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生き残るということが大事

大事なことを書こうと思って、ブログではなくnoteに書いておこうと思う。

現在は2020年7月。最悪だった春、具体的には自粛自粛でほとんどのチャンスが中止もしくは無期限延期という状態になった春。これを乗り越えて夏からは、昔の現実を取り戻そうと言う人たちで世間は溢れている。しかし、対策は未だに人々の活動に制約を加えていて、昔のようになることは大変難しい。

だから、去年まで自分の成長を感じられていた人たちには相当苦痛の日々だ。成長のための環境やチャンスがことごとく握りつぶされている。今日もまた何かの中止のお知らせがネットニュースに届く。

成長し続けられることが当たり前だった時代が、急変してしまった。

成長することがノーマルだっただけに、日々の生活が灰色になってしまう。毎日味わっていたいろいろな情感が失われ、だんだんとテンションだけが下降していく。

成長することで味わってきたストレスすらも、ある程度はプラスにもなる。それを乗り越えたときの達成感の下地になっているからだ。自分が新しく何かをできるようになったり、体験できたりすると、楽しい。そのサイクルが失われた。

成長し続けないと、生きていないのと同じだ、という感覚は成功者にはあるのかもしれない。ネットには同様なことを言う成功者が渦巻いている。

いわば、ロールプレイングゲームで敵と戦わないならば、レベルもいつまでも変わらず、シナリオも進まない。なのに、時間だけ費やしても何も楽しいことが無い、しかしゲームを止めることもできない。そんな状態に例えられよう。

しかし、今の状態、本当に成長しなければいけないのか。

成長できる環境は未だに失われている。成長を促してくれる他人に会えない。新しい経験に飛び込もうとしても、未だに、ほとんどが中止だ。

我々は、急ぎ過ぎではないか。

成長しないのが、当たり前なのではないか。

この状況に絶望し、今まで取り組んできたことを止めてしまう人もいる。努力をしないようになってしまう人もいる。未来を閉ざしてしまう人もいる。

今の状況は、「生き残ること」が大事なのではないか。

成長しなくてもいい、続けること。改善するとしても来年以降かもしれない。そこまで、生き残ること。止めないこと。

こんな逆境下でも自分は成長するんだ、強がっている人がたくさんいる。でも、もっと目標は下げるべきではないか。生き残ろう。生き残ったら勝ち。そうすべきではないか。

成長できないから、と絶望して止めていく人が、できるだけ減りますように。いいんだ今は。何もしなくたっていい。ただただ、保つ。モチベーションがどんどん下がる。それも当然だ。

下がって下がって、でも地面に立つことだけは忘れないようにしよう。

止めてしまったら、この戦いは負けなのだ。

成長しろという世間の強迫観念に耳を塞ごう。

生き残ったその先に、ボーナスステージが待っている。そのステージに挑めるのは、生き残った人だけだ。止めてしまった人は進めない。

努力したい人はやろう。でもやらなくてもいい。今の目標は生き残ることだから。

最悪な春を抜けたのに、夏も暗雲が立ち込めてきた。秋はもっと悪くなるかもしれない。それなら、もっとゆったり構えよう。すべての悪いことが立ち去るまで、たたずんでいよう。

成長できる時代はもっと先に必ずある。今は、元気なフリなんでする必要はない。明るく振る舞わなくてもいい。

ただただ、生き残る。

ただただ、生き残る。


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