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「インナーチャイルドの癒し」

前回の続きです。

ここで、愛と怖れについて話しておこう。
あなたを傷つけたものの正体は分かるだろうか?
あなたのインナーチャイルドが抱え続けた傷とは
何だったか?
それがこの愛と怖れである。
愛するがゆえに怖れ、怖れるがゆえに愛を求める、それが人である。
前に言った通り、魂は神であり、愛である。
ゆえに怖れを知らないのだ。
だがその完全さゆえ、魂の成長が難しいのだ。
すでに完全なのだから、さらなる成長を遂げるには、一度身を変え、新たな経験を得ること、
その経験を自らの成長に生かすこと。
それが魂が地球へと誕生した理由である。
その新たな経験のため、魂は自らの力を封印し、
自我という人格を作り上げた。
そして、それは地球という星に合わせて、愛とは反対の意識を植え付けたのである。
それが怖れである。
アダムとイブの楽園追放の物語は、それを表している。
楽園とは、愛のみの世界である。
その中においては全てが許されている。
それぞれが裸でいようと、あるがままが許される世界である。
彼等が知恵の実を食べ、自らが裸であることを恥じ、神から隠れようとした。
それは自らへの怖れが生じた瞬間である。
それまでの愛の世界が崩れ、「許されない」という怖れが生まれたのである。
それは追放ではなく、彼等の新しい成長のための
旅立ちであったのだ。
物語は歪曲され、神との断絶の物語となったが、
実際は、あなたの神を封印し、人として生きる
という物語なのだ。
人として生きるとは、神によって与えられた罰ではない。
それはあなた方の魂が求める、新たな挑戦であり、冒険であり、成長である。
そればあなた方が求める喜びでもあるのだ。
喜ばしいはずの新たな旅立ちが、
怖れの目を通すと、追放になるのだ。
人は怖れが強い程、人生を迷走していくのだ。
だが、魂はそれを歓迎し、怖れを克服しようと、
自我に求めるのだ。
怖れによって生まれた、あらゆるネガティブな感情を魂は求めているのだ。
そして自我がどのように、それらを克服していくのかを見守っているのだ。
魂は克服の仕方を知っている。
それが愛である。
全てにおいて、愛が勝るのである。
自我がいつ、その愛に辿り着くのかを魂は、
見守っているのである。
そして自我が愛に辿り着いた時、
魂はあなたと一つになるのだ。
神である魂とあなたの自我が一つとなり、
その愛が、あなたのインナーチャイルドを、
癒していくのだ。
そうして、魂(神)と自我とインナーチャイルドが統合されるのだ。
先にも言ったが、それらが統合されることで、
現実創造が始まるのだ。
いわば、学びを終えた学生が、社会という実践の場に出るようなものである。
ここからが、あなたの人生にとっての本番なのだ。
あなたという人間の真価が問われるのだ。
だがここで怖れてはならない。
それこそ、あなたが現実化するのは、
怖れのない愛の世界なのだから。
楽園から出たあなたが、これから新たな楽園を創るのだ。
それがあなたの残りの人生では、成し遂げられないものだとしても、その礎だけでも、
創らなくてはならない。
あなたはそれを望み生まれたのだから。


ここまで読んで頂きありがとうございました。
長いお話だったので、2回に分けさせてもらいました。
前回のインナーチャイルドのお話は、私の個人的な経験を踏まえてのお話しだったので、皆さんに当てはまるものか分かりませんが、それでも、このお話しに辿り着くよう導かれたのであれば、
何か皆さんにとって必要なメッセージなのだと思います。
皆さんのインナーチャイルドが、癒されていく事を望み願います。
また次回も、読んで頂ければ幸いです。
ありがとうございました。

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