残高不足の子どもと運転手に思うこと
浜松市にて。
残高不足に気づかずバスに乗車した小学校低学年の児童に対して、運転手が威圧的な対応で謝罪を強要したそう。
男の子はその後バスを乗り継ぐ予定だったが、徒歩で帰宅。
バスを降りたその子は37.7℃の猛暑日を自宅まで約2時間ほど徒歩で帰ったとのこと。
悲しいな。
確かにお金がないのにバスに乗ることはできないし、バスの運転手さんも「仕事」である以上厳しく接する必要はあるのかもしれない。
でも悲しい。
例え親に悪気(まぁもし足りなくてもなんとかなるっしょ、みたいな気持ち)があったとしても、子ども本人には全く関係ないのに。
親に手持ちのお金(チャージ残高も含む)の心配もされず、
居合わせた周囲の大人にも心無い対応をされ、
男の子はとても傷ついたと思う。
2時間歩きながら、何を思っただろう。
涙が込み上げたんじゃないかな。
誰も自分を顧みてくれないような心細さを感じたんじゃないかな。
彼に伝えたいな。
君が悪いんじゃないんだよ。大丈夫だよ。
今の日本に、余裕がなさすぎるんだよ。
みんなが、君に無関心だとか、君を嫌いだとか、そんな理由でこんなことが起こったんじゃないんだよ。
君は悪くない。
今回は君の近くにいなかったけど、必ず、君を気にかけてくれる人はいるからね。
本当に、今の日本は余裕がない。
バスの運転手さんは、長時間+不規則労働、クレーム対応などで疲弊し、
親は仕事家事育児に追われる中、子育てにまつわる社会も決して寛容ではなく、
乗り合わせた乗客も、時間に追われ、自分の生活で手いっぱい、
そんな状況だから、男の子を気にかけてあげる「目」が足りなかったんじゃないかな。
親や運転手にも、悪いところはあったかもしれない。
けど、全体的にもっと余裕があれば、と思ってしまう。
人って、たぶん余裕がないと、優しくなれない。
自分に余裕があって初めで、他者への思いやりを持てる。
もしも。
もっと親に余裕があれば、
子どもの所持金や不測の事態が起こった場合の対応まで、気が回ったかもしれない。
もしも。
運転手さんの労働環境が穏やかで、日々生き生きと楽しく「運転手さん」をしていたら、
もっと寛容な態度をとってあげられたかもしれない。
もしも。
周囲の乗客や大人たちが、もっと時間にも経済的にも余裕があったら、
困って俯く男の子に声をかけられたかもしれない。
話を聞いてあげる人が1人でもいてくれたら、この子の気持ちは少し軽くなったんじゃないかな。
余裕がないのは、「自己責任」じゃないと思う。
「社会問題」ではないだろうか。
この記事へのコメントでも、親への批判、運転手への批判が少なからず、ついていた。
確かに、個人個人で悪いところもあったかもしれない。
でも、全体として、余裕がなさすぎる社会が背景にあるのではないか。
私は全く政治に詳しくはないが、
日本社会に「余裕」を作るような政治できませんか。
政治家の皆さんの、「懐の余裕」を少し減らして、「社会の余裕」を増やそうと取り組んでくれませんか。
私は政治家ではないから、社会を変えることはできないけれど。
個人レベルで、見えるところに困っている子がいたら、話を聞いてあげたいし、可能な限り手助けできたら、と思う記事でした。