水汲み

今日は小学1年生くらいの話です。


お昼ごろには、幼稚園・学校から帰って来るようなとき、ごく稀に「水汲み」に行くことがありました。祖父母と一緒に、大量のボトルを車に積んで、隣町に行くのです。その美味しい水でご飯を炊いたり、煮物を作ったりする。

その日は午前中で小学校が終わって、いつも通り祖父母宅に帰宅しました(両親が共働きだったから、平日は祖父母のところに預けられていました)。
「おもいっきりテレビ」をつけながら、昼ごはんを食べる。(ところでおもいっきりテレビというと、当時納豆かなんかが健康に良いって放送して、品切れになってなかったか?
あと、その病気がどうか確かめるため?に、床に置いたボールペンを足の指で拾い上げる動作を紹介していた記憶がある。みんなですぐさま試して、私は若いのでもちろん簡単にできるから、得意になってやっていた。祖父母宅ではしょっちゅうこの番組がついていた気がするなあ)

「水汲みさ行ぐぞ」と祖父。
「わかった」と私は言います。
皿を洗ってから、出かける支度をしました。

この頃の水汲み場は、隣町の比較的大きな所でした。「この頃」という言い方なのは、水の出が悪くなったり、濁ってしまったり、そのせいなのか立ち入り禁止になったりするので、水汲み場は何度か変更をしていたからです。恐らくここは、3ヶ所目だったと思います。

先客はいませんでした。駐車場に車を止めて、トランクからどんどんボトルを下ろしていきます。焼酎が入っている、でかいペットボトルです。あれ、取っ手が付いていて水汲みにぴったりなんです!(焼酎ボトルはここらの田舎コミュニティでは実に一般的、常套の道具なのか、友達(?)同士の貸し借りだとか譲渡だとかを多々目にした。水以外に、青豆・黒豆・小豆、梅、ブルーベリーあるいはビルベリーなんかが入っていた。どんだけ活用すんだ)祖母が水を汲み、祖父と私がそれを車に運ぶ係でした。

「気ぃつけて運ばしょ」
「分かってるって!」
私ももう小学生だよ!落とすなんてしないんだから!とは言っても、2本同時には運べないので、1本を抱えて運びました。

水の冷たさが、ペットボトルの壁を通して伝わってきます。表面につく水滴が手の熱をさらに奪っていきました。最近急激に寒くなってきた。そろそろ手袋がほしいな、と思いました。



水汲みに関する鮮明なイメージは、「水路の中に消えゆくペットボトル」です。
あと数本で終わるという頃、水汲み場に戻ると、祖父が小走りに歩いていました。ボトルが水路に流されてしまって、捕まえようとしていたのです。水汲み場は、パイプからドボドボ落ちる水がそのまま水路へ流入する形で、コンクリートで覆われている水路は、この周辺だけ川のようにむき出しになっていました。
だから、水汲みの間にうっかり手を離してしまうと、ボトルはなすすべもなく水流にさらわれるしかありませんでした。

祖父もついには追いつかず、ボトルは手の届かないところに流れてゆきました。この寒空の下で、靴を脱いでざぶざぶ水の中に入るわけにもいきません。
そうして、ペットボトルは水路の闇の中に、吸い込まれるが如く消えていったのです。
祖父はフウフウと息を整え、祖母はハァとため息をついています。
「流れていっちゃったよ」と私が言うと、
「しょうがねぇべ」と言って、残りの水汲みの作業に戻っていました。

私は、故意ではないにしろ、ゴミを捨てたことになってしまったのが、ひどく嫌な気持ちになりました。そして、それ以上に消えていったボトルの映像がこびり付いて離れないのです。
ボトルはさながら船のようで優雅だったけれども、恐ろしいほどの速度が出ていました。私があの船に乗っていたらどうしよう。どうあがいてもスピードは緩まず、ずんずん黒闇が迫ってきて吸い込まれてゆくのです。不気味な水路の中でもみくちゃにされて、やがては転覆し、泣きながら溺れて一人で死ぬことになるかもしれない。透明な水は、いつしかどろどろした悪臭のする液体になって口に入り込んでくるんだ。

ボトルがある地点ですっと見えなくなった。その一瞬の映像が想像を呼び起こし、いやにきみ悪く、私はすくみあがってしまったのです。


現在は、祖父母は普通にスーパーで天然水を買っているようです。例の大震災で地盤?自体が変わったのか、水汲み場の多くが何らか変わってしまった、また高齢なため、水汲みにはもう行かないらしいです。