重い・落ちる・熱い、だったコンピューターとのお付き合い
西暦2000年前後を駆け抜けた人ならわかる。
昔のコンピューターは、
・重い
・落ちる
・熱い
との戦いだった。iPhone 3GSを使ってTwitterをやってたけど、Twitterをリロードするだけで重くなったり無反応になったりした。
何個かアプリケーションを同時に起ち上げると、メモリー不足に陥り、操作が聞かなくなったり遅くなった。
Androidは、ソフトウェアのパフォーマンスの悪さをハードウェアの性能を上げて物理的に解決しようとしたが、そのために何かするとすぐに熱熱になるという矛盾。尻ポケットに入れたスマホでやけどしそうになったことがある。
ここ最近はハードウェアの性能がソフトウェアに追い付き、コンピューターの仕組みを知らない人が無茶をしても、ハードウェアがびくともしないようになったと思う。
おかげで、若い人のスマホのオペレーションは、マルチタスクを駆使していて、コンピューター歴何十年の私すら追い越すような早業を見せる。
随分長い間、重い・落ちる・熱い、について、パブロフの条件反射的な訓練を受けているので、そんな操作したらハードウェアに悪そう、みたいな変な「やさしさ」が本能的に身についてしまっている。
インフラエンジニアという仕事をしつつ、若い人を見ながら思うのは、そういうハードウェアに対する思いやりみたいなところが、ない、ところ。
いや別に、ハードウェアが進化し、いろんな処理に耐えうるようになったからアップデートしても構わないんだけど。でも、どこかで限界はあるので、サーバー側の処理を実装するときは、「やさしさ」設計は必要になるんだよなあ。
まあ、特に西暦2000年前後には多くのポンコツコンピュータをつかまされて、ずいぶんお金を使ったけど、それを体感できたというのは多分、財産なんだろうな、と思う。
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