― 第二十四話 メガネ VS メクロ ―

 チンッ!
 メガネが受話器を叩きつけた。
「あいつらぁ、話くらい聞けよ!」
 天気予報、時報、道路情報、そして番号案内、と巡り巡った末にようやく思い出したヒャクトーバンだったのだ。
 呼び出し音が一回も鳴ることなく、メガネの耳元で『はい、僻地警察です!』と愛想の良い男性の声がしたのだ。
 その低い落ち着きのある声に安心し、心を開いたのだ。

 『明日の首相暗殺を狙ってる奴らのアジトから今、電話してるんすけど・・・』とメガネが言った瞬間、さっきの愛想の良さはどこへやら、声はいきなり険悪なものに急変した。『最近、ホント多いんだよねー、こういう電話・・・。お客さん、ヒマなのは分かるけど、もっとこう、ひねってくんないと、ね?せめて。ね?じゃ、こっちは忙しいから・・・チンッ』である。十秒も話してない。

「さて、どうやって上のみんなをここに運び出すか、だな・・・。めんどくさ・・・」
 管理人室から柱が見え、その奥からはメクロ達の騒ぎがかすかに聞こえてくる。
『ひぃやぁぁぁ!まだヌルヌルするぅ~!おい、俺の部屋からタオル取って来い、タオル!』
 非常階段のドアからはまた叫び声が聞こえた。

「もう外壁からは入りたくないな・・・。」
 メガネはそうつぶやきながら、壁の落書きを追っていた視線を何となく上に向けた。
「ん?・・・あっ!この手があったか!」
 
 メガネは管理室の天井を探っていた。
 ふつう、建物の天井には電気の配線などを定期的に修理するための入り口があるものだ。
 ここからメクロの部屋の床下へと行けばいいじゃないか。
「さっきもこうすりゃよかったんだ・・・」
 メガネは天井への足場となる机を引きずりながら、ブツブツ呟いた。
 
 さっき・・・
 メクロの部屋の天井に行くためにメガネは、決死の覚悟で建物の壁をよじ登っていったのだ。
 建物内の壁ではない。
 絶壁に建つこの建物の、外の壁だ。
 
 足元には数十メートルはあろう切り立った崖が暗黒に広がっている。
 崖下には海が荒れ狂っている。
 風は、ビュービューという音波を通り越して、ピーピーと鳴る超音波となりメガネを襲った。その強烈な海風に何度も吹き飛ばされそうになりながらもメガネは二階まで登っていったのだ。
 命綱なしでの挑戦である。
 この恐怖に比べるとロッククライミングなど、幼稚園でやる‟フルーツバスケット”以下である。
 そう、高枝切りバサミを使って散髪する恐怖に等しい。
 ちょっと違うような気がするが、こればかりは経験者にしか分かるまい・・・
 
 今、メガネは部屋の角に机を置くと、その上に椅子を重ね、それによじ登って天井を押してみた。
 が、ビクともしない。
 すべての角の天井を試してみたがダメだった。
 屋根裏への入り口は通常、角にあるものだが・・・。
 かといって、メクロの部屋同様、真ん中というわけでもなかった。
 (いったいどこにあるんだ?)メガネは天井を睨んだ。

 結局メガネは、天井を隈なく確かめるハメとなった。
 そして、縦の列の左から三番目と横の列の五番目の交差する場所にそれをようやく発見したときには、手の血という血が下降したせいで腕が心なしか細くなっていた。
 うんざり顔のメガネは、ぐっすり眠る‟尾道ギメガ”をズボンの前に押し込み、そこを開けると縁に手を掛け、体を一挙に引き上げた。


 メクロは考えている。彼の目の前では団員達が必死になってドアに塗られた物質を拭き取っている。
 (・・・アソウの手下がもう一人いたのは誤算だったな。しかし、結局この建物から出て行くことはできん。人を呼ぶにはここは遠すぎるし、車の鍵は皆ワシがみな持っておる。アソウの車の鍵もな。ということはヤツのできることは一つ。アソウ達の奪還、だな。首相暗殺はもう準備を始めねばならんし・・・。ということは、だ。出来ることは一つ・・・)
 メクロは何事かをメルトモに耳打ちした。
「ほほぃ。そぉのてぇがありました、かぁ?ひぃっさしぶぅりの‟ズンズンアァナ”でぇすねぇ!おぉもしろぉいですねぇ、おぉもしろぉいですねぇ?」
 メルトモがにやりと笑った。

メクロは薄暗い自分の部屋に入ると、椅子に深々と腰を下ろし、目を閉じた。最近では目を閉じた瞬間、自分がとうとう世界の王になった時の光景が自然と浮かんでくる。
そう。王のみに許された世界・・・

その世界では・・・
トイレへ行くにも、風呂に入るにも、必ず誰かが自分の先にいる。
先にいて、ドアを開けたり、閉めたり、体を洗ったり、尻を拭いたりするのだ。
自分は何もせず、ただヤツらに体を任せるだけでよい。
あぁ、服も着させるようにしよう。靴下も。
あ、でも靴下の穴とか見られるのはちょっと・・・。
あと、下痢の時、どうしよう・・・。
・・・・・・と、とにかく人を侍らせてやるのだ!
何人も何人も!
俺がどこかに行くたびにきっと大行列になってしまうのだ!
ふふふふふ!
―メクロの顔に笑みが浮かぶ―
沿道では人々が熱狂的に旗を振るのだ。
俺の来たことを歓迎するのだ。
ふふふふふ。
・・・あ、旗のデザインを考えないと。
・・・ふふふふふふ。
メクロの顔が、沖縄の市場で売られているブタ面のように微笑む。
あぁ、幸せだなぁ・・・。
メクロがそうため息をついたときだった。

「ごほん!え~」
 部屋の中にいつの間にか、か弱そうなガキが一人立っている。
「あぁ、お前もちゃんとメルトモ達と下の階に行ってないとだめじゃないか。」
 メクロが夢見心地に言った。
「いや、あの、俺、アソウさん達をちょっと返してもらいに来たんだけど・・・」
 メガネだった。
「アソウ?あ、そう。いいよぉ~。持ってってぇ~、って、おい!」
 メクロはようやく目覚めた。

「お前かっ!さっきからチョロチョロうろついとるヤツは!・・・ん?」
 メクロはようやくこの目の前の少年の手にあるギメガを見た。
 メクロ、もう一度少年に目をやる。
 どう見ても鈍そうなガキだ。

「ねぇ君、かわいいね。おじさんと前にどっかで会わなかったっけ?」
「昨日会ったばかりだ・・・」
「あれっ?そうだっけ?えぇ~と。お前・・・君の名前は?」
「メガネ。」
「いい名前だね!」
 (いや、このオッサン、気味悪いんだけど・・・)メガネの全身に鳥肌が立った。

「あの、で、アソウさん達を返して欲しいんだけど?」
 メガネがもう一度用件を切り出した。
「ほほほほほ。もぉちろん、返すさ。」
 (うぅわ!笑い方!)
「だが、ボウヤ。ここは取引きといこうよ。この四人を返すからさ、そのただの本をこっちに渡してくれないかなぁ?悪くない取引きだと思うよ。君の仲間全部と本一冊だぞぉ?ウマイボー二つ付けてもいいぞぉ。〝コーン〟と〝ポタージュ〟!」

「えぇ~、どうしよーかなぁー。でも僕、一人で決めちゃったら後からアソウさんに叱られるかもしれないしぃー。」
「大丈夫!アソウさんとおじさんとはお友達なんだ。だからおじさんが大丈夫って言ったらそれはアソウさんの大丈Vさ、はははは。」
 おっさん、ピースしながらそう言った。

「えー、どうしよーかなー。おじさんの目、なんか血走ってて怖い~。」
「ごめん、ごめん。おじさん、かわいい男の子を見るとつい。・・・ね?」
「じゃ、おじさん、ちょっと目をつむっててよ。手渡すとき恥ずかしいから。」
「もう、しょうがないなぁ。」
 メクロはそう言うと目を閉じた。

「おじさん、本当に目を閉じてる?」
「あぁ、本当だとも。」
「本当に本当?」
「あぁ、約束するよ。」
「じゃあ・・・」
 メガネがいきなりメクロの額を突いた。
 左手の人差し指だ。
 尾道から習った軌跡。これでいけるはずだった。

 が、その指先が額に届く寸前、メクロは目を開けながらメガネの手を左手ですくい、その勢いを利用してメガネの体を引き寄せ、そのバランスを奪おうとした。
 メガネはメクロのその動きに逆らわず、逆に、それに合わせるようにして体を傾けると、自由なもう一方の手をはね上げた。
 はね上がったメガネの手の先に、メガネの左手を掴まえているメクロの太い左手首がある。
 が、メクロの方が一瞬早い。
 メクロはかけ上がってきたメガネの右手の中指と薬指をワシ掴みにすると体を入れ替え、メガネを床に押し倒そうとした。
 メガネの体が宙に浮き、床に接触するかと思われたとき、メガネはダンッと床を蹴るとメクロの手から逃れ、メクロから数歩離れた床に降り立った。

「・・・。ボクゥ、いったい何者なのかなぁ~?」
 メクロが目を細めてメガネを見つめながら言った。

 二人はまるで何事もなかったかのように無防備に突っ立っているように見える。
「その体術、どこかで見たような・・。ボク、ホントに何者だ?」
「おじさん、俺、自分の記憶がないんだ。そのことについてはよく分かんないんだなぁ。」
「・・・。ああっ!そうかっ!お前、あの時のガキ!・・・かぁ?」
「あの時?」
「あ、でもちょっとまてよ・・・。コイツ、若すぎないか?う~ん・・・。あの時、急いでたからなぁ~。結果をちゃんと確かめずにあの屋敷出てったしなぁ・・・。ま、いいか・・・。おい、時間がない。そこに座れ。」
 メクロがそう言って椅子に腰掛けた。

 メガネもメクロの正面に腰を下ろし、ギメガを椅子の横の机の上に置いた。
 腰を下ろして初めて分かったのだが、メガネの正面、天井に近い位置に額が飾られている。額の中身は誰かの肖像画だということはわかるが、部屋全体が暗すぎてその人物の男女の別さえ分からない。
 メクロが話し始めた・・・


(第二十五話へ続く)

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