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最近の若手に思う 危険な仕事の仕方

過去の教育が暗記主体で考える力が不足していると言う時代があり、それから考える教育へ変わって行った頃をリアルタイムに見て来た。その結果が今の若手だと思うのだが、なんだか危なっかしいなと感じることがあるので書いておく。

何か課題が突き付けられたとき、彼らはわかりません、知りませんとは言わない。何か答えを探して見つけるようにはなっている。それは、私たちの世代が暗記主体だったから、暗記していないことは知りませんということを良くないとされてから、何か答えは出さないといけなくなったのだろう。

例えば、何か教師が課題を与えた後、最近はグループ討議をしてグループの結論を出す。グループ討議して「みんなわかりませんでした」なんて答えは許されないので、各々で何かしらの答えをひねり出していく。

そんなスタイルの中で育った彼らは、きっと答えを探さなきゃと思うはず。そこまでは悪くないと思う。そりゃ、わかりません、なんていう人間は仕事の場では今や使えないからだ。

ところが、若手はおそらく、今は検索エンジンだのAIだのを駆使して、何か聞きかじったことをエビデンスにしようとしている。もっともらしい回答は返してくるのだけど、何分、根拠が無いのである。その話は、どうやってあみだしたの?。その根拠はどこにあるの?。根拠はちゃんと根拠なの?。

そうか、こういうのを「詰める」というのか。

そして、詰めることを最近はパワハラ扱いするというから、若手はどうにも危険性が伝わりにくい。彼らは考える教育を受けたにもかかわらず、考えないでも答えを出す方法を身に着ける方に特化してしまったように思う。YouTubeなどでコミュニケーション能力もうわべだけ身に着けてしまったようなので、押しの強い、そして根拠の薄い話し方をするようになってしまっているように思う。

答えを出すことが目的化し、その答えを出すプロセスについてはなおざりになっている。どこかからインスタントに情報を借りてきて、どうやって伝えるとより訴求するかというコミュニケーション方法にばかり気を取られている。

じゃあ、どんなプロセスならば考えることが鍛えられるか。それは「科学的思考」につきる。

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