私の楽器

本日は、「元弱小吹奏楽部員の記憶(3)」として、小学校時代に使っていた、大変思い入れのある楽器の話をしようと思います。私の担当はテナーでしたが、5年生のアンサンブルコンテスト時だけ、バリトン担当でした。そのバリトンというのが優秀で、妙にしっくりくる子だったのです。ボロボロかつ、何年も吹く人がいなかったはずなのに、です。

その子は、アンコン練習を始める前、楽器庫と化しているパソコン準備室から、私が引っ張り出してきたものでした。中には前の使用者の私物と思しきポーチが入っていて、そこには「エリザベスです!」と書かれた、赤茶けた紙が入っていました。名前をエリザベス、というらしい。備品に勝手に名前をつけるな。

リズは(私は当時「この子」とか「バディ」とか呼んでいただけだったけど、ここでは便宜的に)、ぐるぐるした部分とベルがベコベコにへこんでいたし、全体的にサビッサビだったし、無論ペグもつけられない古いモデルでした。ケースも劣化が激しく、内側のフカフカや表面の皮地が剥がれそう。その上開けた瞬間は、「ヤバい」においがするのでした。

けれども、鳴りは驚くほど良かったのです。新しい方と遜色ないほど、重量感のある太い音を出すことができました。新しい楽器というのは、部品が増えて物理的に重量が増加していることもあるのでしょうが、重く朗々とした音を出すことができます。逆に、古い楽器はなんというか、音が軽くなりがちでした。実際、入部したての頃にあてがわれた、まあまあボロいテナーと、5年生になって比較的新しいのでは、間違いなく差を感じました。でも、そういうのは、全くと言って良いほどありませんでした。前の使用者がよく吹きこなして、かわいがっていたんだろうなと思いました。名前、つけちゃうくらいだし。

そんな思わぬ発掘に、心躍りました。

初めたてのころは手のポジション(左手が随分上だし、右手が随分下な気がする)やアンブシュア(丸くじゃなくて平べったい感じがする)に慣れませんでしたが、練習を重ねるにつれ自覚的に体得していくのがとても面白く、毎日得意になって練習をしていました。「自覚的に」というのは、既に習得している吹き方と比較して、その差を明らかにしながらコツを掴むというイメージです。中高での英語の授業でも、そんな感覚があるでしょう。つまり、母国語がテナーで、外国語がバリトンだと言えます。


彼女と過ごした記憶は、えもいわれぬ哀愁をまとっています。練習していた時期が、セーターを着込んでも染み入るような寒さが襲い、既に日は短く、枯れ葉が舞う音が絶えず聞こえるようになる頃であったせいもあるでしょう。アンコンメンバーに選出されなかった部員は練習がない日もあったので、そういう日はことさら寂しい校舎でした。
放課後になると私は、私たち混合八重奏のホームである「学習準備室1」の教室に飛んでいって、音出しをしました。(「学習準備室」とは名ばかりの、要は児童が減ったせいで使わなくなった空き教室のこと)誰もいない、ストーブがついていない部屋はしんしんと冷え込んでいて、金属を持つ手はいっそうかじかみました。
そこで私は、薄暗い中に佇む自分に陶酔して、淡々と(しているつもりで)ロングトーンを続けるのです。テナーとは音の広がり方が全然違うな、と素人ながらに感じていました。床がジリジリ、ブルブルするような振動が、足裏から伝わってくる感覚を抱きました。
いつしか彼女と私は一体となって、外側へと音を吐き出してゆくのです。やっぱり楽器は大きければ大きいほど、ニンゲンという物体と近づくと思いました。体の大きな犬が、どうも人間くさく見えるみたいに。

リズとの演奏はいつだって上手く行きました!ばつぐんのコンビネーション。アンコンが終わって、バリトン担当としての役割がなくなった後も、時折吹きに行くことがありました。親しい友人に会いに行くのは、当然のことです。

彼女はどうしているのかな。今も、あの狭い楽器庫で、ずっと眠っているだろうか。それとも、もう小学校にはいないのだろうか。

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