サークルを作ってみての感想~3日目

オレツナというサークルを二日前に立ち上げました。


おかげ様で開始より9名の方にご参加いただき、想定していないスピードで大きくなりました。安定した運用にするためには努力しなければいけないとは思っていましたが、想定より早く手を動かさないといけないなと痛感しています。
さて、このサークルの基本となっているのは、地域のコミュニティー活動です。私自身はほとんど参加したことはありませんが、区役所に行くとたくさんのコミュニティーが活動していることを知ります。
参加している方に話を聴いてみると、どのコミュニティーも、「目的性」があります。こんな講座をやる、とか、公園を清掃する、とか、何しろ何か目的が存在します。
だいたいのケースにおいて、その目的は、集まるための手段にしか過ぎません。ですので、働いている方の一部はその目的の達成の仕方、つまり仕事っぷりに不満を持たれる方は多いです。
例えば、少し前に話題になった、PTAをDX化(デジタルを持ち込む)しようとしたところ、たくさんの抵抗にあって断念したことの例。もし組織の仕事がきちんとミッションになっていて、達成することが至上命題のような、会社組織の場合は結果が出るなら必ずDX化するでしょう。しかし、PTAはどちらかというと集まっていることが目的です。何を為すか、については二の次になりがちです。
自治会でも同様の状況を見たことがあります。
このように、コミュニティーには目的性は付き物であるにも関わらず、結構その運営で苦労されている方は多いです。うまく目的達成へのプロセスがまわらず、反発されてコミュニティーを出て行かれるかたもいらっしゃるそうです。
なぜ、目的性がコミュニティーに必要かというと、単に集まるだけでは、人々が暇すぎて、間が持たないんじゃないかと思います。集まったけど、何をすればいいの・・。そして目の前には知らない方がいる・・と。
なので、とりあえず何か仕事をでっちあげて、みんなで共同作業をやっていけば、そのうち知り合いになってコミュニティーが形成されるだろう・・そんな仕掛けかなと考えています。
この、目的性、私としてはこれを持ち込まずに、コミュニティーが成立しないかなと目論んでいます。何も目的性がなくても人々は集まれて、そして知り合い、場所をつくることができるんじゃないかな・・って。もし全体で何かやってみよう、と自然に立ち上がることは否定しませんが、コミュニティーを立ち上げた側がいろいろ目的性を用意しないといけないと思うのは思い込みじゃないかと思うのです。
目的は、集まり、お互いの存在を承認し、日々の変化を共有しあうことですから。お飾りのような目的性が私には不要に思えたのです。

一方で、サークルを実際に立ち上げて、目的性が当初からないというのは、なかなか運営に工夫がいるということを痛感しました。
スタート地点は、自己紹介まではスムーズなものの、そこから何かその場で決めることも発表することもないので、やっぱり参加者も、なかなか発言しづらい。
だから、何らかのファシリテートが運営者には必要になってくるな、と。そこで慌てて、私もアドリブで考えるけれども、なかなか思った通りいかない、と試行錯誤状態で今に至るという感じです。
まあでも、とにかく運営者が理想を持って、そして地道に活動を継続すること。その場がどういう時にしろ存在すること。時間の経過によって参加者同士の情報交換が進むこと。いろんな作用で大きく変化していくのがコミュニティーだと思っています。それは地域で続いているコミュニティーを見るとそんな雰囲気を感じます。
ただただ、場を作りたい。場自体が目的であり、つながっていれば安心感が得られる。そんな試みはスタートしたばかりです。うまくいくことばかりではないですが、新たな冒険はふとした思い付きから突然始まり、そして急に現実になりました。参加者の方々に感謝しつつ、一歩ずつ前に歩きます。

また、時間が経ったら次の感想を思うでしょう。また書きます。

いつも読んで頂きありがとうございます。 これからもよろしくお願いします。