ!見つかったもんはしょうがねぇな。ウンのいいヤツだ。くぅっくっくっくっ、今の分かった?トイレなだけに『ウン』。くぅっくっっくっく!ま、それはいい。よし、黙って俺について来い。」
 男はそう言うと女子トイレに急いで入っていった。ロロリコンが考えたのは一瞬だけであった。彼は本部長候補として、謎を突き止める責任があった。それで男の後について恐る恐る女子トイレに足を踏み入れた。

 (おぉっ!これが女子トイレか!)当然だが、小便器がない。気のせいかどことなくバラの香りがしてくる。
 当然ながら、ロロリコンはお坊ちゃんである。女子トイレに入る、などとは夢想だににしたことはなかった。・・・と、男は、と見ると、個室の中でなにやらゴソゴソやっていたかと思うと、「おい、出るぞ。」と鋭く言うと、肥満したその体に似合わずすばやい動きでトイレから出て行く。
「ちょ、ちょっと待てよ!」
 ロロリコンが彼の後を追おうとしたそのときだった。
「きゃあ~っ!」
 運悪く入ってきた利用者と、まさに入り口を出んばかりだった男がばったりと顔を合わせてしまった。

 ロロリコンはハッとした。
 ここは女子トイレ、自分は男で本部長候補である。
 稲妻のような速さで沿う思った彼は、次の瞬間、男の足を引っ掛け、彼を押し倒していた。そして、彼の体を押さえつけると、「もう大丈夫です!変態は取り押さえました!」と女に言った。
「あぁ、ロロリコン様!」
出世の臭いに敏感な一部の女達にとって、ロロリコンは憧れの的であった。その女もそのうちの一人だったらしい。興奮した女はロロリコンの顔を見るとまるでとろける様な笑顔を見せた。
「お、おい、お前、放せよ!喜んで一緒に入ったくせに何して・・・」
 ロロリコンの下になった男、メクロが叫んだ瞬間、
ゴキッ!
 メクロのアゴにロロリコンの一撃が入った。
「こいつっ、凶暴なヤツだ!こんな状態でもお嬢さんを襲おうなんて!」
 (俺はサメか・・・)薄れいく意識の中でメクロは思った。
「お嬢さん、急いで警備班を呼んで来て下さい。」
「はいっ!」
 ロロリコンの言葉を聞いた女はうっとりとした表情で服を脱ぎ始めた。
「ち、ちょっと!君!警備班だよ、警護班!僕は警護班を呼んできてくれるように、と頼んだんだよ!」
 女はハッと我に帰ると、「はっ!あ、あたしったら!何してるのかしら!きゃあ、はずかしぃ~!」と走り去って行ってしまった
「?」
 ロロリコンも、そして下になったメクロも、女の消え去っていった辺りをしばらくぽかんと見ていた。
「・・・ま、しょうがない。」
 ロロリコンがメクロに言った。
「おい、君。今日のところは許してやる。もう二度とこんなことするんじゃないぞ。」
 (何だコイツ、偉そうに!)カチンとはきたが、いかんせん状況が悪い。メクロは何も言わずにその場を立ち去ろうとした。
「あ、そうだ。おい、君。さっきの箱を僕に渡したまえ。」
 ロロリコンがニッコリと手を差し出して言った・・・。

「そ、それからだ!それからあの地獄の日々が始まったんだ・・・」
 メクロがボロボロと血の涙を流しながら言った。
「アイツはその時、俺の学生証を確認して俺がどこに住んでいるのかを知ると、定期的に俺のところにやってきては俺が死にそうな思いをして集めた珠玉の映像や画像を持っていってしまうんだ!こ、これがどんだけ悔しいことかお前達にわかるかぁ!」
 エロ画像を取られた悔しさと怒りで、顔色さえ青くなっている。(・・・ホント、イタい人)メガネはそう思い、ふと気配を感じて後ろを振り向いた。
 アソウがメクロと同じ色の涙を流している。

「それだけじゃないっ!突然夜中に電話で俺を呼び出したかと思うと、『水一杯汲んできて』だ!『買ってきたシャンプー、ちょっと使っちゃったけど返品してきて』というのもあった!『服のボタンが落ちたから』というので校内中をはいずり回されたこともある!」
 もう言葉もない。
「で、卒業まであと四日、というあの日・・・」 
 メクロは感情を抑えて話しているため声が低い。その低さに怨念の深さが垣間見えた。見たくないけど。

 その夜中、メクロは忙しかった。
 トイレ、更衣室、体育館、保健室。主要なところを全て回収に回り、痕跡を残さないように後始末していった。
 世界公務員養成学校の二年間、メクロの人生を濃厚で芳醇なものにしてくれたこれらの機器の一つ一つに特別な思い入れがある。どの汚れ、どのシミもメクロの血と汗と涙の賜物なのだ。メクロは一つ一つをやさしく丁寧に外していった。それぞれの機器の中には、熟れた果実のようにぎっしりと宝石が詰まっている。それを想うと、機器を外す手間などなんでもない。自然と鼻歌が出そうになり、そっちを抑える方が、外す労働よりも大変なほどだった。

 作業が終わる頃にはもう朝日がうっすらと校舎に差し込んできていた。そして、メクロがクタクタの体で、装置を満載した袋を抱えて校舎を出ようとしたときだった。
「止まれ!」
 はっと正面を見ると、警備班、救護班、衛生班、風紀班がいつの間にか彼を取り囲んでおり、その一団の中心にロロリコンが凛々しく立っていた。
「よし、ではそいつを捕まえて証拠を押収しろ!」
 ロロリコンが一同にそう伝えた瞬間、隙をついてメクロは校舎の中へと逃走した。
「ヤツを追えっ!」
 ロロリコンのどことなく楽しそうな掛け声とともに逃走劇の幕が上がった。
武装集団数十人対デブ一匹。勝負は初めから見えていたが、ロロリコンは、「そこ、右に廻れ!ちがう!衛生班は正面からだ!」と、捕まえるのにわざと遠回りな指示を各班に与えていた。

『がはぁ、ぐぁはぁ、だはぁ!』
息が続かなかった。心臓が飛び出しそうなほど鳴っている。こめかみが心臓の鳴る度にズキズキと痛んだ。
メクロが何とか転がり込んだのは行き慣れていない男子トイレの一番奥の個室であった。そこで五分ほども経った頃だろうか、ガチャッとトイレの入り口のドアの開く音がして誰かが入ってきた。
「ここかなぁ~」
 ロロリコンだった。
「お~い、メクロ君。その荷物を全部渡してくれたら逃がさんでもないんだ・・・よっ!」
 
 ― ガンッ! ―

 掛け声と共に、ロロリコンが一番入り口寄りの個室のドアを勢いよく開けた。
「あれぇ~、ここじゃなかったねぇ~。じゃ、ここかな?」
 
 ― ガンッ! ―

 二つ目のドアを開けた。
 あと二つ。

「さぁて、メクロ君。どうするのかなぁ~?」
 ロロリコンが三つ目のドアを蹴り出そうとして足を上げた瞬間、メクロが個室から走り出てきた。その手には装置解体に使用したドライバーが握り締められ、まっすぐロロリコンに突進してくる。・・・が、惜しい!たまった疲れが足に来ていたようだ。メクロ、ロロリコンに届く前に自分で足を絡めてしまい、あえなく自爆。タイルの床に派手に転がった。

「さて、と。」
 ロロリコンが落ち着いた動作でメクロの手からドライバー、そして個室からずっしりと重い袋を取り出すと、それをどさりと二人の目の前の床に置いた。
「これでよし。」
「く、くそぉっ!これは俺のだ!俺の、・・・俺の全てだ!」
 盗撮画像を自分の全てだと言い切る男もすごい。画像にとっても画像冥利に尽きるのではないだろうか・・・

「さてと。ここで取引だ。」
 ロロリコンがドッカとモノの上に座ると、話を切り出した。メクロは鋭い目で彼を・・・いや、彼を見ることは怖くてできないので床を睨んでいる。大体、いじめられっ子はいじめっ子とまともに会話すらできないのだ。メクロはじっと床を見下ろしたまま、ピクリとも動かない。

「どうだい?これまで君が手に入れてきた画像は全て僕に譲るっていうことで手を打とうじゃないか。そうすればこの場は僕の力で何とかしよう。そうじゃないと卒業を間近に控えて君は退学、という憂き目を見ることになる。世界公務員を退学になるってことがどういうことか、もちろん知っているよね?」

 もちろん知っている。
 入学早々から耳にタコが出来るほど言われてきているのだ。
 世界公務員という存在はそれ自体、人類の『影』のような存在である。ましてやその構成員の養成機関である本部や支部の場所、学校の規模、講師の質、花壇の花の本数に至るまで、超がつくほどの極秘事項なのだ。そのため、養成学校を退学する、ということは、死ぬまでその人生を世界公務員の監視下に置くということを意味する。しかし、それはあくまでも表の規則。世界公務員の限られた予算の中からそんな連中のために一々監視など置く金など出してはいられない。そのため、退学者は皆、退学一年以内に不慮の事故を起こし、絶命することになる。いわば、一番手っ取り早い口封じだ。そのことを知っているからこそ生徒は皆退学を恐れ、必死で勉強するのだった。

 メクロの気分は今、下がりに下がって氷点下だ。
「その顔は、取引に応じる、と取っていいわけだね?」
 ロロリコンが立ち上がった。そして、立ち上がりざまに盗撮袋を持ち上げた。
「あ!せ、せめてそれだけは!」
「え?なに?」
 ロロリコンが手を耳に当て、メクロの顔のすぐ前に持ってきた。
『そ、それは・・・』
 メクロが消え入りそうな声で言った。
「うん、これ?そう、取引は今日から、でいいよねぇ?」
『くぅっ・・・は、はい。』
「え?何?聞こえないなぁ。」
『・・・そ、それで、い、いいです。』
「『いいです』って、なんだか偉そうだなぁ、いやだなぁ・・・」
『ふ、ふぐぅっ・・・ゆ、ゆるしてください。そ、それで、ゆ、ゆるして、ふぐぅっ、く、ください・・・』
 全てが終わった。メクロの在校二年分の苦労が・・・。全て仕掛けるのに一体どれだけの金と労力と工夫を注いできたか!それが今、・・・。ち、ちくしょう!この恨み、ハラサデオクベキカァァァァッ!
 


「あのとき・・・」
 メクロが絞り出すように言った。
「あのとき、もし、ギメガ帳ができていたらっ!媒体をあんなにバラバラにして持ち運ぶ必要などなく、捕まることもなかったのだ!」
 アソウがきつく目を瞑りながら、激しくうなずいた。
「あのとき!・・・ヤツの息の根を止めていたらっ!あの記録のすべてをもってして俺は人生を謳歌していたのだっ!」
 アソウが、また大きくうなずいた。
 あ、アソウの目から何か変な液体様のものが出ている。

「だから、俺は・・・」
 悲壮な顔でメクロが言った。
「アイツを・・・」
 言葉が自然と切れていく。
「殺らなければ・・・」
 余韻を大切に・・・
「・・・」

 メクロの告白に共感を覚えたのは当然、アソウだけである。
 アソウ以外のすべての者の胸の内、これは想像するに余りある。

 ― ナンジャソリャー ナンジャソリャー ナンジャソリャー・・・ ―

 という波の音が、彼らには聞こえていた。

 これまでのメガネ達の、そしてメゾフォルテの連中すべての、全苦労はこのメクロのロロリコンに対する個人的な恨み、もっと正確に言うと、「盗り合った盗撮動画」にあったわけだ・・・。
 単に巻き込まれた日数だけから言うと、メガネ達はまだ救われる。実質二日だ。だが、メガフォルテのメンバーを見よ!一番古いメンバーであるメルトモに至っては一体何年、メクロの怨恨につき合わされてきたであろう・・・。まぁ本人、あまりそういうことを気にするような繊細さは持ち合わせていないからいいが。
 しかし、他のメンバー、皆、また尻から何か出尽くしたような呆けた顔をしている。

「帰りましょうか?」
 メガネがアソウに言った。
「そやな。」
 アソウがどこか遠くへと視線を向けながら言った。
「本部からの、一網打尽の指令の件、どうします?」
 ミハダが言った。
「ほっとけ、ほっとけ。何かもう、ワシは胸がいっぱいや。」
 アソウがため息をついた。
 この男はやはり、メクロの一番の友である。

「あ、あの・・・」
 声がしてアソウが振り返った。田崎と吉田が立っていた。
「お、俺たちも連れてってくれないでしょうか?」
「えぇ~っ!お前らこいつらと残れぇ~や!」
 アソウが悲痛な声を上げた。
「支部長。引っ越す必要がありそうですね。」
 そういうミハダはメルトモの腕をしっかりと掴んでいる。
「・・・もうどうでもいいわ。さっさと行くでぇ!」

 帰りの車の中はひどかった。
 なんせ定員五名の車の中に六名である。
 ミハダのたっての頼みでメガネが助手席、ミハダとメルトモ、そして田崎は後部座席だ。メガネは時々ちらっ、ちらっと悲しそうな視線を後ろの二人に送る。

「いぃやだぁべぇぇぇ!」
 トランク入りの決定したときの吉田の叫びである。
「ひぃどいべ!ひぃどいべぇ!なして田崎先輩がいがねぇベグッ!」
 メガネが吉田の秘孔を付き、悲壮な顔のまま気絶している彼をトランクに押し込んで蓋を閉じた。
「あれっ?」
 田崎が不思議そうな顔をした。
「どうした?」
 後部座席を悲しそうに見ながら助手席に向かうメガネが田崎に聞いた。
「今、トランク閉めるとき何か聞こえたような・・・」
「ま、そんな日もあるさ・・・」
 メガネがミハダ達をまたちらっと見やって、そう言った。
「空耳っすね。」
 皆、車に乗り込み、アソウがエンジンを掛けた。彼は大きなため息を一つし、ゆっくりとカローラツーを走らせた。

 トランクを閉めるときに田崎が聞いたのは決して空耳なんかではなかった。
 その幽かな声は確かに、『吉田さんのことは任せといてください』と言っていたのだった。しかし真に驚くべきは、吉田を押し込める前に誰にも気づかれずにトランクの奥に入っていた、という竹田君の存在感であろう。透明人間、というのは実在するのである。


(第二十九話(最終話)へ続く)

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